サイエンスイラストで「伝わる」科学
[第4回] 「一般的な感覚」とは
連載 大内田美沙紀
2023.08.07 週刊医学界新聞(通常号):第3528号より
前回,サイエンスイラストレーションのスタイルの調整について,伝える対象とメッセージを指標とした相関を示した。伝える対象が専門家でかつメッセージに正確性を求める場合はリアルな描写となり,対象が患者さん等のナイーブな層で大まかな印象を伝えたい場合はやさしい描写が適切であると述べた。特に患者さんが対象に含まれる場合は,より描写に配慮したイラストにする必要がある。今回はイラストを制作する上で,見る人に配慮する「一般的な感覚」と,その微妙な調整について例を挙げて紹介したい。
あえてイラストにする訳
「網膜に細胞を移植ってどうやるの?」
私が京都大学iPS細胞研究所(CiRA)に在籍中,iPS細胞技術の臨床研究をポスターで一般の方に紹介したとき,このような質問をよく受けた。こうした声に対応するため,写真ではなく目の断面図と,網膜へ細胞を移植しているイラスト(図1)を制作し,ポスターに挿入した。このとき写真ではなくイラストを挿入した訳は「一般的な感覚」でしかない。患者さんの目に注射器のようなものを刺している写真を見たい人がいるだろうか?
このいわゆる「一般的な感覚」が,動物やヒトの解剖に慣れてしまっている研究者は時々わからなくなるらしい。あるとき,動物実験の結果報告をまとめた論文のプレスリリース1)を担当することになった。パーキンソン病霊長類モデル(サル)にiPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞移植による治療法の有効性と安全性の確認を行ったものである。結果の中には移植実験前後のサルの画像や動画が含まれていた。プレスリリースの原稿制作に当たっての打ち合わせで,画像や動画をそのまま使うのを避けることを研究者にお願いし,代わりとなるイラストを私が制作する旨を申し出た(図2)。動物実験に対してはさまざまな意見が存在する。特に表情のわかるサルの動物実験は,多くの人にとって非常にショッキングなものになるであろう。あのときの打ち合わせでは,イラストの打診をするまで研究者たちは画像や動画を一般に公開することを特に疑問に思っていないように見受けられた。やはり「一般的な感覚」が麻痺していたように思う。
麻痺した「一般的な感覚」を思い出すにはどうしたら良いのだろうか。やはり,自分の研究コミュニティ以外の人に意見を聞くのが一番良いように思う。同じ職場で研究支援職や事務職に就く人,あるいは研究と関係のない友人や家族に「これを見てどう思うか」と聞いてみて,率直な意見を参考にすることが大事だと考える。
最低限の情報をマイルドに
伝えたい最低限の情報を残しつつ,リアルな描写とやさしい描写のバランスを調整しながら制作した臨床研究のイラストをもう一つ紹介したい。先述したパーキンソン病治療の研究がサルでの動物実験の結果,安全性と有効性が確認され2018年に医師主導の治験が開始された2)。このとき治験参加の募集をする際,患者さん向けの資料に入れるイラストも制作した(図3)。患者さんに伝える最低限の情報は,①細胞を移植する脳の部位(被殻)の位置を示すことと,②精度が高い装置を使った外科手術であること。そして何よりイラストを見る患者さんをびっくりさせ過ぎない描写にすることが不可欠だった。それらを満たしたイラストにするには紆余曲折あり(図4),研究者やそれ以外の人たちに意見を聞きながら修正を重ねた。ここでも制作過程で重要だったのは,複数の意見を取り入れることだった。実は,制作者自身も同じモチーフを長期間扱っているとゲシュタルト崩壊のようなものが起こり,「一般的な感覚」が麻痺してくることがある。効果的に「伝わる」イラストは,一人きりでは制作できないことを痛感した経験であった。
現在,北海道大学でサイエンスイラストレーションを制作する傍ら,シンポジウムやサイエンスカフェのモデレーターなどを務めることがある。イラストにかかわらず,サイエンスコミュニケーションは受け手の立場に沿った思いやりがないと一方的になってしまい,対話が成立しないことを痛感している。専門家寄りの自分におごらず,謙虚な姿勢で今一度「一般的な感覚」について考えてみてほしい。
参考文献・URL
1)京都大学iPS細胞研究所(CiRA).パーキンソン病霊長類モデルにおけるヒトiPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞の移植の有効性と安全性の確認.2017.
2)京都大学iPS細胞研究所(CiRA).「iPS細胞由来ドパミン神経前駆細胞を用いたパーキンソン病治療に関する医師主導治験開始」について.2018.
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