医学界新聞

オープンサイエンス時代の論文出版

連載 大隅典子

2023.08.07 週刊医学界新聞(通常号):第3528号より

 昔話から始めよう。筆者が東北大学に着任した四半世紀前はまだ,論文掲載に至る過程で,「別刷り(リプリントと呼ばれる)を何部印刷しますか?」と記された「別刷り請求はがき」が出版社から届いていた。例えば100部の別刷りを手元に置いておき,リクエストがあったらその相手に送るのだ。もしくは,しばらく会っていない師匠や先輩などに「最近発表した論文なのでお時間があれば読んでください」と送ることや,初めて学会で名刺交換をした方に「先日はどうも」とごあいさつがてらに送付することもあった。

 発表した論文の別刷りをリクエストするはがきが国際郵便で初めて届いた時,研究業界の端に小さなすみかを作ることができたと感じてうれしかったことを思い出す。紙媒体の科学雑誌を読み,あるいはカレントコンテンツのような“論文目次冊子”(その後のMEDLINEのCD-ROM)で目をつけて,リクエスト用のはがきに掲載された雑誌名や論文タイトル,送付先などを手書きして国際郵便で送ってくれたのだ。当時は手元に届くのに最低でも航空便で1週間程度はかかったのだろうか。はがきを受け取ってから別刷りを入れた封筒に宛名を書き,「行っておいで」とわが子のように送り出した。先方へ届くまでには同じ程度の時間がかかる。つまり,リクエストした本人が論文を読めるのは,約1か月後だったのだ。今思えば牧歌的な時代である。

 現代人のクロック数は上昇している。医学業界でおなじみのPubMedで探した論文がオープンアクセス(OA)ではなく,所属先の図書館経由で読めないと知った瞬間に,落胆あるいは少々イラッとした気持ちになる。責任著者のメールアドレスに1本のメールを打てば,数時間から1週間もしないうちに論文のPDFが手に入るはず(普通,研究者は自分の論文を読みたいという要望はうれしいと感じるはず)なのだが,それさえ面倒に思える世の中だ。結果,1本30ドルくらいのいい塩梅の価格が付いたPDFを購入して読むことになる。あるいは,その雑誌が読める環境にいる友人の研究者にダウンロードをお願いすることもあるだろう。

 2023年6月6日付けの毎日新聞に「論文海賊版サイト,日本の違法ダウンロード720万件 5年で5倍超」という記事が掲載された1)。「海賊版」とされたSci-Hub(サイハブ)というサイトでは,学術機関を通して取得した論文を収集,公開しており,出版社の有料サービスを使わずとも,タダで論文をダウンロードできる。所属機関を介して論文にアクセスできない研究者にとっては,ありがたいことこの上ない。記事によれば,2023年6月現在,Sci-Hubには8800万本以上の論文が登録されており,22年の日本からの論文ダウンロード数は17年の5.6倍になったという。

 論文が受理された時点で研究者が出版社と交わす契約では,OAであれ非OAであれ,著作権を出版社側に譲渡することが一般的である。つまり出版社には,その論文をどのように編集してジャーナルに掲載するのかを最終的に決める権利があり(なお通常の書籍等の出版と異なり,著者に印税が支払われることは無い),特に非OAの場合は購読料によってそのビジネスが支えられている。したがって,購読料を直接・間接に支払っていない研究者であっても論文を読めるようにしているSci-Hubは,出版社の著作権を侵害しているという見方は確かに可能だ。実際,2011年にサービスが開始された後,何度も大手出版社との間で係争があり,Sci-Hubのサイトが置かれたサーバのドメイン名は剥奪と移行を現在も繰り返しているという。だが,Sci-Hubが商業出版社の高額な論文ダウンロード有料サービスへの対抗として始まったことは頭の隅に置いておくべきだろう。

 一方で,連載第1回の「“知のインフラ”の歴史」で前フリしたように,「ハゲタカ(捕食者)ジャーナル」と呼ばれるビジネスも横行している()。

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 OAジャーナルとハゲタカジャーナル
ハゲタカジャーナルは,査読のプロセスを省き,著者から比較的安価なAPCを得ることでWeb上に論文を公開するビジネス。査読の有無は読者からは見えずらく,論文の質を揺るがす問題に発展している。

 医学生命科学分野では,「査読」によって論文の質保証を行ってきた。具体的には,投稿された後に編集長(エディター)が適切な査読者(レビューワーあるいはレフリー)を2人程度選び(もっと多くなる場合もある),専門家である査読者が批判的に原稿を読むことによって,間違いや理解の足りていない点を指摘し,著者(オーサー)に戻すシステムだ。査読者が満足する段階まで到達すれば,めでたく論文は受理される()。朝,メールボックスを開いて「I am delighted to inform you ……」などの出だしで始まるメールを見つけた日は小躍りしたい気持ちになる。受理された原稿は,OA出版されるものもそうでないものもある。また,投稿前の論文を他の研究者に読んでもらう“critical reading”が行われる場合もある。

 いわゆる「ハゲタカジャーナル」は論文のOA化とともに現れてきた。必ずしも科学の素養が無くても,ビジネスとしてOA出版を行うことは容易だからである。著者は論文投稿とともに比較的安価な掲載料(Article Processing Charge:APC)を支払い,査読のプロセスが省かれた原稿が論文としてインターネット上に公開され,読者は誰でも読むことができる。未査読の論文が掲載されているのだから,当然,質は担保されていない。自分の業績リスト(publication list)を長くすることのみを考える研究者にとっては,「どうせ誰も読まない論文なのであれば,APCが安価なほうが得」と考えるのは想像に難くない。出版までにかかる時間も圧倒的に短いのだ。ここにも需要と供給の問題があり,学術出版業界の商業化,その他の弊害が認められる。

 どのようなジャーナルがハゲタカなのかに一定の定義はない。一応「Beall's List」というハゲタカの可能性があるジャーナルのリストは公開されている。ただし,たとえ歴史や権威のあるジャーナルであっても査読プロセスがいい加減ならば,結果としてハゲタカと変わらなくなることは強調しておきたい。各大学の図書館等はハゲタカジャーナルに関して注意喚起しており,筆者も“論文投稿お誘いメール”をひたすら機械的にゴミ箱に移す毎日である。情報の海で溺れそうなのは,どの業界も同じだろう。

 なお,ハゲタカジャーナルよりさらに悪質な“ジャーナル乗っ取り事件”も派生している。よくあるのは,日本の医学部が発行する紀要の名前に似た英語名のOAジャーナルとしてサイトが構築され,実在の研究者がEditorial Boardに名を連ねられ(ただしメールアドレスはでっち上げだったりする),どこからかコピペされたOA論文が,あたかもそれらしく掲載されているケースだ。日本がターゲットになっているのは見つかりにくいためだろう。実際にハゲタカなのか,それともAPCだけが搾取される仕組みなのかも不明だが,名前を使われた研究者にとっては名誉毀損も甚だしい問題である。

 さて,上記のSci-Hubと少し紛らわしいサービスとして,ResearchGateについても触れておこう。こちらは「研究者向けのソーシャル・ネットワーク・サービス」として2008年に立ち上げられた2)。このサイトを利用する研究者は「所属する機関のリポジトリを介さず研究成果やデータをセルフアーカイブすることが可能」であり,原著論文の共有のみならず,論文への質問・回答,協力者の募集などに活用できる。原著論文の共有は,Sci-Hubの設立趣旨と同様に,研究者コミュニティで出版業界の商業化に対抗しようとする意図が見られる。ResearchGateの研究者コミュニティ内では論文PDFのリクエストが頻繁に行われるため,出版社側から見れば「著作権の侵害」行為として許しがたい。けれども今回の原稿を書くに当たり,ResearchGateの立ち位置を再度見直すと,研究者が商業出版誌にともすれば高額なAPCを支払ってOA出版するのではなく,自ら研究結果やデータをオープン化する将来像が描かれていると考えられる。これは,グリーンOA化に至る一つの道筋とも言えるだろう。なお,Springer Nature社およびWiley社が発行する学術誌の一部をResearchGate上で利用可能とするパイロットプロジェクトが試みられるなど,今後の動向について引き続き注視していく必要がある。

 次回は,研究評価とオープンアクセスの関係を論じたい。


:査読で追加のデータが求められる場合もあり,査読期間が1年以上に及ぶこともざらである。査読期間の長期化は,昨今の医学生命科学研究の業界を不健全な状態にする要因の一つであると筆者は感じるが,本稿ではおいておく。

1)論文海賊版サイト,日本の違法ダウンロード720万件 5年で5倍超.毎日新聞.2023-06-06.
2)ResearchGate――リポジトリ機能を備えた研究者向けSNS.2015.

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