医学界新聞

連載

2008.11.10

アメリカの医療やアカデミズムの現場を15年ぶりに再訪した筆者が,心のアンテナにひっかかる“ねじれ”や“重なり”から考察をめぐらせていきます。

ロスする

〔第13話〕
ソウル・ファミリー,魂の家族


宮地尚子=文・写真
一橋大学大学院教授・精神科医
ケンブリッジ・ヘルス・アライアンス客員研究員


前回

 1年間の滞米生活が終わり,日本に帰ってきて1か月。あっという間に日常に埋もれてしまっている。

 帰国当初は,駅の改札の人の流れにうまく乗れず,恐怖を覚えたり,エスカレーターの真ん中で立ち止まって,後ろからつつかれたりした。また,白々と夜が明けるのを眺めながら,時差ぼけの冴えた頭で,どれだけ技術革新が起きても時差と季節の逆転だけは残り続けるなあと,地球規模で(?)ものごとを考えたりしていた。

 けれども時差が治るにつれ,大学院の入試やら,冬学期の講義準備やら,依頼原稿の執筆やら,次々と仕事が迫ってきて,のほほんとしていられなくなった。米国から持って帰った数十冊の本は,なんとか古い本を移動させて書棚に納めたが,資料は一つの大きな袋に入ったまま,必要なものだけそのつど取り出している状態だ。

 とにかく,今済ませなければいけないことから済ませるしかない。そのためには,米国で考えていたことや,日本に帰ったらしようと思っていたこと,調べようと思っていたことなどは,とりあえず棚上げにするしかない。落ち着いたら手をつけるつもりだが,たぶんずっとこんな調子で仕事がふりかかってきて,落ち着くなんてなさそうだな,意識的に時間を作るしかないな,と思う。

滞米生活を振り返る

 もちろん,米国で学んできたことや考えてきたことは,必ずしもまったく新しい形で仕事になっていくのではなく,同じように見える仕事の内容に深みを与えたり,新鮮な見方が加わるという形で役立つには違いない。また自分がいた場所を離れて,外から見直す機会を得られたことには大きな価値があったと思う。これまで自分がしてきたことを相対化し,これからの方向性を,その場の限られた視野からではなく俯瞰的に,長い目で考えることができるようになった。

 久しぶりに会った人たちから「アメリカはどうだった?」「目的は達成された?」「研究は成果が上がった?」「有意義な1年だった?」「充実した毎日だった?」と口々に聞かれる。やっぱり有意義で充実してなきゃいけないんだなあ,のんびり,スカスカじゃだめなんだなあ,そういうのは「無駄」とみなされるんだなあ,とひそかに反発を感じながら,でもまあ素直に質問を受け取ることにする。

 あらためて振り返ると,けっこう忙しく,充実していたとも言える。ボストンで私の受け入れ責任者となってくれたトラウマ臨床の第一人者,ジュディス・ハーマン史とは毎月濃密なディスカッションができたし,研究会に参加して専門領域全般の知識をアップデイトすることもできた。自分の研究についても洞察が進み,さらなる問いが生まれた。ニューヨークとカナダでは学会発表をしたし,ペルーにも行った。そしてこの1年で新著を(3冊も!)出した。「偉いぞ,自分!」と褒めてやってもいい気がする。

 うーん,でももう少しじっくり考えてみる。この一年間でいちばん大きな収穫って何だろう。後々まで残るものって何だろうと。そうすると,今リストアップしたようなことは表面的なものに思えてくる。そして,一つだけ選ぶならあれだな,マイクとトムとの交流だな,と思う。

二つの大きなダイヤモンド

 今回,ハーバード大学が私の受け入れ機関だったのだが,家族の都合もあり,私はニューヨークの郊外に生活の拠点を置いていた。そして,月に2度ほどボストンに行っては数日間過ごし,研究会に参加したり,研究に関連する人に会ったりしてい...

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