医学界新聞

連載

2018.11.26


看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第167回〉
武弘道のメッセージ

井部俊子
聖路加国際大学名誉教授


前回よりつづく

 2018年10月に日本看護職副院長連絡協議会で講演をするため,久しぶりに『目指せ! 看護師副院長――看護師が病院を変える!』(武弘道編著,日総研出版,2008年)を手にした。たちまち,人懐っこい武先生()の笑顔が立ち現れ,天国から「その後,どうしていますか」と問われている感じがした。武先生はひとりでこの本の編集を企画し,22人に執筆を依頼し,ご自身も原稿を書いている(私も執筆者のひとりである)。

「407対227」の意味するもの

 武先生は,「生涯を病院の勤務医として過ごし,看護師諸氏のサポートの下に良い医療をしようと悪戦苦闘し,最後の15年は病院事業管理者として3つの県の8つの病院を経営した。病院というところを最もよく知っている医師の一人であり,その経験から“良い病院”になるには看護師を副院長にすることが必須だと考える」と冒頭で述べる。つまり,「“良い病院”であることの第一の必須条件は実力があり,やる気がある看護師がそろっていること」であり,「良い病院にしようとする看護師たちの声が病院の経営・運営に反映されねばならない」と主張する。

 さらに,「大学卒の資格を持ち,とくに目立った能力を持つ看護師のみが,医師に伍して副院長になるべきという考えには反対である」とした上で,「必ず副院長になるという制度的なものにするべき」と述べる。そして,こうつけ加える。「私は看護部長や看護師長の中に,病院の副院長職を担うのにふさわしい能力と意欲を持った方々がたくさんいることを知っている」。

 しかし,看護師副院長を作る上で妨げになっていることがある。それらは,①日本という異常な学歴重視社会であり,②女性蔑視社会であり,③官僚たちの無理解であり,④看護師たちの中にある自己規制であると指摘する。

 2004年8月に開催された日本看護管理学会年次大会のディベートで「看護職の副院長は定着するか」が取り上げられた。肯定側ディベーターと否定側ディベーターの各3人によって,立論,反対尋問,答弁がそれぞれ行われ,最終的には会場の聴衆が判定するしくみである。双方の弁論を聞いて聴衆が下した判定は「肯定407,否定227」であった。この結果を受けて,武先生は「看護師の3分の1は看護師副院長は必要ないと思っており愕然とした」と述べ,「看護師は看護部長止まりでよい」という意見に「びっくり」している。

 そして次のように武先生は断言する。「日本の病院は医師中心で動いてきた。いま,そのあり方が,地域住民や患者サイドから批判され変革を求められている。看護職に国民の期待がかけられていることを看護師一人ひとりが自覚してもらいたい」。

看護職副院長連絡協議会のこれからの10年に向けて

 講演の当日,「あれから10年,看護職が副院長になって何が変わったのでしょうか」と私は会場に問い掛けた。

 Aは,最初の1年は副院長という肩書きを名刺に書き入れるのをためらった。恥ずかしかったという。現在は全職員と経営のことを考えて仕事をしている。

 Bは,副院長として経営会議に出席することで発言の重みが増した。看護師長のモチベーションも上がった。

 Cは,副院長として正当に意見を述べることができ,看護部の地位が上がったと思う。

 Dは,副院長手当がつき,報酬が上がった。それに見合った仕事をしなければならないと自分を戒めている。

 Eは,院長の若返りということもあり,専任の副院長として頼りにされている。

 Fは,医師の採用面接に参加している。経営会議の意向を看護部長に説明する。

 Gは,副院長になって変わったのは事務方の反応であると感じる。看護部の意見を聞くようになった。

 看護職副院長連絡協議会は何をすべきかについても提案があった。一つ目は,看護職副院長の実態を把握する必要があるということである。誰がどこでどのような役割を果たしているのかを調査し明らかにすること。二つ目は,看護職副院長の仕事の標準化ができると良いということである。これによって看護職副院長の水準を維持し,社会的な位置付けを確立できる。三つ目は,看護職副院長としての研修の機会を確保することである。もはや「看護管理」の範囲では不十分であり,「病院管理」を学修せねばならない。

 武先生が『目指せ! 看護師副院長』を著してから10年。長く看護職副院長連絡協議会の会長として組織を牽引してきた桃田寿津代氏の急逝をきっかけとして,この間のわれわれの歩みを総括し,看護職副院長連絡協議会の組織を強化し,これからの10年を展望する絶好の機会となった。医師でなければ病院長になれないというわが国のルールは,世界の標準でないことも知っておきたい。

つづく

:武弘道氏(たけ・ひろみち,1937~2009年)。62年九大医学部卒,同大にて小児科学専攻。病院勤務医として米国に2度留学。93年鹿児島市病院事業管理者兼院長。その後は病院改革の手腕を見込まれて埼玉県(2001年~)や川崎市(05年~)から招聘され,病院事業管理者として公立病院の再建に尽力した。

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