小児がん診療における抗がん薬曝露の実際
寄稿 古賀 友紀
2025.12.09 医学界新聞:第3580号より
抗がん薬は遺伝毒性や生殖毒性を含むHazardous Drugs(以下,HD)です。調製・投与の場面では厳格な取り扱い基準が広まり,医療者の職業性曝露は抑制されてきました。しかし,小児病棟のように医師・看護師だけでなく保育士や教諭,そして何より付き添うご家族がいる病棟では,抱っこ・添い寝・着替えの介助,嘔吐や排泄のケア,入浴や洗面の見守りなどの日常のかかわりを通じた体液や環境表面からの非意図的曝露が,患児に最も近い距離にいる家族で起こり得ます。
小児がんの治療は長期にわたり,こどもたちは病室だけでなく廊下やプレイルーム,院内学級など病棟の「生活空間」で時間を過ごします。抱っこや清拭,嘔吐物や排泄物のケアに日常的にかかわっているご家族の健康を守るためにも,医療者だけでなく患者家族も対象にした抗がん薬曝露対策の整備が求められています。
家族の曝露対策は現場で手探りの現状
筆者がこの問題を考えるきっかけとなったのは,ある日のナースステーションでの何気ない会話でした。化学療法中の幼い子を抱っこしていた母親を見た看護師(現・福岡県立大学 野田優子講師,九州大学病院 太田百絵看護師)が,「ケアは私たちが担当しますが,抱っこは家族の“しあわせな時間”でもあるんですよね。だけど安全はどう確保したらいいでしょう」とつぶやいたのです。化学療法中実施中の患者と接する際の医療者の曝露対策手順は国際基準やガイドライン等で整備されていても,「患者に最も近いケア提供者」である家族の防護は,現場で手探りのままになっている――。この違和感が,筆者の問題意識の出発点でした。
「家族の日常的なかかわり」に潜む曝露と,求められる工夫
筆者が所属する研究グループは,高用量シクロホスファミド投与時に,家族・医療者・環境を対象として尿・唾液・拭き取りで曝露の濃度を実測しました。結果は明瞭で,医療者ではほぼ未検出だった一方,付き添う家族の一部で薬剤が検出され,環境調査でもトイレ床や便座,ベッド柵やサイドテーブル,寝具,浴槽の湯水など広範囲で検出が確認されました1)。特に投与後数日間は尿・嘔吐物・汗・涙・鼻汁などを介した汚染が残りやすく,未就学児ほど抱っこや密着の機会が多いため,接触頻度が曝露リスクに影響する可能性が示唆されます。抱っこや寝具共有,嘔吐・排泄ケアといった「家族の日常的なかかわり」がリスクになり得ることが,現場の言葉をきっかけに,数値として初めて可視化されたのです2)。
しかし,この結果は家族の温かな行為を制限する根拠ではなく,対策が不十分な曝露経路を理解し,新たな手順と環境を整えるための入り口だと受け止めています。例えばケア直後の手洗い,トイレ・洗面・入浴動線の定期的な拭き取り,寝具や衣類の取り扱いの統一など,小さな工夫を積み重ねることが,家族の安心と曝露低減の両立につながると考えています。
妊娠中の医療者のHD曝露も小児がん発症のリスクに
妊娠中の医療者に対するHD曝露対策も,小児がん領域において対策が急務となっています。全国約10万組の母子を追跡するエコチル調査の結果を用いた解析では,妊娠期の医療現場における抗がん薬などHDへの職業性曝露が,出生後早期(おおむね3歳頃まで)の小児白血病リスク上昇と関連する可能性が示唆されました3)。職種や勤務内容,喫煙歴,母体年齢など主要な交絡因子を調整しても傾向は保たれ,一部の感度分析でも同様の方向性でした。固形腫瘍との関連は一貫せず,曝露種類・強度の違いが影響した可能性があります。
いずれにしても,「妊娠判明時からの配置転換の検討」「PPE(個人用防護具)の確実な使用と閉鎖式移送の徹底」「化学療法期の患者担当時の,高リスク業務の代替」など,予防原則に立った職場対応は十分に合理的です。産科外来や産業保健と連携し,患者にかかわる妊娠中の全てのスタッフに対する個別相談の導線を整えることが,家族と次世代の健康を守る小児がん医療の重要な柱になると考えています。
多職種と家族による合同研究で曝露対策の実装へ
筆者はいま,全国の有志の看護師・薬剤師・医師・企業,そして家族代表とともに,日々の観察から改善点として挙がる「PPEを外しやすい場面」「汚れが拡がりやすい動線」「周知が届きにくいポイント」を言語化し,小児がん診療での抗がん薬曝露についての情報共有と対策の研究を進めています。検討に当たっては,家族から示される「何が不安で,どこが難しいのか」「守りたい生活は何か」という優先順位を出発点に,「抱っこはやめる」ではなく「この場面ではこの一手間を」「この順番なら安心」へと,現実に置き換え可能な行動へ「翻訳」していきます。
対策はシンプルに3つの原則に基づいて検討します。
①距離:密接場面でも,短時間でも,手指衛生と最小限のPPE使用を確実に
②防護:嘔吐・排泄ケア,寝具・衣類の取り扱いを,外し方まで含めた簡潔な手順に整える
③動線:トイレ・洗面・入浴・ベッド周辺の拭き取りの頻度と順番を見直し,汚染しやすい物品を把握して管理する
研究には職種や立場を問わずさまざまな方が参加しているため,対策の実践・検証においては職能に応じた役割分担が可能です。看護師は日常ケアの標準手順の設計・運用(PPEの着脱,嘔吐・排泄ケア,寝具・衣類の扱い)と,家族へのベッドサイド教育・指導,さらに観察データの収集と前後比較(接触回数,拭き取り頻度)を担います。前後比較とは,例えば「尿量測定の運用が接触を増やしていないか」「どの作業を減らせば,安全を保ちながら触れる回数を減らせるか」といった観点です。また薬剤部は曝露量の目安づくりと指標化,医師は介入設計と評価,説明責任を担当します。そして企業有志は,現場で使える資材・機器の検証(閉鎖式移送容器,吸収シート,使い捨て防護具,簡易拭き取りキット等)の無償提供と比較評価への協力,尿・環境サンプル分析の技術支援や教育資材の共同制作などを想定しています。
私たちがめざすのは単なる薬剤曝露の注意喚起ではなく,現場で回り続ける仕組みの設計図です。小さな仮説から始め,測れるものは測り,変えられるところから変えるという姿勢で,完璧主義ではなく,持続可能な改善の実現を試みています。
小児がん医療は「家族もチーム」
曝露対策は,人を責める活動ではありません。忙しさや環境要因によって,誰でもミスに近づく可能性があります。だからこそ,測定と見える化で“リスクが高まる瞬間”を特定し,行程や物品配置,教育の方法を整える必要があります。安全は個人の頑張りではなく,チームで担保するシステムの成果です。
病棟の何気ない会話から始まった小さな疑問は,多職種と家族が並んで取り組む合同研究へと育ちました。データから見えてきたのは,家族への薬剤曝露は現実に起こり得ること,そして工夫すれば確実に減らせることです。私たちの目標は,子どもの治療成績だけでなく,家族の安全と生活の質も守り抜くことです。「こどもと家族にやさしい抗がん薬治療」を,現場から全国標準へ。気づきを問いに,問いを測定に,測定を仕組みに――。この連続が,安心して抱っこできる病棟,安心して付き添える社会をつくると信じています。
本取り組みは全国の有志とともに進めています。ご関心のある方は,ぜひご連絡ください。
参考文献
1)Pediatr Blood Cancer. 2021[PMID:33764664]
2)Int J Hyg Environ Health. 2024[PMID:38870739]
3)Blood. 2024[PMID:37788408]

古賀 友紀(こが・ゆうき)氏 国立病院機構九州がんセンター 小児・思春期腫瘍科 医長
1997年佐賀医大(当時)卒。九大大学院医学研究院を経て2024年より現職。専門は小児血液・腫瘍,造血幹細胞移植。日本小児がん研究グループ小児ホジキンリンパ腫臨床試験責任医師。小児血液・がん学会,日本血液学会および日本造血・免疫細胞療法学会評議員。緩和医療認定医として病棟・外来・在宅をつなぐ支援整備や,抗がん薬曝露の低減に向けた研究を多職種で進める。
Mail:yuhkikoga@gmail.com
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