研究実践における認識論のモンダイ
連載
2008.02.25
研究以前のモンダイ
〔 その(11) 〕研究実践における認識論のモンダイ
西條剛央 (日本学術振興会研究員)
本連載をまとめ,大幅に追加編集を加えた書籍『研究以前のモンダイ 看護研究で迷わないための超入門講座』が,2009年10月,弊社より刊行されています。ぜひご覧ください。 |
(前回よりつづく)
今回は研究実践における認識論のモンダイを考えていきたいと思います。
認識論の研究実践規定力
通常,自覚されることはほとんどありませんが,方法論(研究法)は,必ず何らかの認識論(世界像)を前提としています。これは,認識論が,あたかも操り人形を繰るように研究実践の方向性を規定している,ということを意味します。
たとえば,伝統的な自然科学の認識論となっている「客観主義」は,世界は部分の集合であり細かく分析していけば世界を理解できるという「要素還元主義」と密接な関係がありますが,このような世界観に基づけば,対象をできるだけバラバラにして客観的に分析することが妥当な手段(方法)ということになります。伝統的なGTA(Grounded Theory Approach)における「切片化」,行動主義における「客観的なコーディング」といった分析手法は,こうした世界観を前提としているといえるでしょう。
他方,現実は社会的に言語により構築されるという「社会的構築主義」を認識論にすえれば,そうした「現実」を知るためには,必然的に現実を構築する媒体である言説(新聞,報道,著書,語り,クレーム)といったものを質的に分析することが妥当な方法ということになります。
このように特定の方法論は,必ず何らかの世界像(認識論)を前提としており,その世界像(世界はどのような性質のものか)の違いが,「その世界をどのように探求すればよいか」といった探求手段(研究法)を規定している部分が少なからずあるのです。
このことを深く理解しておかないと,対象をバラバラに分解することこそ客観的な正しい分析手段であると思い込んだり,逆に対象を丸ごと記述することこそ対象を生き生きと捉えられる正しい方法と思い込んでしまい,分析手段における不毛な信念対立に陥ることになります。
こうした事態を避けるためにも,認識論が研究実践をその根底から規定している側面があることを自覚しておく必要があるのです。
マルチメソッドのモンダイ
ところで,最近では量的研究VS.質的研究といった二極図式を超えるべく,双方を組み合わせる「マルチメソッド」(ミックスドメソッドやトライアンギュレーションと呼ばれることもあります)も推奨されるようになってきました。双方を柔軟に使いこなそうというわけです。これは多角的な研究実践を可能にするという意味で大変好ましいことといえるでしょう。
しかし,マルチメソッドによって研究実践上のモンダイは万事解決かというと,残念ながらそうは問屋が卸してくれません。マルチメソッドの背後には認識論に起因する「共約不可能性」のモンダイが潜んでいるためです。
共約不可能性のモンダイ
共約不可能性とは,「認識論は世界認識の根本形式であるために,背反する認識論は相容れない」というモンダイです。「外部世界の先験的実在性」を前提とする客観主義は,「外部世界の構築性」を前提とする社会的構築主義のような認識論とは論理上相容れない,というわけです。
そして先述したように方法論の背後には必ず認識論(世界像)が張り付いています。したがって,背反する認識論を前提とした方法論は「共約不可能」であるため併用することができない,ということになってしまうのです。これは海外をはじめ,マルチメソッドを推奨する多くの研究者によっても指摘されている方法論が抱える根本問題なのです。
無視すればよい?
「いや,そんな共約不可能性などといった抽象的な問題は,科学的研究には関係ないのだから無視すればよい」と思われるかもしれません。しかし,学会発表や論文審査の場で,こうしたモンダイを指摘された際にしっかりと答えられなければ,「この研究は論理的一貫性が欠ける」ということで,低く評価されることになってしまいます。学問とは基本的に「コトバによって他者との共通理解を広げていく営み」ですから,論理的な指摘には,論理的に返答する必要があり,科学的研究もこの例外ではありません。
共約不可能性の中核を見定める
では次に,この共約不可能性のモンダイの中核を見定めつつ,それをクリアする筋道を拓いていきましょう。
実は,このモンダイのコアは認識論の根本仮説的性質にあります。通常の認識論は根本仮説である以上,信じてもらえないことには始まりません。いい換えれば,信じることを要請するのであり,異なる根本仮説を信じる人には了解されることはないのです(その点では宗教と形式上同じといえます)。そのため,あらゆる方法論が根本仮説に依拠している限り,マルチメソッドにかけられた共約不可能性の「呪」(難問)を解消することはできない,ということになります。
呪を解く魔法のコトバ
この呪を解消する魔法のコトバが「現象」です。ここでいう「現象」とは,すべての立ち現れのことです。これを基点にすることによって,共通理解の可能性が拓かれます。
……えっ,現象も根本仮説じゃないのかですって?
そうではないのです。なぜでしょうか? 「現象」は,徹底的な懐疑の果てに見出された探求のための「底板」となる方法概念だからです。
現象は,疑われることによりその真価を発揮します。たとえば,「あなたが今ここでこの連載記事を読んでいる」ということに関して懐疑を働かせてみましょう。もしかしたらここに書いてあるコトはウソかもしれません。西條剛央などという人物は実在しないかもしれません。これを読んでいること自体,夢かもしれません。しかし,たとえそうであったとしても,そうした現象を疑っているということを含めて,その「現象」は,そのように立ち現れていますよね?
現象は「立ち現れ」ですから,内容を問いません。したがって,外部世界の出来事であっても,夢でも妄想でも勘違いでも,意味でも言説でもそれが立ち現れているということに変わりない,ということになります。したがって,客観主義が前提とする「外部世界」も,物語論が前提とする「意味」や「物語」も,社会的構築主義が前提とする「社会」や「言説」も,唯脳論者が前提とする「脳」も,「立ち現れ」である「現象」に内包されることになります。現象という方法概念によって,あらゆる認識論は立ち現れているという点で権利上等価に位置づけられることになったといえるでしょう。
現象は“方法概念”ですから,あらゆる認識論の壁を越える「探求対象」を設定するという“目的に照らして”,その機能を吟味することが可能です。その結果「なるほど論理的に考える限り,現象を底板とすることでその目的を達成できるな」と了解を得られたならば,いかなる認識論的立場であっても「立ち現れたすべての経験」である「現象」を探求し,記述,構造化するという共通地平を得ることができるのです(註)。
認識論の視点化
この現象を基点とすれば,認識論は,現象に立ち現れた「世界認識に関する構造」の一種ということになります。つまり,認識論とは,「現象を認識する1つの視点」ということになるのです。
ここでいう「視点」とは,いわば具体的な形をもたない「抽象的な眼鏡」を意味します。すなわち,「全体は部分の集合である」という「要素還元主義的な視点」から現象をみるならば,「世界」は分解可能な集合体にみえますし,「動的な視点」からみれば,「世界」は常に移ろう姿としてみえる,ということなのです。
認識論の関心相関的選択
認識論が「現象を認識する視点」ということは,現象を記述するためのツールとして使えることを意味します。ツールである以上,その価値はやはり関心や目的に応じて決まります。したがって,研究者の関心に応じてさまざまな認識論を柔軟に選択し,活用すればよいということになるのです。これを「認識論の関心相関的選択」と呼びます(これは第2回で述べた関心相関的選択のヴァリエーションです)。
現象と関心相関性という2つの方法概念を組み合わせることにより,研究目的(関心)を軸に,異なる認識論に基づく研究法を併用することを可能にしたのです。これにより共約不可能性のモンダイを解消する理路(道具立て)が整ったことになります。
次回はマルチメソッド研究を実施する際のコツについて考えてみたいと思います。
(この項つづく)
註:この「現象」というコトバは,構造構成主義において欠かすことのできない方法概念です。これまでも使ったことがありますし,今後も登場すると思いますので頭のどこかに留めておいていただければと思います。
◆西條剛央氏 関連情報
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西條剛央氏
早稲田大学人間科学研究科にて博士号取得後,現職。養育者と子どもの「抱っこ」研究と並行して,新しい超メタ理論である構造構成主義の体系化,応用,普及を行っている。著書に『構造構成主義とは何か』(北大路書房)『ライブ講義・質的研究とは何か SCQRMベーシック編』(新曜社)などがある。
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