医学界新聞

連載

2009.01.12

「風邪」診療を極める
Primary CareとTertiary Careを結ぶ全方位研修

〔 第5回 〕

とんだ勘違い:「スペイン風邪」も風邪のうち?

齋藤中哉(医師・医学教育コンサルタント)


2808号よりつづく

 前回は,急速進行性糸球体腎炎(RPGN)に学びました。「風邪」診療に必要な「劇症疾患に対する免疫」もだいぶ備わってきたころでしょう。今回は,患者にも医師にも獲得免疫がない場合,どういう事態になるか,考えを巡らせてみます。

■症例

Oさんは19歳・女性,農学部畜産学科の2年生。「風邪を引いた後,喘息の発作が出た」。小児喘息の既往あるが,最近10年間,発作なし。

ビニュエット(1)
C医療センター救急外来にて

6月のとある日曜日。久しぶりに寝坊しようと思っていたOさんは,体が燃えるように熱く,全身の関節と筋肉の痛みで早朝覚醒。お昼過ぎから咳と痰が出始め,息苦しくなった。「昔の喘息が再発?」と思いながら,混雑しているC医療センター救急外来を初診。 体温39.0℃,血圧96/68mmHg。皮疹なし。口咽頭に異常なく,項部硬直,リンパ節腫脹なし。心音:整,雑音なし。呼吸音:両側性に喘鳴。Peak expiratory flow(以下,PEF)75%。喘息の既往を伝えると,担当医はこれだけの診察により,短時間作用性β2刺激薬の吸入を施行。自覚症状改善し,PEFも87%に改善。「風邪による喘息の発作でしょう」と説明し,1日分の長時間作用性β2刺激薬(貼付)と吸入ステロイド薬(中用量)を処方し,翌日のかかりつけ医受診を指示した。

喘息以外の疾患の可能性は?

 生来健康なOさんは,咳が出て息苦しくなる疾患といえば,喘息以外に経験がありません。「喘息の再発」と考えて無理もありません。担当医も喘息の既往と喘鳴に直接に焦点を当てています。しかし,喘鳴→喘息の飛躍は誤診の定番で,喘鳴の存在は肺炎,心不全を除外しないことに注意しましょう。喘息だとしても,10年ぶりの再発ですから,誘因の評価(喫煙,気道感染,アレルゲン,服薬,運動,生活環境,ストレス水準)が重要で,それなしに的確な治療は導けません。「農学部畜産学科」は,環境因によるアレルギーと人畜共通感染症の2柱を思い起こさせます。上気道カタルを伴わない突然の高熱,全身の関節痛,筋肉痛は,冬季であれば,真っ先にインフルエンザを疑いますが,「季節はずれ」の場合,皆さんはどう対応しますか?

ビニュエット(2)
A小児科医院を受診

翌日,小学校4年まで喘息治療でお世話になったA小児科医院を受診。「お久しぶりです。何年もなかった発作が出て,昨日,センターの救急外来で治療してもらって,少しよくなったのですが……」。Oさんは,4日前に東南アジアI国を出発,3日前に香港を経由して,2日前に帰国したことを報告。「I国では何を?」「大学の国際実習で養豚です。K地区に4週間滞在しました。豚さんがとってもかわいくて……」。家禽,野鳥には接触せず。頭痛,胸痛,嘔気,嘔吐,腹痛,下痢なし。体温38.6℃,呼吸数24回/分,脈拍108/分,血圧90/56mmHg。息を切らし,顔面に玉のような汗。背中より両側中下肺野に水泡音を聴取。

A医師は,咽頭拭い液を検体としてインフルエンザ迅速診断キットを施行。結果,A型陽性。Oさんにリン酸オセルタミビル150mgを内服してもらい,サージカルマスク着用の上,個室で待機してもらった。直ちに所轄の保健所に電話連絡。診療所を臨時休診とし,全職員にリン酸オセルタミビル75mg/日×10日分を処方し,初日分を内服。N95マスクを装着してもらい,保健所員の到着を待った。

なぜ保健所に連絡したのですか?

 インフルエンザ流行は冬季。すなわち,北半球で11月から4月,南半球では5月から10月。低湿がウイルスの生存に適しているからです。では,寒冷乾燥期以外に,インフルエンザは発生しないでしょうか? 答えは「否」。国立感染症研究所・感染症情報センターによれば,2008年6月から7月にかけて,高齢者救護施設(青森県)でAH3亜型インフルエンザ49名,大学(岡山県)でAH3亜型インフルエンザ34名,小学校(千葉県)でB型インフルエンザ25名が集団発生しています。地理をタイ,インドネシア,ベトナムなどに移せば,高温多湿な熱帯および亜熱帯でも通年でインフルエンザが発生していると理解されますし,歴史をひも解けば,スペイン風邪(1918-1920年)もSARS(2002-2003年)も,春から夏にかけて大流行しました。

 A医師が保健所に連絡した理由は次の2点です:(1)病歴から鳥インフルエンザH5N1亜型の国内発生が疑われ,緊急検査が必要。(2)Oさんの呼吸が窮迫しており,感染症指定医療機関での入院治療が必要。2008年,鳥インフルエンザH5N1亜型は4類/5類感染症から2類感染症に指定変更されていますので,ご注意ください。

ビニュエット(3)
C医療センターICUにて

Oさんは第二種感染症指定であるC医療センターへ転入院となった。陰圧室に収用され,診療チームの全員がN95マスク,ゴーグル,手袋,ガウンを装着。入室時,バイタル・サインは上述から著変なし。酸素投与Face Mask5.0l/min.下で動脈血ガス分析pH 7.37,PO2 120mmHg,PCO2 34 mmHg,BE=-1mEq/l,SaO2=98%。白血球3,800/μl,Hb12.3g/dl,血小板10.3万/μl。Cre0.9mg/dl,ALT 70 IU/l。胸部レントゲン上,両側中下肺野にびまん性浸潤影。A小児科医院での咽頭ぬぐい液採取より5時間後,衛生研究所よりLAMP法でH5型陽性の速報。その3時間後,RT-PCR法でもH5型陽性。その間にOさんの呼吸状態は悪化し,経口気管内挿管。気管支肺胞洗浄液は好中球と蛋白の増多を認め,ウイルス亜型確定のため国立感染症研究所に送付された。FiO2=0.7,1回換気量8ml/kg,PEEP10cm H2Oの初期設定で肺保護換気を開始。

この日,WHOから発信された一つの情報が世界を駆け巡った。I国K地区で過去2週間に豚2千頭が病死。原因は鳥インフルエンザH5N1と判明。今週に入り,養豚場従業員に重症肺炎が発生。現在20名以上が入院。K地区封鎖と養豚場の豚残り2千頭の処分が決定。人→人感染の可能性については,現在検証中……。

鳥インフルエンザが豚を介して拡がりますか?

 鳥インフルエンザH5N1亜型は鳥に対して強毒であるのみならず,1997年,香港で最初の鳥→人感染(18名中6名死亡)が報告され,警戒が高まりました。インフルエンザAは人畜共通感染症です。鳥ばかり取り上げられていますが,豚も宿主で,鳥型と人型の双方に感受性を持つことから,遺伝子再集合の場となっています。すなわち,鳥型H5N1が豚に感染し,抗原連続変異により人型H5N1になる可能性があると同時に,H5またはN1を持つ鳥型,人型,豚型が重感染し,抗原不連続変異により人型H5N1の組み合わせが生じる可能性があります。実際のところ,鳥インフルエンザH5N1亜型の豚への感染と病死は,東南アジア各国で発生情報があるものの,国際的には「未確認」です。

鳥インフルエンザH5N1亜型の診療
(1)渡航歴,接触歴に注意。潜伏期間2-8日。上気道症状よりも下気道症状が重篤かつ早期に出現。排菌は発症前から始まっている。
(2)発症後4-10日で急性呼吸促迫症候群(ARDS)に陥る。死亡率は60%前後で,10代で78%と最高。
(3)ワクチン(通常/プレパンデミック/パンデミック)と抗ウイルス薬リン酸オセルタミビルにより治療と予防を併行する。国内での有効性は未知。

 新型インフルエンザの世界的流行(pandemic)は周期的に繰り返されています。スペイン風邪,アジア風邪(1957-68年),香港風邪(1968年-現在),ソ連風邪(1977年-現在)。いずれも豚→人経路による世界的流行の可能性を指摘する学説があり,「歴史は繰り返す」の教訓に学ぶとすれば,鳥ばかりに気を奪われず,豚を含め,すべての宿主に対する警戒が必要です。では,次回まで,ごきげんよう!

■沈思黙考 その五

The unclean spirits came out of the man and went into the pigs, and the herd of about 2,000 rushed down the cliff into the sea and drowned there. -Mark 5:13-

調べてみよう!

1)Acute Respiratory Distress Syndromeの診断基準と治療
2)抗原不連続変異(antigenic shift)と抗原連続変異(antigenic drift)の違い
3)感染症指定医療機関(特定,第一種,第二種)の所在と役割

つづく

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