ある議員立法の禍根
連載
2008.10.20
看護のアジェンダ | |
看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き, 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。 | |
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井部俊子 聖路加看護大学学長 |
(前回よりつづく)
GHQによる異議申し立て
今から57年前,1951(昭和26)年3月30日,衆議院厚生委員会特別小委員会に加わっていた青柳一郎委員は,衆議院厚生委員会に次のような報告をしている。
「本日私は丸山委員,岡委員と御一緒にGHQのサムス准将を訪れまして,看護婦制度につきまして御意見を承ったのであります。それに関しまして御報告を申し上げたいと存じます。
九時半から十一時半まで一時間半の長きにわたり,よくサムス准将はわれわれの話を聞かれ,またわれわれも腹蔵のない意見をかわし得たのであります。まず私から衆参両院,それも各党派こぞって態度をきめました将来の看護婦制度のあり方に関しまして説明をいたしました。それに対しまして,サムス准将は,従来から衆参両院におきまして,看護婦制度について自発的に,非常に熱心に調査研究を重ねて結論を得られたその状況は,つぶさに自分は知っておって敬意を表しておる。非常にうれしく考えておる。そうして皆さんのつくられたものにつきましては,自分はほとんど異議はない。ただしかし例外的なものがあって,それについては自分の意見をあなた方に話したい。この意見は,自分の意見としてある程度,しかるべき関係に話を通じておる問題であるから,と言って書面によりまして,われわれにサムス准将の意見を聞かしてくれたのであります。
それによりますと,まず第一に衆議院の看護婦制度に関する案のうちに准看護婦とあるが,この准看護婦というのはどうも名前がよくない。補助看護婦,アシスタント・ナースとしてもらいたい。これはしかし大した問題ではない」
これについてはその後,アシスタント・ナースという趣旨で名称を「准看護婦」とするということで,厚生委員会の意見の一致をみている。ここから核心に入る。
「第二点としては,六・三・三すなわち高等学校を出ました後において,衆議院の案は二年の教科課程を経て,それから国家試験を受けて大臣の免許を受けるものである。しかしこの点は自分は反対であって,やはり現行通り三年の課程としてもらいたい。それについて自分はこう思う。
看護婦の任務の本質は,国民によい医療を与えて国民を疾病から保護するにあるのだ,質をよくしなければならない。自分たちは占領5年半,この問題について一生懸命やって来たのだ。思い出せば自分たちが占領のために日本にやって来た際には,看護婦さんは召使と同じであった。ベッドについて適当な訓練を受けておらず,ほとんど召使と同じであった。〈中略〉二年,三年の問題についても,アメリカでもほかの国でも,今までいろいろな体験を持っておる。看護婦さんの数を多くしようがために教育する年数を少くしたこともあった。ところが少くしたためにかえって看護婦さんの数はふえなかった。これをこの年限を多くしたことによって質がよくなり,社会的にもりっぱな仕事であるということが認められ,また待遇もよくなり,そうして初めて看護婦さんたらんとする志願者もふえて来たという実例を,自分たちは知っておるのだ〈後略〉」
以下,第3点目は,内容の充実した学校を持つこと,第4点目は,保健婦,助産婦に1年の教育をすること,第5点目は,国家試験を行うこと,である。さらに,同伴した岡委員,丸山委員が日本の経済力などからして教育年限を2年とすべきとかなり強く主張したが,サムス准将は3年を譲らなかった,と報告している。
甲乙一本化と准看護婦制度の新設
しかしその翌日,1951年3月31日,保健婦助産婦看護婦法(以下,保助看法と略す)改正法案が,わずか10名の衆参両院超党派国会議員により国会に上程され,同日に衆議院・参議院を通過した。看護婦を甲種と乙種に分けたこと(註)に対し,人手や予算の不足などを挙げて,多くの議員が疑問を呈した。「当事者の看護婦が望んでいるから一本化せよ」などといった声もあった。このとき,看護職の井上なつゑ議員は,2月から4月にかけてのアメリカ視察のため留守であった。
この法案では,甲乙を一本化しておきながら,准看護婦制度を保助看法第6条に入れた(第6条:この法律において「准看護婦」とは,都道府県知事の免許を受けて,医師,歯科医師又は看護師の指示を受けて,前条に規定することを行うことを業とする者をいう)。さらに,講習を受けることへの看護界の抵抗と,全国で講習を行う国家予算の不足などから,国家免許の登録税として1000円を払えば乙種から甲種になれるとした。この法案は,同年11月に保助看法一部改正として国会を通過した。
そもそも,1948(昭和23)年制定の保助看法による新制度では,看護婦は高卒後3年の看護教育を受けなければならないとされ,高校進学率が24%であった当時としては高学歴であった。また国家試験に合格した者を甲種看護婦とし,それ以外の者は乙種看護婦として業務制限をつけることとしたのであった。
1951年の保助看法改正によって,(1)准看護婦に看護婦の業務ができることとなったこと,(2)(看護教育を受けていない)医師,歯科医師は看護婦,准看護婦の業務ができること(保助看法第31条・第32条)といった矛盾を抱えることとなったほか,(3)保助看法第6条によって,看護業務は法的には准看護婦の業務に格下げとされたため,給与表も医師とは別の医療職(三)表が作られた。これによって,年齢を増しても給与の上昇は低く抑えられることとなった。1948年の保助看法創設時は,看護婦は医師と同じ給与表を用い大学教育修了者並みに評価されていたにもかかわらず,である。
1950(昭和26)年の議員立法が行われていなかったら,日本の看護制度は余計な「矛盾」に悩まされることはなかったであろう。
保助看法の目的(第1条)は,「保健師,助産師及び看護師の資質を向上し,もって医療及び公衆衛生の普及向上を図ること」であるが,医師法では,医師の任務(第1条)として,「医師は,医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し,もって国民の健康な生活を確保するものとする」となっている(下線は筆者)。ここにも方向性の違いを感じる。
(つづく)
註:1948年制定の保助看法では,新制度による看護婦および国家試験に合格した者(旧制度の看護婦はすべて受験資格があった)を甲種看護婦とし,それ以外の者は乙種看護婦とすることがGHQ/SCAPと厚生省(当時)によって決められた(旧制度の看護婦は都道府県免許であった)。
【主要参考文献】見藤隆子.保健師助産師看護師法の課題,(見藤隆子ほか編)看護職者のための政策過程入門,日本看護協会出版会,2007年,56-65頁.
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