医学界新聞

連載

2007.12.17

 

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第36回〉
「当たり」と「はずれ」

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 秋は日暮れが早い。久しぶりに空いた時間ができたので,職場の近くのスポーツクラブでアクアビクスをした帰り道,暗闇からぬっと現われて,「こんばんは」と声をかけてきたのは,今年4月に卒業して病院に就職した「新人看護師」のカテゴリーに入るFさんであった。

 時計は午後10時にならんとしているのに,「日勤」の帰りだという。もと看護管理者であった私の口をついて出たのが「こんな時間まで何をしていたの」であった。彼女は率直に,受け持ち患者のベッドバス(全身清拭)をしていたと言った。そして自嘲気味にこうつけ足した。「患者さんのためというより,先輩に怒られないように(ベッドバスを)している自分がなさけない」と。さらに「来年はどうしたらいいのか迷っている」とも言った。私は「今が大切,今を乗りこえることができれば来年は大丈夫よ」と言ったが,胸が痛んだ。

先輩は新人によって評価されている

 『看護師のキャリア論』(勝原裕美子著,ライフサポート社,2007年)に〔プリセプターに戸惑うあるプリセプティの話〕が語られる。少し長いが,新人看護師を代表しているような“話”なので,引用させていただく。

 「“当たり”と“はずれ”。就職して3か月。最近,私たち新人看護師の間では,プリセプターのことをそう表現して互いに慰め合っている。就職前の病院説明会では,教育担当の副看護部長が“うちでは,プリセプターシップに力を入れています。皆さんが,少しでも早く職場に適応できるように,万全の体制でお待ちしています”なんて,にっこり笑いながら言ってたけど,他の病院に就職した子もプリセプターについてもらってるって言ってたから,別に,うちの病院のプリセプターシップがめずらしいわけじゃない。問題なのはプリセプターシップがあるかないかじゃなくて,プリセプターが“当たり”か“はずれ”かってこと。

 私のプリセプターは,完全に“はずれ”。とにかく,プリセプターになったことを嫌がっていることが,もろわかる。嫌だったらしなきゃいいのにって思うけど,そうはいかないらしい。忙しい部署だから,私のことをかまってくれないのは仕方ないと思う。私みたいなのにかまっていたら,患者さんのことがそっちのけになってしまうのが目に見えてる。だけど,聞きたいことがあるのに,それを聞けないような雰囲気を出すのはやめてほしい。この間も,導尿を初めてするからついてほしいってお願いしたら,“物品は何を用意するのかわかってる?”って,にこりともせず聞かれて,私がしどろもどろになっていたら,プイッてして,それっきり口を聞いてくれなくなっちゃった。答えられない私が未熟なのはわかってる。前の日から導尿につくかもしれないってわかってたら勉強してきたけど,いきなりだったから,こっちもうろたえていたのに。そんなふうに無視されたら,“何? この人?”って思っちゃう。そういうの“はずれ”って言うんだ。

 “当たり”のプリセプターは天使のよう,新人が困ってないかな? っていう目でいつも見てくれている。何か聞いても,丁寧に教えてくれる。自分がすることがいっぱいあるだろうに,自分に負担がかかっている素振りをみせない,そういうプリセプターのほうが“はずれ”さんよりも,実は多くの仕事をさばいていることを,私たち新人は新人ながらも感じている,だからこそ,余計に感謝したくなるんだ。

 私が落ち込んでいたら,同期の子は“はずれ”だから仕方ないよっていうフォローをしてくれるけど,私的(わたしてき)にはそれですまない。だって,いつまでたっても,先輩に対して怖いっていう気持ちのままだし,何も前に進まないから。(後略)」

 というわけである。先輩は新人によって評価されていることを,先輩は認識しておく必要がある。

 新人看護師たちが体験している「今」は,看護師としてのキャリアの節目であり,生涯にわたってそうした節目があることを勝原さんは説いている。節目は成長の年輪である。

つづく

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