医学界新聞

連載

2011.02.14

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第191回

アウトブレイク(7)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2914号よりつづく

前回までのあらすじ:19世紀後半,天然痘予防接種を法律で義務化する動きが強まった。


 ボストンで天然痘が最後に流行したのは1901-03年のことである。このときの流行は,感染者1596人・死者270人を出したが,予防接種の「義務化・強制」をめぐってさまざまな事件を引き起こしたことでも知られている。

予防接種の強制が訴訟に発展

 当時マサチューセッツ州で行われていた「義務化」は,天然痘予防接種を公立学校入学の要件とするものだった。そのため就学直前に予防接種を受ける例が多かったのだが,1901-03年の流行で1-5歳児と6-10歳児を比較したとき,その感染率は6倍以上異なり,予防接種の効果は明らかだった。しかし,就学直前に受けた予防接種の免疫効果が時とともに薄れることは明らかだったし,流行発生が判明した直後,ボストン市当局は全市民に対して「自発的に」予防接種(再接種)を受けるよう呼びかけた。

 当時ボストンの人口は約56万人。1901年12月の時点で40万人の市民が予防接種(あるいは再接種)を受けたと推察されたが,市当局は翌02年1月,全市民への予防接種をめざして「戸別訪問」を開始した。その際,「市は予防接種拒否者に対して5ドルの罰金あるいは15日の収監を科すことができる」と定めた州法を厳格に適用することも決められた。さらに,「ホームレスは危険な感染源」とする偏見があったため,彼らに対して警官が暴力的に体を押さえつけた上で予防接種が強制されるような乱暴なことも行われたのだった。

 当局が予防接種強制の動きを強化したことに対して,当然のことながら,「強制」に対する反対運動もわき起こった。02年1月には予防接種拒否に対する罰則を定めた州法を廃止する法案(複数)が州議会に提出されたが,マサチューセッツ州医師会など医療界の主流が「強制」を支持したこともあり,翌2月,廃止法案はすべて否決された。

 一方,ボストンに隣接するケンブリッジ市では,「予防接種を強制する州法は人権侵害」と,罰金を科された市民が訴えを起こした。この訴訟が終結したのは3年後の05年であったが,連邦最高裁は「州は危険な疫病から社会を守る権限を有する」とする判決を下し,予防接種強制を定めた州法に対して「合憲」のお墨付きを与えたのだった(註1)。

ファイファー事件

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