応用倫理学入門
[第8回] 臓器移植の倫理(2)――新たな技術が拓く未来
連載 澤井 努
2025.04.08 医学界新聞:第3572号より
新たな臓器移植技術は,慢性的な臓器不足の解消に大きな可能性をもたらす一方,動物の利用をめぐる根本的な倫理的課題や技術の社会的受容の課題を提起しています。今回は,30年後の未来を展望し,異種移植や動物体内で作製されたヒト臓器の移植について,生命倫理,動物福祉,患者の権利保障,公平性といった多角的な視点から,未来の移植医療の方向性を考えていきたいと思います。
30年後の未来
今から30年後の2055年,腎不全を患うAさん(55歳,男性)は,総合病院で人工透析を受けながらドナーを待っています。この時代では,移植用の臓器不足が大幅に改善され,Aさんには次の2つの方法が提示されます。「拒絶反応を抑えた遺伝子改変ブタの腎臓を移植する」方法Xと,「Aさん自身の細胞を使い,ブタの体内で腎臓を育てて移植する」方法Yです。いずれも数か月以内に移植が可能だと聞き,Aさんと家族は安堵します。しかし同時に,「動物を犠牲にすることへの戸惑い」や「移植後にブタ由来の臓器が自分の体内にあることへの抵抗感」も抱えています。
主治医は次のように説明します。方法Xでは,移植される臓器こそブタの腎臓ですが,最新の技術で拒絶反応を大幅に軽減しており,安全性が確立されています。これに対して方法Yでは,Aさんの細胞をもとにブタの体内で腎臓を育てるため,移植臓器はあくまでAさん自身の細胞から作られた腎臓です。また,方法Xと方法Yのどちらについても,提供手術の際にはブタに十分な麻酔を施すなど動物福祉に配慮し,また移植に用いられた動物への慰霊式も定期的に行っているとのことです。
さらに,臓器移植を専門とする倫理カウンセラーから,「動物が人の意識を持たないよう科学的・法的に対策が取られている」「臓器を提供するブタは適切な環境で飼育・生産されている」など,詳しい説明も受けました。こうした情報を踏まえ,最終的に方法Yを選択することにしたAさんは手術を受け,移植した新しい腎臓も順調に機能しています。
異種移植と動物体内で作製されたヒト臓器の移植
異種移植とは,ヒト以外の動物(主にブタ)の臓器を人に移植する技術です。かつては免疫拒絶反応や未知の感染症リスクが大きな懸念でしたが,近年の遺伝子編集技術(CRISPR-Cas9など)を用いることで,ブタの臓器をヒトに適合させる研究が急速に進んでいます。具体的には,拒絶反応の原因となる分子の除去や,ブタ細胞に潜むウイルスの不活化が進められています。2022年には,アメリカで遺伝子操作したブタの心臓を末期の心臓疾患患者に移植する世界初の手術が行われ,大きな注目を集めました。
動物体内で作製されたヒト臓器の移植は,ヒトの細胞で作られた臓器を動物の体内で育てて移植するという別の方法です。まず,あらかじめ特定の臓器が形成できないよう遺伝子操作した動物の胚(胚盤胞)を用意します。その胚にヒトの多能性幹細胞(例:iPS細胞)を注入すると,動物の胚は自分で作れない臓器の「空き領域」にヒトの細胞を取り込み,ヒト細胞で形成された臓器を持つキメラ動物が生まれます。実際にこの方法によって,マウス体内で育てたラット由来の膵臓を移植することに成功しているため,ブタなどの大型動物でヒトの臓器を移植することも期待されているのです。
生命倫理と動物福祉をめぐる課題
新たな臓器移植技術には,人の生命観のみならず,動物の福祉や権利にも深くかかわる課題があります(臓器移植をめぐる一般的な倫理的課題については連載第7回を参照)。例えば異種移植では,ブタなどの提供動物が無菌環境で飼育され,人工授精や帝王切開で繁殖されるほか,移植に適した臓器を得るための外科的処置や採血が繰り返されます。その過程で動物に大きな負担や苦痛が伴うため,「たとえ人を救う目的でも,動物に多大な苦痛を与えてよいのか」,そして「そもそも動物を単なる臓器源として扱ってよいのか」という疑問が生じます。さらに,移植用臓器を多く確保するために大規模飼育や処置が必要になった場合,現代の動物実験で守るべきとされている3R〔代替法の活用(Replacement),使用数の削減(Reduction),苦痛の軽減(Refinement)〕の考え方を徹底することが一層難しくなり,議論の焦点となります。
動物の胚にヒト細胞を注入して臓器を育てる技術に対しては,「動物が人に近い特徴や高い知能を持つようになったらどうするのか」という懸念が根強く,とりわけ動物の脳や生殖細胞へヒト細胞が入り込む可能性を心配する声もあります。そのため日本では,「人の外見や高次脳機能をもつ動物」の作製を禁じています。
こうした技術をめぐる社会的議論では,「人の利益のためでも動物の犠牲は厳しく制限すべきだ」と主張する(義務論的な)立場がある一方で,「慢性的な臓器不足を解消し,人々の幸福に資するためなら,一定の条件下で動物の犠牲を容認すべきだ」と論じる(功利主義的な)立場もあります。技術の進歩が期待される一方,人の延命と動物の福祉・権利をどう両立させるかは社会全体の課題です。この課題に答えるには,動物が被る苦痛をどこまで倫理的に正当化できるのか,また人と動物の細胞が混ざることをどこまで許容するのかという根源的な問いに向き合う必要があるでしょう。
社会的受容,患者の権利,公平性・長期的支援体制
新たな技術の導入には,まず社会全体がそれを受け入れられるかどうかが大きなポイントになります。動物の臓器をヒトの体に入れることに対しては,「命を救うためなら仕方ない」という理解が広がる一方で,「動物を利用することに抵抗がある」「そもそもブタの臓器を移植するのは気味が悪い」「人と動物の境界を乱してよいのか」といった声もあります。また,宗教上ブタを不浄とみなす考え方や,心臓移植が始まった頃のように臓器移植自体への不安も根強いでしょう。実際,筆者のグループが実施した過去の市民調査1, 2)では,「動物の体で育てた人の臓器の移植」に約6割が賛成する一方,「動物の脳や生殖細胞に人の細胞が混ざる」ことには強い不安を示すこともわかっています。こうした状況を踏まえ,専門家や医療従事者はメリットだけでなく,リスクや倫理的問題についても伝え,社会との対話を重ねる必要があります。もし新たな感染症の発生など安全性を揺るがす事件が起これば,世論が一気に拒否へ向かう可能性もあるため,情報開示やリスク管理が極めて重要です。
次に,実際に治療を受ける患者や家族の権利保障も大きな課題です。異種移植などの先端医療は,通常の治療が効果を失った末期患者を対象に始まることが多く,患者は他に方法がない状態で高リスクの治療に同意するかどうかを判断せざるを得ない場合があります。このとき医療従事者は,患者が置かれた状況に配慮しつつ,未知のリスクや術後の長期的な制約をしっかりと説明し,十分な納得を得た上で治療を受けてもらうようにしなければなりません。特に動物由来の臓器では,新型ウイルスやプリオン病など公衆衛生にかかわるリスクがゼロとは言えず,そのため患者や家族が生涯にわたり定期検査を受けなければならなくなったり,献血など一部の行為が禁止されたりする可能性があります。これは事実上,患者が「研究対象者」として研究に一生参加し続けること,つまり通常の被験者とは異なり自由な意思で参加を中止できないということを意味します。この点も,異種移植などの先端医療を受ける患者の利益・権利を守る上で,倫理的に重要な課題の一つでしょう。
患者の治療機会や経済的負担の公平性(分配的正義)も無視できません。こうした先端医療は高額になる傾向があり,もし保険制度や公的支援が不十分なら,一部の富裕層だけがアクセスできる特権的医療になりかねません。また,手術後の長期モニタリングや制約への理解を深めるために,心理的・倫理的サポートを提供するカウンセリング体制を整備する必要性も生じるでしょう(現在の遺伝カウンセリングが類例としてイメージしやすいかと思われます)。中には「動物の臓器を体内に移植したことで自分が変わってしまうのでは」といった不安を抱える患者もいると考えられるため,そうした気持ちに寄り添う必要があります。人の延命と動物福祉を両立させながら,誰もが適切に新技術を利用できるシステムを確立することが,今後の大きな課題となるでしょう。
移植医療の今後の在り方を左右するのは,技術そのものだけではなく,それを扱う私たち一人ひとりの価値観や倫理観であると言えます。臓器不足という大きな課題に対し,新たな科学技術と倫理的思考の両面から立ち向かうことで,誰もが安心して必要な医療を受けられる未来を共に実現していくことが求められます。
今回のPOINT
・異種移植や動物体内で作製されたヒト臓器の移植は,生命倫理,動物福祉,患者の権利保障,公平性等の観点からの検討が必要になる。
・人の延命と動物の福祉・権利をどう両立させるかが課題である。
・患者に対しては未知のリスクや術後の長期的な制約について,十分な納得を得た上で治療を受けてもらう必要がある。
・誰もが適切に新技術を利用できるシステムを確立することが望まれる。
参考文献
1)Regen Med. 2017[PMID:28332949]
2)Stem Cells Transl Med. 2017[PMID:28696005]
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