医学界新聞

連載

2008.01.28



看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第37回〉
文明と看護

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 ある朝,静かな大学の廊下は「だれー?!」というH教授の叫びで“覚醒”した。トイレの便器の中に排泄物が流されないままであったのを見た,と彼女は声をあげたのである。それから数日間は,ひとしきり“類似したできごと”を発見したという話でもりあがった。

 われわれの論議はこうである。現代文明はさまざまな「便利」をもたらした。インターネットや携帯電話が筆頭に挙げられるが,「おしもの世話」に価値を置く看護の世界ではトイレ事情の様変わりがこれにあたる。最近のトイレは,洗面所の入口に人が近づくとぱっと電気がつく。トイレに入ると便器のふたがすっとあく。排泄が終わるとお尻を洗い乾かしてくれる。便座から立ちあがると自動的に水が流れる。手洗いは蛇口をひねらずとも水が出る。ぬれた手は機械が乾かしてくれる。このような生活が当然と思っている若い世代(つまり学生たち)は,自分の排泄物がどんな状態にあるかを“ふり返り”,きちんと始末をしてトイレを出ていくという一連の行為を怠ってしまうことになるのだ。

看護学部入学生の生活体験

 一昔前は,看護の教育者たちが,今ごろの学生は雑巾をしぼることができないと嘆いたが,現代では雑巾という言葉すら死語になりつつある。

 「看護学部入学生の生活体験調査」(主任研究者・菱沼典子,2007年)(n=31)では,33の項目について生活体験の有無を問うている。

 「生活体験あり」が100%であった項目は,「食器洗い(台所の後かたづけ)をしたことがある」,「寝る時に着替える」,「着物(浴衣)を着たことがある」,「食べた後,口の周りに食べ物が付いていたら気になる」の4項目であった。

 次に,96.8%が「生活体験あり」と回答した項目は,「自分の部屋以外の掃除をしたことがある」,「家のごみをゴミ捨て場へ持っていったことがある」,「雑巾を使って拭き掃除をしたことがある」,「洗濯物をたたんだことがある」の4項目であり,「自分のために食事を作ったことがある」(93.5%),「家族や友達のために食事を作ったことがある」(90.3%),「自分の部屋の掃除をしている」(90.3%)と続く。ここまでは生活体験ありが9割を超えている。

 次に8割台の項目をみてみよう。「お風呂場の掃除をしたことがある」(87.0%),「自分だけの部屋をもっている」(83.9%),「ふとんではなくベッドで寝ている」(83.9%),「眠るとき電気を消す」(83.9%),「お年寄りと生活をしたことがある」(80.6%)などがある。

 「生活体験あり」が7割台の項目は5項目である。それらは,「食事の前に手を洗う」(77.4%),「雑巾を縫ったことがある」(77.4%),「洗濯をしたことがある」(77.4%),「病気の人が家庭にいる。またはいたことがある」(74.2%),「お花の水をかえたことがある」(71.0%)などである。

 「生活体験あり」が6割台の項目は,「お年寄りの世話をしたことがある」(67.7%),「シーツは自分で替えている」(64.5%),「脱いだ靴はいつもそろえる」(61.3%),「革靴を磨いたことがある」(61.3%)であった。

 「家のトイレの掃除をしたことがある」(58.1%)や,「子どものオムツを替えたことがある」(41.9%)などの生活体験は低く,「浴槽に湯が入っていると,湯をかき回してから入る」(32.3%)では7割近くの人がそうしていない。近ごろのお風呂は,「お風呂がわきました」と機械がアナウンスしてくれ,温度も一定にしてくれているのでそのせいであろう。私の友人で,「機械に指示されているようでけしからん」といっている中高年者がいるが,所詮つぶやきに過ぎない。

文明の発展がもたらすケアの力量低下

 看護を学ぶ者がどのような生活体験をしているのかが,看護のセンスに影響を及ぼすと考えると,文明の発展が人間のケアに対する力量を低下させているといえよう。前述の看護研究者たちは「少子化社会の学生の特性に合わせた看護学導入プログラムの開発」(文部科学省科学研究費,基礎研究B)を行うための全国調査を実施している。センサーの発達が人間のセンスに影響を及ぼし,文明が看護学の課題を増大させている。

つづく

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