医学界新聞

書評

2023.10.30 週刊医学界新聞(通常号):第3539号より

《評者》 新潟大脳研究所所長/教授・脳神経内科学

 ある図形から2つの物を見ることができるのに,同時には2つの物に見えない図形を,多義図形といいます。最も有名な多義図形に『妻と義母』があります。向こうを向いている若い妻にも,年老いた義母の横顔にも見える図です。皆さんも見たことがあるかと思います。不思議なことに,一度老婦人に見えると,妻が見えなくなります。また,一度多義図形であることに気付くと,気付かなかった時期の自分には戻れません。われわれの視覚は,意識に左右されます。見えるようにならないと,永遠に見えません。また一度見えると,次からは,必ず,そう見えるようになります。この現象は,われわれの認知や知覚における,固定観念や予測の働きに関連していると言われています。

 われわれは,ありのままを認知しているのではなく,過去の経験や学習から得た情報を基に,解釈し,意味を与え,認知します。『妻と義母』で起こっていることは,このような認知のプロセスによって生じるものと考えられています。この現象が面白いのは,一度認識した解釈が強くなると,逆の解釈をすることが大変難しくなってしまうことです。一度見えてしまうと,もう見えなかった自分には戻れなくなります。

 病理の世界でも,誰かが重要性を唱えるまで,見えなかったということがあります。私の専門とするポリグルタミン病のハンチントン舞踏病における核内封入体は,1997年の夏にBatesらによって,『Cell』の表紙で大々的に提唱されました。しかしこの封入体は,1997年に突如現れたのではなく,以前より気付かれていました。しかし,Batesが「視る」まで,多くの病理医には,見えなかったのだと言えます。

 初学者と,病理のスペシャリストとの大きな違いの1つは,この「視える」脳の違いにあります。本書は,初学者の脳を,どのように「視える」ようにするかに,工夫が凝らされています。最も大きな特徴は,所見を理解しやすく記載した多くのイラストがあることです。このイラストは,皆さんの理解を容易にするとともに,新井信隆先生が何をそこに「視ている」のか,惜しみなく教えてくれます。そして,その所見の意味を,最新の知識を加えながら,かつ,簡潔明瞭に解説されています。通読することも苦になりません。

 また,基本的な染色方法は,まとまって触れられることが少ないものです。これらに多くのページを割いて,美しい写真と,新井先生がそれらの染色に期待することまで加えて解説してくれます。このイラストと,写真を見比べれば,一生使える「視える」脳に,皆さんの脳が変化します。「視える」ようになると,もう,その像が浮き上がってくるはずです。

 本書は,本来多くの観察時間を費やして初めて到達できる境地に,皆さんを導くと思います。病理学の初学者から,神経病態学を志す研究者まで,ぜひ,本書を手に取って,ヒトの疾患脳の世界を「視える」ようにしてもらいたいと思います。そして,まだ誰にも見えていない,あなたが世界で初めて「視る」真実を探しに行ってください。本書はその羅針盤となります。


《評者》 日医大武蔵小杉病院教授・新生児科部長

 「授乳中のお薬」に関する不安や疑問に,自信をもってお答えするのが難しいのは,信頼に値する情報になかなか辿り着けないからではないでしょうか。本書は,薬剤の母乳移行と授乳のリスク分析に特化したデータや文献を提供し続け,原著で既に20版を重ねる定評あるリファレンスの待望の邦訳です。その場で素早く参照ができるように,一般名で五十音順に掲載された薬剤には,国内で流通する商品名と薬効のカテゴリー,そして何より今すぐ知りたい授乳の危険度がひとめでわかるように手際よくまとめられています。

 「母乳で育てる」は,いまや社会全体の意識となり,たとえ母親に服用治療の必要があっても,授乳を続ける上での影響が小さいと判断できれば,私たち医療者は積極的にそれを励ます立場にあります。「安全性に関する十分なデータがない」という添付文書を盾に,母乳をあきらめることに躊躇のなかった時代とは隔世の感です。実際,ほとんどの薬剤は適正に使用されていれば授乳を控える必要はないのですが,根拠もなく「大丈夫」と言うのも,やはり責任ある態度ではありません。また,母乳に固執するあまり服薬を中断させて,母親が健康を害するようであれば本末転倒というものです。

 本書では,掲載されている薬剤について,母乳移行性の客観的な判断材料となる薬物動態に関する指標(半減期,分子量,蛋白結合率など)が示され,解説と文献を参照することができます。その上で,授乳が安全なものから,明らかな禁忌まで5段階に分類され,中間群についても過去の事例や研究結果に基づいて階層化されているので,説得力があり信頼性の高いリファレンスとなっています。

 本書の代表者であるHale博士は,母乳育児に最高の価値を与えながら,母親の健康がその大前提であり,治療と授乳は両立すべきとの立場を明らかにしています。したがって,一律にリスク分類を適用するのではなく,個々の当事者(母親,医師,薬剤師)が十分な論議で合意を形成し,投薬を受けながら授乳を続けることの利益・不利益を主体的に判断することを求めています。そのために,治療薬に限らず,検査や診断に用いる薬品から,消毒剤,嗜好品,病原体に至るまで,およそ授乳中の母親が曝露される可能性のあるものなら徹底的にデータや文献を蒐集したと宣言しています。私たち医療者が,自信をもって母乳育児を適切に導くことができるように,強い使命感と自負をもって編纂された本書は,必要な薬剤を探し読みするだけではもったいない内容になっています。

 最後に,本書が第一線の病院薬剤師の皆さんの手による翻訳書であることを申し添えなければなりません。あらゆる診療科にまたがる膨大な臨床薬理の知識をもち,日頃から患者さんたちに直接相対している方々のお仕事であるからこそ,臨場感のある,きめの細かい日本語版が出来上がりました。本書が,母乳育児相談に携わる機会のある全ての職種に利用されることが,チーム医療の実践そのものになると信じています。


《評者》 奥沢病院名誉院長/昭和大名誉教授・脳神経内科

 ハンス・ベルガーが初めて人の脳波記録に成功したのは1920年代で今からちょうど100年前のことであった(論文発表は1929年)。この成功の背景には,精神機能を測ることへの強い興味があった。ベルガーは脳波実用化の過程で,脳の温度や脳血流の測定にも力を注いだ。α波やβ波の命名もベルガーによる。

 学生時代(1970年代)の実習で,脳波室の先生から脳波検査法の意味を習ったことを今でもよく覚えている。脳波測定の意義は2つで,1つは意識レベルがわかること,もう1つはてんかん診断ができること,と教わった。Ⅹ線CTがようやく開発されたころであった。それから半世紀を経て脳波診断の意義は拡大し,神経救急診療の場面全般で大きな意義を持つようになった。これらの背景からNCSE(非けいれん性てんかん重積状態)が示され,最近では健忘・失語などてんかん性高次脳機能障害とも言える病態が特に注目されている。

 本書はICU脳波モニタリングの定番書である『Handbook of ICU EEG Monitoring, Second Edition』を吉野相英先生(防衛医大精神科学)が全編翻訳なさったものである。全40章に用語についての付録がついて,全体で456ページの大部である。各章には必ず脳波所見が掲載され,in this chapter,キーポイント,予備知識,基礎,今後の課題,付録図,最後に文献が20~30編という構成で非常に豪華である。本書の目玉,特筆すべき点はベルガーの時代には全く想像もできなかったに違いない長時間脳波モニタリングの基礎がわかりやすく示されていること,それに最近何かと話題になる定量脳波の可能性についてきちんと書かれていることだと思う。

 この出版にあたって書評を私に依頼くださったのは吉野先生ご自身であり,謹んでこの依頼をお引き受けすることにした。吉野先生とは以前日本てんかん学会のシンポジウムで講演者としてご一緒したことがある。2019年神戸での第53回てんかん学会学術集会シンポジウムで,シンポジウムのテーマは「認知症とてんかん」というものであった。2人の講演の共通テーマはNCSEであった。てんかん性の高次脳機能障害は以前考えられていた以上に高頻度に発症し,一見認知症にも見えるが実はその多くはNCSEであり,その脳波所見と臨床病態の把握が特に重要であるということがそのシンポジウムで総括された。このシンポジウムがきっかけの1つになり,私は吉野先生の前著(監訳)『精神神経症候群を読み解く――精神科学と神経学のアートとサイエンス』(2020年,医学書院)の書評も書いた。こちらの本も素晴らしい本で翻訳も良い。

 これらの本は,てんかん・意識障害などの神経救急診療現場で働く臨床家,また神経生理学研究の立場の基礎研究者にも有用で,脳波診療の行方を照らす灯の1つとなることは確実である。1人でも多くの人に読んでいただきたいと心から思う。


《評者》 日本肝胆膵外科学会理事長
横浜市大主任教授・消化器・腫瘍外科学

 わが国の肝胆膵外科を牽引する若手のリーダーの一人である本田五郎先生とお弟子さんの大目祐介先生が共同執筆された本書は,本田先生が「現時点での腹腔鏡下肝胆膵外科手術の到達点」として出版されたものである。これは読まないわけにはいかないだろう。

 本書には,本田先生の開発したさまざまな有名術式・概念が網羅されている。例えば有名な「胆嚢摘出術におけるSS-inner layer」「肝静脈の股裂きを防止するCUSAの使い方」「caudate lobe-first approach」などである。

 本書の特徴は「わかりやすい」ことに尽きるだろう。手術シェーマが好きな人にはたまらない素晴らしい図が数多く収載されている。Web動画のリンクまで用意されている。そのため,次は本田式でやってみようかな,と思わせる,そんな誘惑にあふれている。

 また,随所にKnack&Pitfallがちりばめられている点も,宝探しのようで面白い。具体的に数か所列挙すると,「胆嚢全層摘出術の際の胆嚢板の処理」(p51),「肝門近傍の地雷」(p54),「前区域Glisson茎の首は長めに確保する」(p190)など非常に有益なポイントがちりばめられている。

 また,Coffee BreakやDiscussionという名の「つぶやき」もある。「negative思考」(p90),「ベッドサイド命」(p294),「リンパ節郭清のエビデンス」(p330)などを読むと,彼の気骨あふれる人柄がよく理解できる。まさに本田五郎の真骨頂である。

 そろそろ肝胆膵外科にも開腹を知らない若い世代が増えつつある。本書はこれから肝胆膵外科の坂道を登っていく若手外科医のバイブル的存在になるのではないだろうか。


開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook