時間割引 悪い知らせをつい先延ばしにしてしまう心理(平井啓)
連載
2018.04.23
行動経済学×医療
なぜ私たちの意思決定は不合理なのか?患者の意思決定や行動変容の支援に困難を感じる医療者は少なくない。
本連載では,問題解決のヒントとして,患者の思考の枠組みを行動経済学の視点から紹介する。
[第9回]時間割引 悪い知らせをつい先延ばしにしてしまう心理
平井 啓(大阪大学大学院人間科学研究科准教授)
(前回よりつづく)
次回こそきちんと話をしよう……患者は再発の乳がん患者で,肝転移・骨転移があり,現在は抗がん薬治療を行っているが効果は見られていない。予後は数か月で,積極的治療は断念したほうがよいのではないかと主治医と看護師は考えているが,患者にはまだはっきりと伝えていなかった。そんなときに患者が,他院で高額な自由診療を受けたいので診療情報提供書を発行してほしいと言ってきた。 看護師 ○○さん,今日の調子はいかがですか?
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このような場面において医療者は,患者の予想外の反応に大きな負担を感じると思います。予後を伝えたいと考えていたとしても,患者の希望とは正反対の内容のため,話を切り出すことに非常に大きな心理的負担を感じます。その結果,時として患者に重要な話をすることが「先延ばし」にされてしまいます。
どうして先延ばしにしてしまうのか?
先延ばしは,行動経済学では「時間割引」の概念を使って考えることができます。夏休みの宿題を,夏休みの前半に片付けてからレジャーに行くか,前半にレジャーに行って後半ぎりぎりになってから片付けるかなども,時間割引による選択上のバイアスとして説明できます。多くの方は,宿題を今やるよりも後でやるほうが面倒くささ(心理的負担)が小さく見え(割り引かれ),夏休みの宿題を先延ばしにしてしまうと思います(図)。私の場合は,朝研究室に来たときは「今日は論文を書くぞ」と自分なりの宣言をしますが,夕方くらいになると「今日も忙しかったし明日またがんばろう」と先延ばしにしてしまうことがしばしばあります。
図 先延ばしの心理 |
さらに,後でやることで心理的負担がどれくらい割り引かれるかの割合を「時間割引率」と言います。例えば,「今1万円もらう」と「1年後に1万円もらう」という2つの選択肢があった場合,多くの人は「今1万円もらう」ほうを選ぶでしょう。一方,今もらえる金額を,9500円,9000円……と下げていくと,1年後に1万円をもらう選択に変更されやすくなります。しかし,その金額の差が少ない場合は,たとえ将来もらえる金額のほうが大きくても,今もらうほうが選ばれます。今もらえる金額が9000円にまで下がらないと1年後に1万円もらう選択に変わらなかった場合,1年後にもらえる金額の価値は10%割り引かれていると言うことができます。時間割引率には当然個人差があり,割引率の小さい人もいます。また,より直近の選択のほうが適用される時間割引率は高くなり,将来よりも現在の利益に大きなウエイトがおかれやすくなります。これを「双曲割引」と呼びます1)。
医療者と患者の双方に先延ばししやすい心理がある
特に,やりたくない仕事は,「今日はそれをすべき日ではない理由」を探してついつい先延ばしにしてしまいます。患者に悪い知らせを伝えることは,どの医療者にとっても心理的負担の大きい仕事です。そして,患者に悪い知らせを伝えることで生じる心理的負担は,今より1週間後のほうが割り引いて評価されます。また患者の側も,第3回(第3245号)で紹介したように「現状維持」の参照点を持っているため,それに対して損失となり得る話はできる限り回避したいと感じています。「今話し合いをすること」は両者にとって利益ではないので,お互いに先延ばしにしやすくなるのです。
しかし,悪い知らせであれいつかは伝えなければならない事実は変わりません。特に予後に関することは,先延ばしにしてしまうと残された時間の過ごし方について考える時間が短くなってしまい,本人にとってよりよい意思決定を行えなくなる可能性もあります。生命倫理学の原則に基づき患者の自律を尊重するためには,患者自身が所有すべき情報は,予後(治らないことが確かであるという見込み)を含めて患者に伝えられるべきであると思います。そのためには,まずは医療者の側が自らの先延ばしを予防できるようコントロールしていく必要があると考えられます。
先延ばしのコントロール方法
先延ばしの予防に必要なのは,自分自身の「自制」の問題を自覚すること1)です。悪い知らせを伝えるという心理的負担の大きい仕事を計画通りにやり通すためには,自らの意志力を気合で高めるだけでは困難です。特に,患者が自身の病気を理解し,今現在最も患者自身の利益となるような選択をできるようにコミュニケーションをとることは,ある程度時間の幅を持った大きな仕事です。そのような期限がある長期的な仕事においては,状況やストレスなどに影響されて計画時よりも「緩い(時間割引率が高い)自分」となることを事前に織り込んでおく必要があります(夏休みの宿題をいつやっていたかを思い出せば,自分のもともとの緩さの度合いを把握できます)。自らの意志力がどれほど緩みやすいかを知ることで,患者と対応する時間をあらかじめ多く確保しておくなど,事前の計画に反映させることができます。
また,先延ばしの予防には,自分の行動を取り巻く環境を構造化することで内的,外的なコミットメントを高めることも有効です。内的なコミットメントとしては,例えば悪い知らせを伝えるときのセリフをあらかじめ決めて準備することが考えられます。知らせを伝える状況での認知的な負担を低減する効果もあります。外的なコミットメントとしては,他のスタッフにサポートしてもらうことが最も効果的です。その際には,面談全体の計画を共有し,何のためにその面談をしているのかをサポートするスタッフ全員が理解することで,困った状況をヘルプしたり,後で改善点のフィードバックを行ったりできます。
このことは,チーム医療の必要性の一つの側面と言えます。悪い知らせを伝える際には,確かな医学的情報を伝える担当と,患者の情緒的な反応をサポートする担当を明確に分けることで,それぞれの心理的負担を低減させ,患者にとって必要な情報が先延ばされることなく患者に伝えられ,最終的には患者自身が納得できる意思決定をしやすくなると考えられます。
今回のポイント●悪い知らせを患者に伝えることは医療者にとっても大きな負担である。しかし先延ばしにした場合,患者の自己決定の機会を失わせる可能性が生じる。
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(つづく)
参考文献
1)池田新介.自滅する選択――先延ばしで後悔しないための新しい経済学. 東洋経済新報社;2012.
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