医学界新聞

連載

2013.02.25

看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第98回〉
駒野リポート ――病いの克服

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 2013年1月19日付の朝日新聞夕刊,「22人の色紙」(『窓 論説委員室から』)は,聖路加関係者に大きな励ましと若干の自負をもたらした。論説委員の駒野剛氏の約1年にわたる入院生活における看護の評価である。

 彼は,「つらい検査と思わしくない結果の繰り返し」で自暴自棄になり,もう明日を望めぬのではないか(という)不安にさいなまれるなか迎えた誕生日に,病棟の看護師ら22人全員が書いてくれた色紙とともに「ハッピー・バースデー」の歌で祝福された。その色紙は,「言葉はそれぞれだが,人の情けと生きる力が伝わってくる」ものであった。「彼女たちは,なえた心を笑わせ,しかってくれた。私の病気とともに闘い,私の心に巣くった絶望という病も癒してくれた」のである。そして,創設者の米国人トイスラーによる「人の悩みを救うため,愛の力が働けば,苦しみは消え人は生まれ変わる。その愛の力が誰にもわかるよう造られた生きた有機体」という精神が,世紀を超えて生き続けると書いている。

ジャーナリストが患者の立場でみた「看護の課題」

 それから5日後,私は記事の行間を知りたいと思い,駒野氏に会った。彼は私の申し出に心よく応じてくれ,論説委員室の会議のあとだと言いながら,本学にやって来てくれた。

 「(長い療養生活のため)自分は病棟での牢名主でした」と自嘲しながら,看護師たちの働きぶり,担当してくれた医師たちの個性など論説委員らしい冷徹な観察力で率直に語ってくれた。「共同体としてのメンバーが支え合い,応分の責任を果たしている」と述べ,「ここで死んでもいいと思えるような信頼感がある」と言った。

 しかし,ここから先はトーンが変わり,「看護のアジェンダ」となる。

 まず,看護の質を上げるために,看護師の「熟度を上げる」方策が必要であると指摘する。医療の繁雑さの中で,若い看護師たちは追い立てられている。彼女たちが,先輩のやり方や危機管理方法を「盗む」という機会が,個室化によって少なくなっているのではないかというのである。

 二つ目は,看護師たちはPCと向き合う時間が,あまりにも長くなっていること。PCの調子にも振り回されている。どうもPCが主で,患者が従となっているようだという。こうした現象は新聞記者にも顕著であり,最近の総理大臣などの記者会見でも,会見内容のPC入力に専念するため,記者からの鋭い質問や指摘が減ったと苦笑いする。

 三つ目は,国際的な医療機関認証であるJCI受審のためにさまざまな変更が行われたが,その変更がサービスのレベルダウンになっていること。清拭に使うタオルを病室内のシンクで洗えなくなったのは,その一例であると言う。タオルは別の手段で温めざるを得ず,作業に時間がかかり,煩雑になる。その結果,看護師の負担が増し,他の作業に影響が出る。JCI認証を受けるなら,機材や人材も伴わないと,結局人力に頼ることになる。看護は近代化,国際化に翻弄(ほんろう)されていると指摘する。

 四つ目は,医師の処方忘れや処方切れに振り回されている看護業務の在り方である。抗菌薬の処方が抜けているので,看護師はPHSでコールし,医師を探す。こうした作業でタイムラグができて困るのは結局,患者である。「ならぬものはならぬのです。ダメな医師にはNO!」と毅然(きぜん)と言うことができる権限を持つ必要がある。「看護師たちが患者のそばにいて,患者をわかり,患者の味方であると保証すること」こそ大切という指摘は私の胸に刺さった。

 1時間ほどの会談のあと,彼は「病院に立ち寄っていく」と言って去った。

退院後に気づいた看護の価値

 夕方,二つの大事なことを伝え忘れたというメールが届いた。

 そのひとつが,情報処理に関してであった。「患者の情報は,患者が知る前に医師と看護師が把握して,いろいろな治療,看護方針を立て,それらに基づいて患者に説明するべきもの」であり,医師が情報を独占して「情報の上意下達が続けば,看護師の従属的な立場は変えられない」と断じた上で,「そうした不十分な情報処理では医療の質は下落する」と指摘する。

 これは治療方針,処方の変更,手術の見通し,検査の判断など,入院中たびたび看護師が口にした「先生はなんとおっしゃっていましたか」に対する批判である。看護師がこのように言うと,患者は,「この看護師は何もわかっていないんだ」と思うのだと言う。患者情報は医師の独占物ではないのであるから「患者の負託を受けた医師と看護師の同時共有というルール,仕組みを確立することが不可欠である」と提言している。

 伝え忘れた二つ目のことは,私にとって大きな感動をもたらした。メールには,自らを鼓舞するように「病いからの克服」が記されていた。「10月31日に退院しました。本来であれば,晴れ晴れとした気分で,ゆっくり眠れそうなところですが,そうではありませんでした。不安で不安で仕方なく,どうにも寝つけません。こんなに強い恐怖心に襲われたのは生まれて初めてでした」。

 そして,彼はベッドの中で自問する。
「答えはこうでした。それだけ手厚いナースたちの看護に守られてきたのだ。それがあるのとないのとではこんなに気持ちに差があるのだ」と。最後に駒野リポートはこう締めくくっている。「入院中は当たり前と思っていた看護の重みをあらためて認識するとともに,そうした庇護から独り立ちしていくことが病いの克服であると思いました」。

 まさに,生命を賭けて伝えてくださった看護へのメッセージに,謙虚に耳を傾けたい。

つづく

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