医学界新聞

連載

2009.11.09

連載
臨床医学航海術

第46回

  医学生へのアドバイス(30)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 これまでの3回は予定を急遽変更して,ハリソン内科学書とその読破報告について述べた。今回からは,本題にもどって人間としての基礎的技能の4番目である「聴覚理解力-きく」について述べることにする。

聴覚理解力-きく(1)

「聞く」ということ
 『人間の耳は不思議な耳,
 聞いてるのに聞いてない。
 人間の眼は不思議な眼,
 見ているのに見ていない』

 この言葉は,筆者が小学校6年生のときの担任の先生が教えてくれた言葉である。

 聞いているのに聞いていない……。臨床の現場に限らずに日常的によく起こることである。

 「そんなこと前に言っただろ?」

 「いや,そんなこと聞いていない」

 「言ったよ」

 「いや,言ってない」

 この手の「言った言わなかった」の議論は,書き言葉と違って話し言葉は録音されていない限り記録として残らないので,本当に言ったか言わなかったのかということについては立証困難なものである。

 どうしてこのように,聞いているのに聞いていないという事態が起こるのだろうか?

 学生時代にこんなことがあった。試験前にみんなに出回っているノートを読むと,そこには自分のノートには記載されていないことが書かれていた。つまり,同じ講義を聞いたはずなのに,その模範とされるノートには自分のノートには記載されていないことが書かれていたのである。

 さらに,同じように試験前に同じ講義に出席した異なる2人のノートを読むと,これが同じ講義かと思うほど講義内容が異なって記載されていたこともあった。これらは,同じ内容の話が聞き手によって全く異なって理解される例である。

 また,臨床の現場ではこんなこともある。救急患者を研修医と一緒に診療しているとき,指導医が研修医に「それじゃあ,採血と心電図と胸写(胸部単純X線写真)とっといて……」と指示を出す。すると,研修医が採血と点滴ラインをとった後に,「そのあと,何するんでしたっけ?」と聞き返すことがある。

 指導医は行う検査を採血,心電図,胸部単純X線写真と明確に指示したつもりだった。しかし,当の聞き手の研修医は採血することに全神経を集中させていて,「採血」という言葉は聞いているが,それ以後の「心電図と胸写」は聞こえていないのである。

 これは考えてみれば無理もない話である。臨床経験の浅い研修医は,採血が成功するかしないかが不安で,それ以外のことを考える余裕など一切ないのである。自分も研修医のときはそうであったし,今現在でも点滴するときには実際に点滴ラインが確保できるかどうかは実際に刺してみないとわからない。点滴針を刺すときには針先に全神経を集中させて,うまく針が入らないと脂汗がダラダラと流れてくる。そんな状況で,点滴・採血の次の検査のことなど聞いていられないのである。

 この例から,人間はある一つのことに集中していると聴覚をシャットアウトできることがわかる。臨床の現場でこういう行き違いが起こらないように,筆者は指示を出すときには,一回ですべての指示を出すのはなく,一つひとつ段階的に指示を出すようにしている。採血が終わったのを確認してから,「それじゃ,次は心電図とろうか?」というようにである。

 また,これとは別に心理学で「カクテル・パーティー効果」と呼ばれる現象がある。これは,カクテル・パーティーのような喧噪の中でも,自分が聞きたいと思った人の話し声は耳を澄まして選択的に聴取可能な現象を言う。

 例えば,周りの人の話し声の中で,自分に興味がない話は聞こえないのに対して,自分に関する噂のように自分が興味ある話はよく聞こえることがある。これも一種のカクテル・パーティー効果である。つまり,「カクテル・パーティー効果」とは,受動的感覚と思われている聴覚も主体的に情報を選択できることを示しているのである。

 このように同じものが違って聞こえたり,聞いているのに聞いていなかったり,興味があることはよく聞こえたりする聴覚の特性は視覚にも認められる。「みる」ことが難しいことを以前述べたように,「きく」ことも難しいのである。次回から,「聴覚理解力-きく」ことの難しさについて考えてみたい。

次回につづく

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