• HOME
  • 書籍
  • 神経病理インデックス 第2版


神経病理インデックス 第2版

もっと見る

神経病理の森を迷わず進むための羅針盤として圧倒的な支持を得た定番書が18年ぶりに待望の改訂。神経病理学のエキスパートとして長年の経験から得られた膨大なコレクションの中から「これぞ」という写真を厳選して掲載。改訂にあたり300点近い写真を新たに追加。簡にして要を得た解説が初学者にもわかりやすい。最短ルートで神経病理の最高峰を一望できる1冊。

新井 信隆
発行 2023年07月判型:B5頁:272
ISBN 978-4-260-05252-8
定価 11,000円 (本体10,000円+税)

お近くの取り扱い書店を探す

  • 正誤表を掲載しました。

    2023.08.23

  • 序文
  • 目次
  • 書評
  • 正誤表

開く

第2版の序/謝辞

第2版の序

 「スライドの順番がユニークでしたがフロアから質問はございませんか」という座長の皮肉っぽい第一声に,小さな失笑がいくつか漏れたわけを,後になって先輩病理医に諭された。

 横浜市大病理の駆け出し教員のころ,神奈川県下の病理医の研究会でまれな卵巣腫瘍を発表した。さまざまな色合いを示す腫瘍細胞が輪になった管状構造の美しさは,あたかも万華鏡のようだった。その感動をそのままに,最初に強拡大で管状構造を供覧し,次第にズームアウトして全体像へ移行する発表スライド順は,映像であればオーソドックスなカメラワークだが,マクロからミクロへのズームインをセオリーとする病理の世界では失笑ものだったようだ。

 しかし,セオリーは星の数だけある。横浜市大を辞して東京都神経科学総合研究所に赴任して10年くらい経った2000年,豊富な標本コレクションに囲まれながら,今までのセオリーに囚われない斬新な教科書を作ってみたいという好奇心が頭をもたげ,2005年には本書の初版を,2019年には多彩な病変と正常の姿を満載した写真集『マクロ神経病理学アトラス』を医学書院から上梓した。

 本書は目次こそ古典的であるが,インデックスの名前のごとく,どのページにも探し物が散りばめられている。とくに今回の改訂では,「染色法」の編を格段のボリュームをもって新たに追加し,いろいろな輝きを発する細胞病理像を数多く収載した。さらに,「総論」および「各論」,合わせて3つの編に,1つの病理所見が姿を変えて繰り返し登場するので,どのページを眺めても新鮮な発見があり,楽しくもあるはずだ。

 外的ストレスが神経組織の可塑性にどのように影響するのか? 頭部外傷の病理は神経病理の基本であるが,わが国の多くの神経病理学書では最終章に少しだけしか頁は割かれていない。私自身,本書の初版でも,そういう「セオリー」を踏襲してしまったことをずっと後悔していた。改訂版では,慢性外傷性脳症(CTE),虐待による乳幼児頭部外傷(AHT)など,科学的にも社会医学的にも重要なテーマを取り上げた。

 神経変性疾患の多くは,タウオパチー,シヌクレイノパチーなどの〇〇パチーに分類分けされ,また,認知症の多くが前頭側頭葉変性症(FTLD)に分類されている。背景の蓄積蛋白や遺伝子異常などが次々明らかになるにつれ,真実へ近づきつつある一方で,タウとアミロイドβの沈着が共存するアルツハイマー病が,これら新規分類と一線を画していまだ独立した疾病単位であることを1つとっても,今後の研究の余地は大きい。

 筆者は1990年代から,ロンドンのモーズレー病院,都立神経病院などのてんかん外科治療例の病理診断を経験してきた。とくにてんかん原性脳形成異常については古典的な疾病単位に準拠するオーソドックスな診断をしてきたが,2010年ごろから,国際抗てんかん連盟の病理診断基準が世界中を席巻している。真の金科玉条となるかは今後の改訂の行方次第だが,実務上,必要不可欠な知識であるのであえて詳述した。

 さて序の終わりに,本書の作成を担当していただいた医学書籍編集部の小藤崇広氏,制作部の岩間拓海氏はじめ医学書院の皆様に御礼申し上げる。とくに小藤氏とのメイル履歴は200件近くに上るなど,細かな要望に応えていただいた。また,私のライフワークともなったデジタルパソロジーやビジネス活動を先駆けのころから支えていただいた盟友,チームキアズマの植木信子氏,八木朋子氏にも厚く御礼申し上げる。八木氏には本書の表紙,イラスト作成(12章,16章)にもご協力いただいた。重ねて御礼申し上げる。

 あれから18年。あゝおまえは何をしてきたのだと吹き来る風が私に云う。万華鏡の奥から懐かしい声が聞こえるようだ。

 2023年4月
 新井信隆

 

謝辞

 第2版においては,新たに下記の皆様方のご協力を賜りました。ここに記して深甚なる謝意を申し上げます(敬称略,当時のご所属)。

 小森隆司(東京都立神経病院),田沼直之(東京都立府中療育センター),播谷亮,木村久美子(動物衛生研究所),吉田幸子,林宏行(横浜市立市民病院),原田一樹(防衛医科大学校),上村公一,鵜沼香奈(東京医科歯科大学),槇野陽介(東京大学),井濱容子(横浜市立大学),林紀乃(東京都監察医務院),後藤明輝,大森泰文,吉田誠,高橋正人(秋田大学),小林道雄,阿部エリカ,豊島至(国立病院機構あきた病院),丸本倍美(国立水俣病総合研究センター),菰原義弘(熊本大学),賴田顕辞(高知赤十字病院),林雅晴,江口弘美,小島利香,関絵里香,植木信子,八木朋子,山西常美,赤松敬子(東京都医学総合研究所)

開く

脳の肉眼観察
  脳の外観
  冠状断
  水平断
  矢状断
  小脳
  脳幹

染色法
  神経組織のための染色法
  スクリーニング4染色のルーペ像観察
  大脳皮質・白質のルーペ像とミクロ像
  大脳基底核周囲のルーペ像とミクロ像
  中脳のルーペ像とミクロ像
  橋のルーペ像とミクロ像
  延髄のルーペ像とミクロ像
  小脳のルーペ像とミクロ像
  脊髄のミクロ像
  脊髄のルーペ像
  コスパのよい診断のポイント
  ヘマトキシリン・エオジン(HE)染色
  ニッスル染色/ルクソール・ファスト・ブルー(LFB)染色/クリューバー・バレラ(KB)染色
  ボジアン染色/その他の嗜銀染色
  ガリアス・ブラーク(GB)染色
  ホルツァー染色
  神経変性疾患の鑑別に有用な免疫染色
  その他の染色法
  ユビキチン染色/リン酸化タウ染色
  リン酸化TDP-43染色/リン酸化α-シヌクレイン染色/FUS染色/ポリグルタミン染色/ニューロフィラメント染色/髄鞘塩基性蛋白(MBP)染色
  シナプトフィジン染色/アミロイドβ前駆蛋白(βAPP)染色/NeuN染色/アミロイドβ(Aβ)染色
  カルビンディンD-28K染色/パルブアルブミン染色/グリア線維性酸性蛋白(GFAP)染色/ビメンチン染色/マクロファージ染色/ミクログリア染色
  蓄積物染色/線維染色/金属染色/グリオーシス代替染色/変性識別染色

総論
 1 神経細胞
  神経細胞の基本構成
  神経細胞の病理変化
 2 神経突起
  神経細胞の突起(軸索・樹状突起)の病理変化
 3 髄鞘
  髄鞘の基本構成
  髄鞘の病理変化
 4 アストロサイト
  アストロサイト(星状膠細胞)の基本構成
  アストロサイトの反応性変化・形成異常
  アストロサイトの細胞質・突起内の蓄積物
  組織鉄とアストロサイト異常
 5 オリゴデンドログリア
  オリゴデンドログリア(乏突起膠細胞)の基本構成と病理変化
 6 ミクログリア・マクロファージ
  ミクログリアとマクロファージの基本構成と病理変化
 7 上衣細胞・脈絡叢上皮細胞
  上衣細胞・脈絡叢上皮細胞の基本構成
  上衣細胞・脈絡叢上皮細胞の病理変化

各論
 8 脳血管障害・循環障害
  血管の病変
  脳梗塞
  頭蓋内出血
  低酸素症
 海馬原基が回転して海馬ができるまで
 9 頭部外傷
  ミサイル型頭部外傷
  非ミサイル型頭部外傷
  頭部外傷による出血性病変
  虐待による乳幼児頭部外傷
  脳ヘルニアと随伴現象
 10 感染症・炎症性疾患
  細菌感染症
  真菌感染症
  寄生虫感染症
  ウイルス感染症
 11 運動ニューロン疾患
  孤発性筋萎縮性側索硬化症
  家族性ALS
  上位運動ニューロン疾患
  下位運動ニューロン疾患
 神経変性疾患の見取り図
 12 アルツハイマー病
  アルツハイマー病(AD)の病理診断
 13 タウオパチー
  3リピートタウオパチー
  4リピートタウオパチー
  3+4リピートタウオパチー
 14 TDP-43プロテイノパチー
  FTLD-TDPの臨床的特徴
  FTLD-TDPの細胞病理とタイピング
  ペリー症候群
 15 前頭側頭葉変性症
  FTLDのカテゴリー分類
  FTLD-tau
  FTLD-TDP
  FTLD-FUS
 16 α-シヌクレイノパチー
  α-シヌクレイノパチーの範疇の変性疾患
 17 リピート病
  CAGトリプレットリピート病(ポリグルタミン病)
  ポリグルタミン病以外のリピート病など
 18 その他の変性疾患
  非α-シヌクレイノパチー性家族性パーキンソン病
  軸索ジストロフィーを呈する神経変性疾患
  遺伝性痙性対麻痺
  免疫異常に神経病変が合併するまれな疾病群
 19 脳形成異常
  神経管閉鎖障害
  脳胞形成障害
  神経細胞移動障害
  細胞の増殖と分化の障害
 20 神経皮膚症候群
  腫瘍形成を伴う神経皮膚症候群
  巨脳症を伴う神経皮膚症候群
  DNA修復障害を有する神経皮膚症候群
 21 周産期脳障害・水頭症
  周産期脳障害
  水頭症
 22 てんかんの外科病理
  側頭葉てんかんの病理像
  てんかん原性脳形成異常
  その他のてんかん原性病変
 23 脱髄疾患
  多発性硬化症
  視神経脊髄炎
  その他の多発性硬化症亜型
  まれな髄鞘障害疾患
 24 ライソゾーム異常症
  ムコ多糖症
  スフィンゴリピドーシス
  糖蛋白異常症
  神経セロイドリポフスチン沈着症
 25 ペルオキシソーム異常症
 26 ミトコンドリア異常症
 27 銅代謝異常症・アミノ酸代謝異常症・その他の代謝異常症
  銅代謝異常症
  アミノ酸代謝異常症
  カルシウム代謝異常症
  その他の代謝異常症
 28 中毒性疾患・栄養障害
  ビタミン欠乏症
  外因によるパーキンソニズム
  アルコール中毒
  薬物中毒
  金属中毒
  放射線による組織障害とその応用
  悪性腫瘍に伴う傍腫瘍性症候群
  外的因子による脱髄性病変

索引

開く

私の人生を変えた本の待ちに待った改訂版
書評者:原田 一樹(福島県立医大教授・法医学)

 私は現在,“頭部外傷の神経病理”を専門として実務と研究を行っているが,この道を歩むきっかけとなったのは,2005年に出版されて以来高い評価を得ていた本書の初版との出会いであった。
 5年間の米国研修の中で,私は神経病理に強く惹かれるようになったが,2007年に帰国した時点では,法医学分野での専門を中枢神経とするかどうか迷っていた。なぜならそう,脳は「ややこしくて,難しくて,とっつきにくい」からである。しかし本書の初版に出会って私の迷いは吹き飛んだ。模式図を用いたわかりやすく丁寧な解説で神経病理のおもしろさを伝える本書を読み,神経病理を学ぶことの楽しさに目覚めた私は,“頭部外傷の神経病理”を生涯の専門分野とすることに決めたのである。

 学会などで新井信隆先生の講演を聴講した方ならご存じであろうが,新井先生は講演が抜群に上手い。間違いなく国内トップクラスだ。柔らかい語り口ながら,講演中は一瞬たりとも退屈させない。少し話は逸れるが,2016年に私が日本法医病理学会の前身である法医病理研究会の企画委員長に就任した時にまず計画したのが,新井先生を唯一の講師とする2日間にわたる神経病理セミナーであった。私としてはもちろん「新井先生でなければ意味がない」という気持ちで企画したものであったが,冷静に考えればこれはかなり無謀な企画だ。なぜなら,もし新井先生に何らかのトラブルが起こった場合,2日間のセミナーが即中止となるからだ。しかし,新井先生は長丁場のセミナーを見事にやり遂げられ,参加した法医関係者にも大好評,大満足のセミナーとなった。そのセミナーでも存分に発揮された,“専門外の人に神経病理をわかりやすく教える技術”は当然インデックスにも反映されている。

 さて,このように私の人生を変えた本が18年ぶりに改訂されると聞いて心待ちにしていたが,期待をはるかに超える充実した改訂となっていた。
 まず,フォントの種類,文字の大きさの使い分けなど,細かいところまで気を配り,読みやすさを追求した改訂が行われたことは明らかだ。そして驚くべきことに,初版でもすでに好評であった模式図は,今回全面改訂されている。これはかなりの手間であったはずだ。初版を持っている方はぜひとも新旧の模式図を比較してみて欲しい。また,「総論」の前に,新たに43ページにわたる「染色法」パートが追加されている。しかもただ染色法を羅列するのではなく,「コスパのよい診断のポイント」として,限られた数の標本,染色から正確な診断を行うことの重要性を山登りに例えて説明しているのは秀逸である(添えられた表も本当に素晴らしい!)。神経病理を学び始めた人がまず頭を悩ますことの1つが,使用される染色法の多さであるが,このパートを読めばもう悩む必要はない。
 本来は法医学のトピックである「頭部外傷」の章も文句のない仕上がりである。今回大幅にページ数を増した本章では,この分野における最新の重要トピックである“硬膜境界細胞層”“揺さぶられっ子症候群”“中村I型”についてもしっかり言及されており,新井先生の法医学に関する知識の深さに改めて驚かされた。現在も複数の法医学講座から依頼を受けて,司法解剖の神経病理学診断を積極的に行っておられる新井先生ならではの内容であろう。
 さらに,第2版には何と「パラパラ漫画」がついているのである。いやはや,一体どこの病理医が自身の名著の改訂を好機と見てパラパラ漫画に挑戦するだろうか……(笑)。このように,一流の神経病理医でありながらユーモアに溢れた新井先生の人間性はインデックスの随所に反映されている。くれぐれも細かい部分を読み飛ばさないことである。

 ところで,新井先生が2019年に出版された『マクロ神経病理学アトラス』も素晴らしい本であった。あのような美しい写真に溢れ,神経病理に関する実務を行う者にとって“かゆいところに手が届きまくる”マクロのアトラスは世界的に見ても他にないと思う。神経解剖や神経病理に特に興味のある方は,インデックスとこのアトラスを併用して実務を行われることを強くお勧めする。

 あのときの私と同じように,中枢神経の複雑さに不安を感じている皆さん,そして今の私のように,自身の専門分野の中で神経病理を極めていきたいと考えている皆さん,この改訂版インデックスをもって実務に臨めば,中枢神経に関する理解のプロセスは加速し,脳について学ぶことが心底楽しくなることは間違いない。


通読可能な分量に神経病理のエッセンスを凝縮
書評者:柴原 純二(杏林大教授・病理学)

 病理医が慢性的に不足するわが国にあって,多くの病理医はgeneral pathologistとして諸臓器に向き合うことを余儀なくされているが,新規知見が加速度的に蓄積される現代において,各領域の知識を十全に備えることは年々難しくなってきている。特に神経病理は,その複雑な解剖,多彩な組織構築や構成細胞,独特の染色法の数々からして,多くの病理医が苦手とするところであるが,もとより疾患が多様である上に,概念の変遷があり,新規病型の提唱や疾患の細分化が進んでいることが,習得をより困難なものとしている。また,神経病理の特徴の一つは,病理解剖でなければ経験できない疾患が多いことであるが,新型コロナウイルスの流行により解剖の機会の減少に拍車がかかり,経験を積むことが一層困難となりつつあることも,神経病理を学ぶ上での大きな障壁となっている。

 この度改訂された『神経病理インデックス』は,こうした難点を孕む神経病理の学習や診断の実践において大きな手助けとなってくれる1冊であり,定評のあった旧版から実用性がさらに増した印象である。表紙イラストも魅力的な本書をひとたび開けば,美麗な肉眼・組織写真の数々,理解を促進する豊富なイラスト,正常組織や種々の疾患についての簡潔明瞭な解説に夢中となってしまうであろう。私見では現状で最も優れた神経病理の教科書と言っても過言ではなく,母国語でこのような良書に触れられることに幸せを感じずにはいられない。通読可能な分量でありながら,エッセンスは漏れなく盛り込まれているため,病理学や脳神経内科学を研修中の医師や医学生を含む初学者にまずはお薦めしたい。また,経験豊富ながら神経病理は敬遠しがちな一般の病理医にとっても,神経病理の最新を網羅的に知ることができる本書は一読の価値がある。「インデックス」の名が示す通り,辞書的な活用ももちろん可能である。

 著者の新井信隆先生は神経病理分野で数々の業績を残してきた一流の研究者であるとともに,「東京都医学研・脳神経病理データベース」の構築に従事するなど,わが国の神経病理学の教育に多方面から貢献してこられた先生である。現在は自ら設立された唯一無二の神経病理専門の株式会社「神経病理 Kiasma & Consulting」を運営され,文字通り全国を飛び回って神経病理学のコンサルト活動を展開されている。当施設でも病理解剖症例を中心に新井先生にご指導を仰いでおり,深い教養を持ちつつ,ユーモアを兼ね備えた先生のお人柄に魅了されている。本書においても詩的な表現が散りばめられ,ページ右下にはさりげなく海馬発生のパラパラ漫画が配されているなど遊び心が反映されており,新井先生ならではの1冊に仕上がっている。大幅な発展を遂げた本書の次の改訂版を今から期待しつつ,これから数年間は本書を堪能しながら神経病理に向き合っていきたい。


見えないものが「視える」ようになる,神経病理学の羅針盤
書評者:小野寺 理(新潟大脳研究所所長/教授・脳神経内科学)

 ある図形から2つの物を見ることができるのに,同時には2つの物に見えない図形を,多義図形といいます。最も有名な多義図形に『妻と義母』があります。向こうを向いている若い妻にも,年老いた義母の横顔にも見える図です。皆さんも見たことがあるかと思います。不思議なことに,一度老婦人に見えると,妻が見えなくなります。また,一度多義図形であることに気付くと,気付かなかった時期の自分には戻れません。われわれの視覚は,意識に左右されます。見えるようにならないと,永遠に見えません。また一度見えると,次からは,必ず,そう見えるようになります。この現象は,われわれの認知や知覚における,固定観念や予測の働きに関連しているといわれています。

 われわれは,ありのままを認知しているのではなく,過去の経験や学習から得た情報を基に,解釈し,意味を与え,認知します。『妻と義母』で起こっていることは,このような認知のプロセスによって生じるものと考えられています。この現象が面白いのは,一度認識した解釈が強くなると,逆の解釈をすることが大変難しくなることです。一度見えてしまうと,もう見えなかった自分には戻れなくなります。
 病理の世界でも,誰かが重要性を唱えるまで,見えなかったということがあります。私の専門とするポリグルタミン病のハンチントン舞踏病における核内封入体は,1997年の夏にBatesらによって,『Cell』の表紙で大々的に提唱されました。この封入体は,1997年に突如現れたのではなく,以前より気付かれていました。しかし,Batesが「視る」まで,多くの病理医には,見えなかったのだといえます。

 初学者と,病理のスペシャリストとの大きな違いの1つは,この「視える」脳の違いにあります。本書は,初学者の脳を,どのように「視える」ようにするかに,工夫が凝らされています。最も大きな特徴は,所見を理解しやすく記載した多くのイラストがあることです。このイラストは,皆さんの理解を容易にするとともに,新井信隆先生が何をそこに「視ている」のか,惜しみなく教えてくれます。そして,その所見の意味を,最新の知識を加えながら,かつ,簡潔明瞭に解説されています。通読することも苦になりません。

 また,基本的な染色方法は,まとまって触れられることが少ないものです。これらに多くのページを割いて,美しい写真と,新井先生がそれらの染色に期待することまで加えて解説してくれます。このイラストと,写真を見比べれば,一生使える「視える」脳に,皆さんの脳が変化します。「視える」ようになると,もう,その像が浮き上がってくるはずです。

 本書は,本来多くの観察時間を費やして初めて到達できる境地に,皆さんを導くと思います。病理学の初学者から,神経病態学を志す研究者まで,ぜひ,本書を手に取って,ヒトの疾患脳の世界を「視える」ようにしてもらいたいと思います。そして,まだ誰にも見えていない,あなたが世界で初めて「視る」真実を探しに行ってください。本書はその羅針盤となります。

開く

本書の記述の正確性につきましては最善の努力を払っておりますが、この度弊社の責任におきまして、下記のような誤りがございました。お詫び申し上げますとともに訂正させていただきます。

正誤表はこちら

本書の一部を医学界新聞プラスで無料公開中!
医学界新聞プラスのページへ