医学界新聞

連載

2017.08.28


看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第152回〉
追悼

井部俊子
聖路加国際大学名誉教授


前回よりつづく

 日野原重明先生が2017年7月18日朝,亡くなられた。105歳であった。1941年に聖路加国際病院に内科医として赴任されて,以来76年間にわたり活躍された。その業績は報道で紹介されており,日野原先生との出会いをそれぞれの人がそれぞれに思い起こしたことと思う。

 日野原先生が1992年から4年間,聖路加国際病院院長を務められた間,私は1993年から看護部長・副院長としてご一緒した。その年の連休明け,5月6日に行われた私の就任式の写真が手元にある。就任式はお昼の時間に開かれた。写真右手前に写っているのは日野原先生の後ろ姿である。私は「管理職だけが管理や統制を行うのではなく,各看護単位が権限を持たなければならず,分権化と機構の簡素化を図ることによってピラミッド組織を変えていきたい」といった内容の就任あいさつを行なった。就任式を終えて院長室に立ち寄りお礼を述べた。すると日野原先生は相好を崩して,「よかったよ」と言ってくださった。まるで昨日のことのようである。日野原院長のもとで地下鉄サリン事件を経験したのが1995年3月である。

写真 看護部長・副院長就任式にて

看護部門のトップを副院長に抜擢した意図

 私が看護部長・副院長に就任した際,雑誌「病院」(52巻8号,1993年)の取材に対し日野原先生は次のように述べている。

 「私が聖路加国際病院の院長に就任してまず最初に手をつけたのは組織の大幅な変革であった。その最大の眼目が従来4人の医師で独占してきた副院長のポジションの1つに看護部門のトップが就くようにしたことだった。病院職員の半数を占める大部隊=看護部を統率する人に経営にも参画してもらい,病院経営との整合性を図りながらケアの質を向上させてほしいと考えたからである。

 井部さんは聖路加看護大学を卒業後,聖路加国際病院に就職。聖路加看護大学大学院修士課程に学んだ2年の休職期間をはさんで18年間,臨床の第一線で活躍してきた。修士号を取得して内科の婦長を勤めたのち,日赤看護大学で教壇に立つという“他流試合”も経験している。これは,生え抜きの多い看護職の中で,聖路加の看護を相対的にみることができる強みになっている」

 そして,当時博士課程に在籍して看護管理をテーマにしていた私に「それを実証する格好のステージを与えたことになる」と述べ,続ける。「彼女は団塊の世代に属する新しい世代の看護管理者である。病院勤務看護婦の実務面の主力ともいえる20~30代の若い看護婦が生き生きと仕事に打ち込めるようになるには,部門トップとの良好なコミュニケーションは欠かせない。その意味でも,彼女らの意見に積極的に耳を傾けている井部さんの姿勢は高く評価できる。褒めすぎと思われるかも知れないが,5月に就任した彼女と2か月余り一緒に仕事をして,自分の決めた人事が“正解”だったことをとても嬉しく思っている」

 さらに先生はこうつけ加える。

 「願わくば,井部さんには単に聖路加国際病院の枠にとどまらず,現在の立場で研究と実証を積み重ねる中から,日本の実情に合った看護管理の確立に向けて,その牽引役を担ってほしいと期待している」。日野原先生の期待に応えているだろうかと,あらためてわが身を振り返る。

葬送・告別式

 2017年7月29日,青山葬儀所で日野原先生の葬送・告別式が行われた。祭壇は白いバラやピンクのカーネーションで埋め尽くされ,白衣姿の笑顔の遺影が飾られた。

 ケビン・シーバー司祭(聖路加国際大キリスト教センター)は説教で日野原先生の功績をたたえるのをやめ,オットー・フォン・ハプスブルグ氏(2011年7月4日死去)の葬儀の模様を次のように語った。死者へのミサが終わると,棺はハプスブルク家の墓所がある教会へ運ばれ,市民に最後の別れを告げた。教会に到着した棺の前で,入堂祈願が行われる。使者が教会の戸を3度たたく。

修道士「ここを通らんとする者は誰か」
使者「オットー・ハプスブルグ,オーストリア・ハンガリー王国の皇太子であり,ハンガリー,ボヘミア,ダルマチア,クロアチア,スロヴェニアの……」とハプスブルグ氏の王国での称号を読み上げる。
修道士「その者は知らない」

 使者,もう一度教会の戸を三度たたく。

修道士「ここを通らんとする者は誰か」
使者「オットー・ハプスブルグ博士は汎欧州同盟の会長であり,数多くの名誉教授の称号を受け,国家や教会から多くの勲章を得た……」
修道士「その者は知らない」

 三度目,使者は入場を祈願する。

使者「主の憐れみを必要としている罪人であるオットーです」
修道士「その者なら知っている」

 教会の戸が開く。そして兵隊たちが棺を肩に担いで入る。

 天国の門を通らせてもらえる唯一の資格は,へりくだり,自分が神の憐れみを必要としている罪人であると認めることだ,とケビン・シーバー司祭は説く。司祭はこうして,日野原先生の信仰と偉業を賛美した。彼の説教は,私に深い感動をもたらした。

つづく

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