FAQ
失行のリハビリテーション 障害の性質と介入のポイント
寄稿 花田 恵介
2025.11.11 医学界新聞:第3579号より
手に力は入るのに,その手を「どう動かすか」がわからない……。その手で「道具をどう使ったらよいか」がわからない……。それが「失行(apraxia)」という症候です。運動麻痺は筋そのものが動かないのに対し,失行は運動機能そのものには問題がないのにもかかわらず,自身の手指をどう動かし,道具をどう扱うかがわからなくなった状態を指します。
FAQ 1
失行とは何ですか?
失行とは,「運動執行器官に異常がないのに,目的に沿って運動を遂行できない状態」を指します1)。大脳損傷,とりわけ左半球の頭頂葉や前頭葉の損傷が原因で起こる,高次脳機能障害の一種です。失行は脳卒中のほかに,アルツハイマー病などの神経変性疾患でも出現することがあります。
失行を初めて体系的に概念化したのは,20世紀初頭のドイツの神経学者Liepmannでした。彼は「運動の観念」と「運動の実行」の分離に注目し,①道具をうまく使えない観念性失行,②身振り(ジェスチャー)がうまく行えない観念運動性失行,③手指動作が拙劣になる肢節運動失行の三類型を提唱しました。
しかしその後,研究者ごとに定義や分類が異なり,混乱が生じたため,現在では「limb apraxia」という包括的用語が使われるようになりました。失行は単一道具の使用障害だけではなく,行為を成立させる複数の過程(知覚・記憶・意味・動作計画)が破綻した状態として理解されています。
道具をうまく使えなくなる観念性失行(図)2)が生じると,食事,整容,着替え,家事など日常生活のあらゆる場面で支障が出ます。特に「順序がある行為」や「複数の対象を扱う動作」が苦手になりやすいです。
道具と物品(この場合,かなづちや釘)において生じる観念性失行の誤りの質のうち,1つは道具と対象の位置関係や方向が合わない誤り(a),もう1つは道具に適した対象物を選べない誤り(b)である。
Answer
失行は運動機能に問題がないにもかかわらず,目的に沿った運動ができなくなったり,道具をうまく扱えなくなったりする高次脳機能障害の一種です。
FAQ 2
適切な介入方針を立てるために,失行症状をどのように評価・理解するとよいですか?
失行症状を評価する際の前提として,左半球損傷を負った右利きの患者では,失行とともに失語を合併することが多いことを押さえておきましょう。したがって臨床では,「指示を理解できないからできない」のか,「理解しているのに動作が組み立てられない」のかを慎重に見極める必要があります。
評価に当たっては,患者にさまざまな日用道具を実際に使用してもらい,その様子を観察します。櫛や歯ブラシ,うちわなど自らの身体に向けて使う道具,金槌やホッチキス,ドライバー(ねじ回し)のように対象物に働きかける道具,さらにスマートフォンや家電ボタンなど電子機器を操作する動作など,評価対象は多岐にわたります。生活場面の観察や患者の訴えに応じて,観察すべき使用動作をピックアップします。
観察の要点は「どのような場面で,どんなエラーが生じるか」です。手順の間違い,姿勢や持ち方の誤り,対象の方向づけの不一致など,動作エラーの質的分析が重要です。近年は失行が単なる運動の失敗ではなく,「道具の意味的知識(semantic knowledge)」や「道具の機械的知識(mechanical knowledge)」の障害によって生じる可能性が提唱されています。
また,患者のエラーが失行と診断されるか否かよりも,その症状にどう対応したらよいかを考えることが臨床家にとって本質です。失行を「運動が崩れた病態」として見るのではなく,「その人が道具や対象にどう働きかけ,何を成し遂げようとしているか」という行為の文脈に光を当てます。
たとえば,患者がシャツのボタンを留められないとき,「手の動きがぎこちない」と短絡的に結論を出して終わるのではなく,「ボタンやシャツという対象にどうかかわろうとしているのか」を観察します。視線の向き,手の探索範囲,触覚への注意などを細かく見ることで,行為のどこにズレがあるかが見えてきます。加えて,内省が得られる場合は,「どの部分が難しかったですか?」と尋ねてみます。患者自身の気づきが,リハビリテーションの出発点になります。
Answer
失行症状の評価では,日常生活と同じ動作・道具の使用におけるどの段階でどんなエラーが生じるのかを注意深く観察しましょう。失行の症状そのものにとらわれすぎず,患者の状態から意思や行動の目的を読み取ることが重要です。
FAQ 3
失行のリハビリテーションにおいて,患者に介入する際に留意すべきポイントを教えてください。
失行のリハビリテーションにおいては,代償手段(註)の獲得を目的とした繰り返しの練習が重要です。「元どおりの動作方法に矯正する」よりも「やり方は変わっても再びできるようにする」「修正する」よりも「成功できる条件を整える」という姿勢が肝心です。作業療法士が行う支援の例としては,以下のようなものがあります。
誤りなし学習 誤りを起こさずに正しい手順を繰り返すことで,成功体験を積み重ねる。
環境調整 必要な道具を使いやすい配置に変え,不要な刺激を減らす。
模倣・ジェスチャー訓練 他者の動きを観察・模倣したり,患者に手を添えて正しい運動を伝えたりすることで,動作の象徴的理解を再獲得する。
これらはいずれも単なる訓練技法ではなく,患者が「できるようになる条件」を見つけ出す試みです。たとえば,ボタンを留められない患者に対して,細かい指の運動練習を繰り返しても改善しないことがあります。しかし,ボタンの大きさを変える,服の位置を変える,あるいは「出かける準備」という具体的文脈を設定すると,突然できるようになることがあります。そこに,行為の回復は“能力”ではなく“状況”の再構成である,という認知リハビリテーションの核心が見えてきます。
また,失行患者はしばしば自らの誤りに気づきにくく,うまくいかない行為を続けてしまいます。そのため作業療法士は「誤りに気づける仕組み」を環境の中に埋め込むことも大切です。たとえば,行為の途中でフィードバックを得られるように鏡や映像を用いる,成功の感覚を小さな段階で積み重ねるなどです。
高齢者や失語の合併例では,家族や介護者の理解も不可欠です。「なぜうまくできないのか」をご家族に説明すること自体がリハビリテーションの一部であり,患者をむやみに責めない環境づくりが再構成の基盤になります。
Answer
失行のリハビリテーションでは症状そのものの修正をめざすのではなく,障害されている行為の目的に着目し,別の手段でもよいので患者が再びそれを達成できるよう支援することが重要です。支援においては小さな成功体験を積み重ねる工夫をちりばめたり,周囲の協力を得たりするなど,患者を取り巻く環境の再構成に努めましょう。
もう一言
高次脳機能障害のリハビリテーションは,理論も介入法も未だ十分に確立されていない分野です。そのためエビデンスの発展を支えるのは,統計的検証よりもむしろ,一例の詳細な観察記録によるところが大きいと筆者は考えます。症例報告はエビデンスレベルが低いですが,症候と回復過程の丁寧な記述は,臨床推論を共有し,教育的に再利用できる貴重な素材となります。症例報告の積み重ねこそが,理論を育て,次の世代の臨床を導く礎となるのではないでしょうか。
註:代償手段とは,何らかの機能や能力が損なわれている場合に,それを補うために用いられる方法のことを指す。
参考文献
1)山鳥重.神経心理学入門.医学書院;1985.
2)花田恵介編.ひもとく・理解する・支援する 失行のリハビリテーション.医学書院;2025.
花田 恵介(はなだ・けいすけ)氏 四條畷学園大学リハビリテーション学部リハビリテーション学科作業療法学専攻 教授
2005年広島大医学部保健学科卒。大学病院などで約18年間,作業療法士として従事。臨床の傍ら,社会人大学院生として大阪府立大(当時)にて修士(保健学),山形県立保健医療大にて博士(作業療法学)を修了。大阪公立大大学院総合リハビリテーション学研究科客員研究員を経て,23 年より現職。専門は身体障害作業療法学,高次脳機能障害学,神経心理学。編書に『ひもとく・理解する・支援する 失行のリハビリテーション』(医学書院)。
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