医学界新聞

連載

2008.10.13

アメリカの医療やアカデミズムの現場を15年ぶりに再訪した筆者が,心のアンテナにひっかかる“ねじれ”や“重なり”から考察をめぐらせていきます。

ロスする

〔第12話〕
捨てるものと残すもの


宮地尚子=文・写真
一橋大学大学院教授・精神科医
ケンブリッジ・ヘルス・アライアンス客員研究員


前回

 1年の米国滞在も終わりに近づき,荷造りのときが来た。何を捨てて,何を持って帰るかを決めなくてはいけない。また,帰るまでに,あと何をして,誰と会って,何を調べて,何を手に入れておくかを整理しなくてはいけない。

 手元にあるものを見直してみる。この1年間で集めたさまざまな資料。それらに触れると,関連して,訪れた場所や,出会った人たち,感じたこと,考えたことなどが,つぎつぎと甦ってくる。この1年間,自分が何をしてきたのかをいやがおうにも振り返ることになる。

 手元にはないけれど,日本に帰ってから必要になりそうなものも考える。行きたかったけれど行けなかった場所や,日程が合わなかったりして出会い損ねた人たち,考えた方がいいのに考えずに来てしまったことなどに思いを馳せる。この1年間,自分が何をしないできたのか,そしてこれから自分が何をすることになりそうか,をも考えさせられる。

 そうやって荷造りは,過ぎた時間を反芻し,来たる時間を想像する作業となる。要領よく片づけを終えてしまいたいけれど,こんな内省の時間もたまには必要だと思い,しょっちゅう止まる自分の手を赦してやることにする。

それにしても情報が多すぎるぞ

 物については現地調達主義が基本なので,それほど悩まない。捨てるか譲るか寄付するか,あるいはガレージセールで売っぱらってしまうかすればいい。問題は仕事関係の資料や本などである。買ってはおいたけど,まだ読み込めていない本,それどころかページさえ開いていない本もある。

 論文については,いまや電子媒体のものが主流だから,コンピュータにダウンロードしておけばすむ。ただ,これも日本に帰ったらアクセスできないデータベースに,ハーバード大学のサーバーからだとたいていアクセスできるので,客員研究員の期限が切れる前に文献検索して必要なものはダウンロードしておいた方がいいかな,と焦ったりする。ダウンロードしてしまったら,いつでも読めるので安心して,結局大部分は読まないで過ぎてしまうことも目に見えているのだが。何を隠そう,7年前に所属大学が変わったときに持ってきた資料の多くが,いまだにダンボール箱から出されることなく研究室の本棚の最下段に眠っているくらいだ。その研究室も,もはや本棚からあふれるほど本が増えた。

 それでも,買って研究室に置いておいたら,またはダウンロードしておいたら,その内容が自分のものになったような気になる。自分の頭の中でいったん処理しない限り,それらは本当は,ただの紙の山とその上に載ったインクの浸み,コンピュータ上の記号の集まりでしかないのだが。

 それにしても世の中には情報が多すぎるぞ,と思う。私の場合,学際的な研究だからどうしても守備範囲が広くならざるをえない。そのことは覚悟している。でも目を通しておいた方がよさそうな専門雑誌,新聞,一般雑誌,書籍,ウェブサイト,メルマガ,映画,TV番組などをリスト化するだけで,めまいがする。すべてに目を通すことは不可能である。

フィルタリングの本末転倒

 情報が多いということは,うまくフィルタリン...

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