医学界新聞

厳しさや大量の課題は本当に必要か?

対談・座談会 工藤 勇一,水方 智子

2025.12.09 医学界新聞:第3580号より

3580_0101.jpg

 コロナ禍をきっかけに看護師の過酷な労働環境が注目され,18歳人口の減少も相まって,各地域の看護師養成校では定員充足率の低下や志願者の減少が続いています。看護師不足を根本から解決していくには,こうした状況を単なる人材不足の問題ととらえるのではなく,教育の在り方そのものを見直す契機とすべきかもしれません。固定担任制や定期考査の廃止など学校教育の改革に尽力してきた工藤氏と,看護職の意識改革をテーマに『看護教育の当たり前を問い直す』(医学書院)を上梓した水方氏に,「教育の目的を起点とした制度や慣習の再設計」というテーマでお話しいただきました。

水方 看護学校で教鞭をとっていた頃から,教師と学生の間には上下関係が常に存在し,それに基づいた指導が「教育」だとされている現実に違和感を覚えていました。このような考えがまかり通る現場を変えていくには「自分が管理者になるしかない」と30代後半で決意し,それから10年以上を経て松下看護専門学校の副学校長になり,看護教育の改善に取り組み始めました。活動を続ける中で,教育の本来の目的を考え直すことを指摘した工藤先生の著書『学校の「当たり前」をやめた。』(時事通信社)を拝読し,私が看護教育の中で抱いていた違和感は日本の教育全体に通底する問題なのだと実感したのです。本日は教育の「目的と手段」をテーマに先生と議論を深められればと思います。

工藤 教育の世界にはどの領域にも共通した課題が残されていると思います。パターナリズム的な側面もそうですし,上下関係の風土も色濃く残っています。さらに根本的な問題点は「教育とは何か」という土台を見失い,今まで当たり前とされてきた慣習の遂行にとらわれる手段の目的化が起こっていることにあります。過去にはアメリカの医師パッチ・アダムスが,「医療は患者が幸せになるためにあるという本来の目的を基盤に物事を考えるべきだ」と主張したように,看護教育や学校教育においても,目的の本質を見極め,最適な手段を考え抜く必要があります。手段と目的を混同している方がまだまだ多いように感じます。

水方 本当によくわかります。「最上位の目的・目標は何かよく考えるべき」と工藤先生はよくおっしゃっていますよね。とある学校で,校則で禁止されているエクステをつけてきた学生の髪を教員がハサミで切ったという話を聞きました。エクステをつけているかどうかは看護の本質に関係ないと思いますが,「規則を守らない学生が悪いのであって,教員の行動は正当だ」と声高に言う人に同調する空気もあります。

工藤 日本の教育の特徴として,学生にある種の内面的な美しさを求める点が挙げられます。甲子園出場校の学校紹介で,子どもたちの美しい心や友情が強調された編集になっているのを見たことがある方も多いでしょう。

水方 看護教育の場面においても同じような傾向があると思います。品位に反するアルバイトは禁止という規則のある学校も散見され,不思議に感じています。また臨床現場では「患者さんに対する思いが足りていない」という指導をよく見かけますが,目に見えない内面を指導者はどう評価し,また学生はどう改善していくことができるのだろうと,常々疑問に思っていました。

工藤 「人の命を救う崇高な仕事だから,もっと素晴らしい精神を持ちなさい」 と考える人が多いのではと想像します。しかし,それは情緒的,精神主義的ですよね。その考え自体を否定はしないものの,例えば患者さんへの言葉遣いは,単に医療者の心のありようから自然に出てくるものばかりではありません。この伝え方をすれば患者さんにどんな変化をもたらせるか,という視点で考えることもできるはずです。つまり,言葉遣いを看護の本来の目的を達成するための「技術」ととらえてもよいのではと思います。

工藤 話題に上がった価値観が日本の教育に根付いている要因の一つとして,明治維新で入ってきたヨーロッパの管理教育の影響が考えられています。もともとヨーロッパには,性悪説の影響で「生まれた子どもは厳しくしつけないとまともに育たない」という考え方がありました。しかし第二次世界大戦後にその考えは大きく変わり,年長者がやるべきだと言ったことに進んで取り組む子どもではなく,目的意識を持ちながら自分の頭で考える「主体性」のある子どもを育てようと方向転換をしています。

 一方日本は,以前の教育方針が継続され,12歳ぐらいになるとかなりの割合の子が主体性を失っています。象徴的なのが,日本の小学生はトイレに行くのにも先生の許可を得なくてはならない風潮です。このような管理教育では子どもの問題解決能力は低下する一方です。学校の本来の目的は「社会の中でよりよく生きていけるよう育てる」ことにあると私は考えています。そのため学校は,自ら判断し,行動する力を身に付けられる環境でなければなりません。

水方 主体性の喪失や問題解決能力の低下に関しては,看護教育の中でも同様の傾向を認めます。本来看護教育とは,学習者が自立して学び続けられる看護師に成長することをめざし,学習者の力を引き出し,学びを支えることだと私は考えています。したがって,学習者が本来持っている力を奪いかねない過剰な干渉や援助は避けるべきです。教員が「~してあげる」という言葉を使った時点で学習者たちは,「教えられる」ことや「依存」などの受け身の姿勢を学び,やる気スイッチをOFFにしている可能性があります()。工藤先生は主体性のある子どもを育てるためにどんなことに取り組まれてきましたか。

3580_0102.png
図 「教育」とは学習者の成長や発展を支援するかかわり(『看護教育の当たり前を問い直す』,15頁より転載)

工藤 私は命令や誘導につながる声掛けを徹底してやめました。生徒へ声掛けを行う際の教員のセリフは基本的に3段階です。「どうした」と生徒に状況を聞いて,「そうかそうか」と受け止めて,「君はどうしたい?」「何か手伝うことある?」と尋ねて,生徒自身に今後の行動を決めさせます。仮に授業が嫌で教室を飛び出した子がいたとしましょう。その生徒を捕まえて,「じゃあ先生と一緒に勉強しよう」と別室に連れて行く対応では,ますます依存性が高くなってしまいます。そうではなく,「教室に戻るか別室に行くか,どうしたい?」と聞くことから始めます。生徒が自分の頭で考えて別室を自己決定して選んだら,「別室にいるのは1時間くらいでいいのかな?」と聞いてみる。このように自己決定の機会を作り,その判断を尊重すれば,生徒の後悔や反発は少なくなります。

水方 なるほど。優しく寄り添うことこそが正しいという勘違いがあるのは看護だけの話ではないのですね。

工藤 そうした類の優しさは生徒の主体性の芽を潰しているのです。「優しい教員に見られたいから生徒にサービスしよう」と考え実践してしまうと,生徒の自己決定の機会がなくなり,それでは自分の頭で考える人間が育ちません。それを防ぐため,私は麹町中学校の校長時代に自校の制度改革にいくつか取り組みました。例えば1クラスを1人の教員が担当する固定担任制の廃止です。担任から生徒へのサービスが過剰になることで,生徒が教員を選別する構造を生むと考えたからです。教員を固定したほうが生徒への理解が深くなりやすいと思われがちですが,実際には一面的であったり,偏ったりもしますし,何より生徒にいい先生と思われたい気持ちがついつい出てきて,他の先生より過剰に介入する傾向が強くなります。過剰な援助はテレビドラマ等で素敵な教育方法として描かれるので正しいことと勘違いしている教員も多いです。この構造をなくしただけでも,学校内の環境は本来のあるべき健康的な状態に変わりました。

広告

工藤 水方先生が看護教育の世界で変えていきたいとお考えの部分はありますか。

水方 課題が非常に多い文化ですね。例えば,実習に行く前の事前学習や臨地実習後のレポートです。学生にできるだけたくさん勉強してもらいたいとの思いから私自身も学生に膨大なレポート提出を課していた時代がありました。けれども,学生には大変だった印象だけが残り,最も感じてほしかった看護の楽しさやダイナミックさは伝わっていなかっただろうと今では反省をしています。実習記録についても,そもそも学生がどのような思考回路で看護を行うかの把握を目的に課しているのにもかかわらず,膨大な記録の作成自体に意味があると考える教員が多いです。

工藤 書き物文化が学校教育とそっくりですね。テストで間違えた漢字をそれぞれ20回ずつ書かせるなどの慣習と近いものがあります。わからない問題をわかるようにするのが学習の目的だとすると,個々人で進度が違うのに全員同じ内容の宿題を出すのは目的に対する手段として適切ではないと考えています。校長時代には自律的に学習する姿勢を失わせないためにも宿題制度の廃止に踏み切りました。同様の理由で授業方式の変更も行っています。麹町中学校の後に赴任した横浜創英中学・高等学校では,英語や数学において教員が講義をしない授業を設定しました。特に英語は,学年の壁を取っ払って「先生が講義する教室」「ヒアリング・スピーキング中心の教室」「自由に学習する教室」を用意して,生徒が自分で教室を自由に選べるようにしました。そうすると,講義形式の教室より自由に学習する教室のほうが自分の学習レベルに合わせて効率よく学習できると気づく生徒も出てきて,主体的な学習を促すことができました。結果的に教員の手間も省け,両者にメリットを感じた仕組みでした。

水方 先生のお話を伺ったり著書を拝見したりしていると,学校教育における意識改革も徐々に進んできているのではと感じます。

工藤 微々たるものですが,公立私立関係なく,日本中のあちこちに変化が広がり始めているのは確かです。特に公立校は地区の教育長や校長会なども巻き込んで,地域ぐるみで取り組んでいるところもあります。

水方 やはり,今のままではいけないと多くの方が考えているのでしょう。しかしどう変わればよいか迷う部分もあり,上の立場の方が積極的に動いてくれると改善に向けた動きが加速すると思います。

工藤 現場に変化を起こすために「管理職にならなきゃいけない」という水方先生の行動そのものですね。結局,管理職の協力がないと変化のスピードはなかなか上がりません。

水方 副学校長として管理者を経験してきましたが,重点を置いていたのは教員やスタッフが安心して本音を話し合える職場づくりです。学生の実習先から戻った教員に声をかけて,否定をせず話に耳を傾けることを継続し,気持ちが軽くなるような言葉をかけたり,解決法を具体的にアドバイスしたりすることで,明日も頑張ろうと思えるようなサポートを行いました。その結果,実習現場の様子や教員の思いが見えるようになり,共に考え,支え合う文化が定着しています。今や日常となった松下看護専門学校の教務室で繰り広げられるディスカッションは,他校の教員から驚かれることも多いです。工藤先生は校長として重点を置いていたことはありますか。

工藤 私の場合も同様に,ディスカッションの時間を設けることを大事にしていました。例えば,次年度の教務部長を決める際,12月ごろに本人を呼んで「うちの学校の課題って何?」「最近はどんなことを考えている?」と必ず聞きます。その上で,自分が思う課題点・改善点を伝える。このやり取りが非常に重要と考えています。こうしないとほとんどの場合,ただ単に「来年から君は教務部長ね」と決めて,機会を与えただけで終わってしまう。やはり人を育てるに当たっては,「君はどう思う?」という問いかけがすごく大事です。それを頻繁に繰り返して成長し,自信がついてくると,手が離れていく。たぶん看護の世界もキーパーソンが育てば,あちこちの学校で変革が起こるようになるでしょうね。

水方 ちなみに,先生が管理者の立場から教育体制の変革を進められてきた過程で,反発を受けたり,考えを理解されなかったりした経験はありますか。

工藤 そんなことばかりです。反発する人がいるのはごく普通のことですので動揺はしません。

水方 先生とはスケールが違いますが,松下看護専門学校で教育体制を変えようとした時にもやはり反発はありました。今後の方向性を伝えたときに,考えがそぐわない人や「自分には無理だ」と辞めていく人がいました。みんなが同じ色に染まる必要はないし,むしろ染まったら気持ちが悪い。結局,さまざまな意見を含めて自分たちはどうすればいいかをその都度考えていくしかないのだと思います。

工藤 その通りです。「俺についてこい」と引っ張っていくことは絶対しません。意見をまとめる際は,目的は何か,何のため・誰のためにやるのかとの問いに立ち返ると道は開けてきます。

水方 私は看護学校の臨地実習を考える上でまさにそのような経験をしました。実習のつらさをきっかけに学校を辞めてしまう学生も多いなかで,実習環境の改善をどう進めていくかを考えたときに,「患者さんが良くなること」を共通目的として実習担当の看護師と考えれば話し合いがスムーズにいくと思いました。実習先の看護師も患者さんが良くなることを望まない人は誰もいませんから。先生の話と戦略が同じかなと思いますね。ただ,松下看護専門学校での実践の話をすると,他校の教員から「松下だからできたことでしょ」と言われることが多かったですが,環境にかかわらず教育は変えられると私は考えています。教員の方であれば,まずは自身が担当する授業から小さな変化を起こしてみてほしいです。

工藤 大きな組織全体を変えるのが難しければ,まずは「目の前の授業や行事で,何が一番大切で,何のためにこれをやるのか」との問いを自身に立てて行動を変える。その小さな一歩の積み重ねこそが,教育の現場を変えると思います。

水方 工藤先生との対談を通して,これからも看護教育に尽力していく元気と勇気をいただきました。まだまだ「当たり前」や「従来通り」がよしとされる現状があるものの,「患者を幸せにするには医療者自身も幸せである必要がある」ことを大切にしながら,学生も,指導者も,教員も,共にのびのびと育っていく世界を広げていきたいと思っています。

(了)


3580_0103.jpg

教育アドバイザー

東京理科大理学部応用数学科卒。公立学校教員,東京都教育委員会,新宿区教育委員会教育指導課長等を経て,2014年より千代田区立麹町中学校校長,20年4月より横浜創英中学校・高等学校校長として教育改革を行う。内閣官房教育再生実行会議委員,経産省「未来の教室」とEdTech研究会委員等公職を歴任。24年4月より教育アドバイザーとして全国で講演活動を行う。『学校の「当たり前」をやめた。――生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革』(時事通信社)など著書多数。

3580_0104.jpg

日本看護学校協議会 会長

1985年に看護師免許を取得。淀川キリスト教病院,大阪府立千里看護専門学校を経て,パナソニック健康保険組合立松下看護専門学校専任教員に着任。2010年より同校副学校長兼教務部長を13年間務める。21年より現職。学生が看護師として生き生きと働き続けることを第一に,ナイチンゲール看護論と認識論を基礎理論とした看護・教育・管理を得意とする。著書に『看護教育の当たり前を問い直す』(医学書院)。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook