医学界新聞

心の不調に対する「アニメ療法」の可能性

連載 パントー・フランチェスコ

2024.03.18 週刊医学界新聞(通常号):第3558号より

 さて,今回から,いよいよ筆者が提唱する「アニメ療法」についての話を始めます。どうしてアニメ,広く言えばフィクションの物語こそが特別な癒しの力を持っているのでしょうか。そのことをより理解するために,まずはアニメ療法の「5本の柱」に触れる必要があります。それらを理解すれば,アニメ療法が持つ画期的な部分だけでなく,アニメ療法が将来のメンタルヘルスケアにおいて占める立ち位置も見えてくるものと思われます。

①ナラティブ,物語は私たちの心のケアに何よりも必要なものです。物語は普遍的な存在であり,私たちの人生の物語との比較対象となり得ます。

②エンターテインメントをめざして生まれた作品ではなく,あらかじめ治癒的な機能を有するように作られた作品はより効果を持ちます。現在世の中に存在する作品にはさまざまなジャンルがあります。少年向け,少女向け,お笑い,転生ものなど。最初から心を癒す目的で,アニメ療法というジャンルに属する作品が存在したら,どうでしょうか?

③孤立化が進む社会において物語はただの気晴らしではなく,メンタルヘルスケアのためのアクセスしやすいツールになり得えます。物語,特にフィクションの場合,一人の環境においても満喫できるエンターテインメントの形態を取ります。架空のキャラクターであっても,鑑賞者の孤独感を減らす可能性があります。

④デジタル化する社会においては遠隔で行うことができる心のサポートが必須となります。その際,架空の存在(AI)も効果的です。相性の悪い先生の話を聞くよりも,好きなキャラクターの見た目をしている先生のほうが,話に耳を傾けやすいでしょう。そうした点に,フィクションやキャラクターがエンターテインメントを超えて機能する可能性が見いだせます。

⑤条件を満たせば,生身の人間関係だけでなく架空上の関係も,ある程度心の支えになり得ます。

 上記の提言は物議を醸すかもしれません。しかし,デジタル化はもはや避けられないものとして進行しています。高齢化,少子化もまた避けられない社会的な背景として存在する中,「猫の手も借りたい」のが精神科医療にかかわる者の一般的な感覚かと思います。私たちの感情を支える術を,毛嫌いすることなく模索しなければなりません。

 アニメ療法は,フィクションの要素を利用しながら,人間の葛藤,身体的,精神的,関係的,社会的苦悩を描く作品の鑑賞を通じて,精神の治癒効果を狙う療法です。なぜノンフィクションではなくフィクションなのかに関して言うと,ノンフィクションのリアリズムは私たちの直面するつらさに近すぎるゆえに,感情移入を妨げるリスクが高いと言えます。例えばいじめを受けている子どもが,同じようにいじめられている子どもが登場するノンフィクション作品を鑑賞すると,自分自身のストーリーを逐一描写されているようにも感じて,つらさや苦しみに対する自己防衛が働いてしまいます。そして己のつらさを否認し,「私は違う」と感情移入できなくなります。

 一方,フィクションの中にリアリズムを溶け込ませれば,生々しさが和らぎます。非現実的で私たちの日常とかけ離れているからこそ,心の余裕を感じさせてくれるのです。筆者はそうしたはたらきを「想像で埋める欠如」と呼称しています。アニメなどフィクションの物語内容は現実とのつながりが乏しいからこそ,鑑賞者には“己の都合によって”解釈する余地が残されます。コンテンツの性質によって,鑑賞者は知らず知らずのうちに安心させられているのです。私たちは安心して作品内容を鑑賞できると,感情移入するための心の扉が開きます。

 感情移入は物語へののめり込み(没入)に基づいています。それができなければ,物語作品に対する評価(批判)が鑑賞者の胸の内に湧き上がります。批判は物語世界からの離脱を促すため,感情移入を前提とした自己変容への期待は薄くならざるを得ません。一方,物語への没入は自己変容へとつながります。当然,筆者が提唱するアニメ療法においても,ポジティブな心理的効果は,批判ではなく没入体験を経ることから始まります。つまりは,作品世界内において,現実世界での社会的規範が乏しいからこそ,フィクション作品のほうが批判の感情を生じさせにくい可能性があるということです。


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