医学界新聞

連載

2014.01.20

The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,"ジェネシャリスト"という新概念を提唱する。

【第7回】
なぜ,二元論が問題なのか――その5 ワークとライフ

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 ワーク・ライフ・バランスという言葉がよく聞かれるようになった。ぼくも(理由はよくわからないけれど),「イクメンの」なんとかとか「女性医師の」なんとかという会合に呼ばれて,話をする機会が増えている。でも,あれって本当に変だなあ。会合が開かれるのはほぼ間違いなく夜か週末である。そういう会が開かれなければ,家事・育児にもっと時間を割けるというのに。矛盾してません? 午後5時以降と週末の会合を減らせば,日本はもっともっと働きやすい国になります。

 ま,それはいいとして。ぼくは「ワーク」か「ライフ」か,といった二元論をここでも否定したい。仕事が充実していなければ,家にいても楽しくないし,家庭が安定していなければ仕事にも十全に取り組めない。ワークがあってこそライフ(ここでは私生活,の意味)があり,ライフがあってこそのワークだ。私生活を犠牲にして,仕事に打ち込むモデルは昭和の時代には普遍的であったが,それは家族を犠牲にするというのが前提になって初めて可能なモデルである。そんなモデルは平成の現在には通用しないし,通用させるべきではない。

 人が集まりやすい環境には人が集まる。人が集まりにくい環境からは人が逃げていく。いわゆる「立ち去り型サボタージュ」というのもその一亜型だ。

 では,人が集まりやすい環境とは何かというと,「いろいろな人が許容されている」環境と言い換えてよいだろう。等質の,同じような条件の人物しか受け入れないような組織には人が集まりにくい。人が集まりにくい組織では,人は足りなくなる。足りなくなれば,仕事は忙しくなる。家に帰れなくなる。ますます家庭を顧みなくなる。そんな組織には育児中,介護中,その他所用を抱えている人物はとても入り込めない。ますます人が寄ってこなくなる。一人,二人と櫛の歯が欠けていくように人が減っていく。

 多様な人物を受け入れる組織は,これの逆を行く。例えば,育児中で夕方以降は勤務できない医師。「馬鹿野郎,医者なめんな。当直入れない? 育児中? そんな奴は,医者辞めてしまえ!」と言ってしまえば,この人物は組織には入れない。寄与するところは,完全にゼロだ。しかし,「わかった。では,夕方まででもいいから,ぜひ協力してください」と言えば,この人物の戦力――例えば,1としておこう――は加えられる。10の戦力が11になる。10のままと,どちらが組織にとってお得かどうかは,明らかだ。

 白状すると,ぼく自身,昔は「馬鹿野郎,医者なめんな」と思っていた。昼夜関係なく,週末も休みを取らず,盆も正月も忘れて患者に尽くすのが医者の本分だと思い込んでいた。そのくらいの覚悟がなければ,医者なんて職業を選ぶんじゃない,とも鼻息荒く主張していた。いや,まったくお恥ずかしい。若気の至りである。

 昼夜関係なく,週末も,盆正月も働き続けるためには,相当な気力と体力を必要とする。それは若いうちはよいかもしれないが,年を取ってくるとだんだん無理が生じてくる。

 いや,若くても体力的にハンディキャップがある人も当然いるし,家庭の事情(育児や介護など)のある人だっているだろう。人は「いろいろな事情」を抱えているものだ。その「いろいろな事情」を馬鹿野郎と最初から排除してしまう,そんな狭量な人物が,多様な患者にまっとうに対応できるものだろうか。できるわけがない。体力も気力も十分で,治療に十全に取り組んでくれる患者以外は,「馬鹿野郎」と排除してしまいかねない。ていうか,体力も気力も十分な患者なんて自家撞着だし。

 医療の本質は,「弱い立場にある人への温かいまなざし,配慮,思いやり」にある。であれば,なぜそのまなざし,配慮,思いやりが仲間に対して発動できないのだろう。そんなダブル・スタンダードがあってよいはずがない。というわけで,ぼくは大反省し,持病を抱えている医者は持病を抱えている医者なりの,家庭の事情がある医者にはそれなりのパフォーマンスを要求することにした。皆が「俺と同じような」パフォーマンスを示す必要なんてない,と覚悟を決めた。

 ぼく自身,家庭の事情で今はかつてのような仕事の仕方をしていない。昔よりも遅く病院に来て,早く帰宅している。自宅ではほとんど仕事をしない。週末に仕事の入っていない日もさほど珍しくなくなった。

 それじゃ仕事のパフォーマンスが下がって仕方がないだろうと思っていたら,そうでもなかった。むしろパフォーマンスは上がっている。どうでもよい仕事を断る勇気,サボる勇気もついたし,終業時間を決めているから,そこから逆算して熱心に効率的に仕事に取り組む。その代わり,病院にいる間はほとんどノンストップで仕事をする。短距離走的な仕事だ。休憩,雑談一切なし。昼食も仕事をしながら摂る。

 診療にもここ数年,大きな変化が生じてきた。以前は「言うことを聞かない患者」が苦手だった。でも,よく考えてみれば全ての人が俺の言うことを聞いてくれる,という前提が間違っているではないか。お前は北の将軍様でも何でもなく,一介の医者にすぎないのだから。人は医療のことばかり考えているわけではない。医療のことばかり考えているのは,医療者くらいなものだ。たいていの人は,政治や,経済や,仕事や,家庭や,食事や,服や,恋人や,子どもや,親や,娯楽や,その他重要なこと,どうでもよいこと,いろいろ考えている。病気のことを考えている時間は1日のうちでほんのわずかなポーションしかないだろうし,病気のことを考えている時間が1日の大部分を占めている人は,それはそれで病んでいる。

 病気のことを考える時間が短ければ短いほど,その人の心身は健全だ。そういう逆説に気付くのも,「ライフ」の充実があってこそだ。今の常識にとらわれなければ,変えられることってたくさんある。「変えたくない自分」が,最大の敵なのである。

つづく

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook