医学界新聞

寄稿 西川満則,紅谷浩之,平岡栄治

2022.11.07 週刊医学界新聞(通常号):第3492号より

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 ACP(Advance Care Planning)とは,年齢や病期にかかわらず,本人の価値観や今後受けたい医療・ケアを共有するプロセスである。緩和ケア領域だけに限らず,全ての医療者のACP実践への参画が重要であろう。さまざまな領域において,「踊り場」に立つACPにいま何が求められるのか。老年医療・ケア,在宅医療,救急・集中治療,それぞれの視点から考える(同特集の座談会記事)。


国立長寿医療研究センター 緩和ケア診療部医長

3492_0201.jpg ACP実践の模索が続く中,米国のMorrison氏がACPへの疑念を呈したことを契機に,本企画が立ち上げられた。急勾配の階段を上りきり「踊り場」に立ついま,ACPを振り返り,未来の姿を考える企画だ。そこで,私に与えられたテーマは「老年医療・ケア領域におけるACP」である。本稿では三つの問題を提起したい。

 第一は,ACPの実践者に本人が含まれているのに,本人の意思が反映されない現状がある。日本老年医学会によるACP提言には,「意思表示が困難な状態の場合もACP開始を考慮すべき」とある。意思決定能力が低下した人のACPにフォーカスすべきと思う。

 第二は,家族らに「代弁者」としての役割が期待されるが,代弁者に「代理決定」を強いる傾向にあることが問題だ。自己表現を避けがちな国柄もあり代弁者の役割は大きい。本人の意思決定能力がなくなった後,代理決定する場合もあるが,老年医療・ケアでは,本人が意思決定できる時期から本人の声を代弁するかかわりが望ましい。

 第三は,医療・ケア従事者の範囲だ。ACPは医療選択に違いないが,それには人生や生活の中にちりばめられた想いのかけらが影響する。医療職に比し,生活支援職の役割にフォーカスされていない。例えば老年医療・ケアでは,病院ソーシャルワーカーや地域の介護支援専門員の役割が重要だ。

 もし,我々がいま階段の「踊り場」にいるなら,次は「緩やかならせん階段」を上るイメージがよい。ACP実践だけが急勾配の直線階段を選んだところで,恩恵は得られない。意思決定能力の低下した人の思いをくみ,代弁者に意思決定を強いらず,人生や生活の中の想いのかけらをキャッチしつなぐ心構え――これらの基本が重要である。日々のケアにACPを含めるのだ。救急医療ではこのようなアプローチが適さないこともあるだろうが,老年医療・ケア領域では,周囲を見渡し緩やかならせん階段を上るイメージでのACP実践を願う。

 Morrison氏の主張のように,エンド・オブ・ライフの質がACPで向上するわけではないという見方もあるだろう。確かに,ACPごときで最期に人生を全うできたような気持ちにはなれないと個人的には思う。一方,医療・ケア従事者との関係性,望んだ場所での最期など,人生の最終段階の生活の質にACPはある程度の効果があるとも思う。過度に予見せず,信じるままにACPを実践し,時に我々は「踊り場」でその実践を振り返るのだろう。



オレンジホーム ケアクリニック理事長

3492_0202.jpg 「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」2018年改訂のポイントは,ACPの考え方が取り入れられたことのほかに,「在宅医療・介護の現場」での活用が念頭に置かれたことが大きい。

 病気を抱えたり悪化したりした時にどのような生き方を望むかを日頃から繰り返し話し合う場として,在宅療養の現場ほどふさわしい場所はないと筆者は考える。住まいには患者の生活があり,人生がある。座り慣れた椅子があり,愛犬がいて,家族写真,趣味の陶芸が飾られている。そこで語られる「これからの人生」についての想いや覚悟は,病院で語られるものとは質が違う。「質が高い」のではなく「根本的な違いがある」という意味であり,病院での語りのみでは見逃されることが多いのではないだろうか。その患者さん「らしさ」に繰り返し触れることで,対話の積み重ねが先のことを考える材料になる,と実感することは多い。そして,在宅現場でACPに取り組むと,病院搬送や施設入所となった場合でもその情報を共有できる。

 では,ACPを行う場としてふさわしい在宅医療において,どういった点に配慮することが求められるだろうか。ガイドライン改訂のポイントには,介護従事者がチームに含まれることが明確化され,親しい友人等がかかわることも挙げられている。しかしまだまだ現場では,介護従事者がACPにかかわるシーンは少ないのではないだろうか。また,親しい友人が近所にいるにもかかわらず,話し合いや決定の場面では,遠方に住む親戚の判断に重心を置きすぎではないだろうか。日頃の暮らしを知る人々と接点を持てることは在宅医療チームの強みのはず。日々の話し合いに加わってもらうことを意識するだけでも,ACPの価値が上がると考える。

 また,ACPに取り組む多職種人材を増やすために,多職種で現場の取り組みを共有し合う時間や機会を各地域で持てると,地域全体の底上げになるだろう。さらに,医療・介護専門職だけがACPへの理解を深めても片手落ちである。地域市民が「わがごと」として話題にできるように発信したり,そのような話ができる場や方法を模索する必要があると感じる。

 在宅医療の黎明期に医療・介護の垣根を越えた多職種連携の取り組みが行われ,現在の在宅医療がある。「生活や暮らし」と医療の垣根も越えたACPの取り組みが重要である今,あの頃と同じように,多くの対話の時間が持てることを期待したい。



東京ベイ・浦安市川医療センター 副センター長

3492_0203.jpg ACPはやっても無益,むしろACPなどに時間を割かず,今起きている問題に関するコミュニケーションに注力すべきという意見がMorrison氏らによって出された1)。実際,ACPではアウトカムが変わらないというRCTもある。米国で行われたSUPPORT研究では,6か月以内に死亡する可能性がある重症者または人生の最終段階の可能性のある患者が,看護師によるACPを行う群と行わない群にランダム化された。ACP施行後,主治医に内容が伝えられた。死亡した患者について,DNRが指示された割合,end of life discussionが行われた割合,患者の価値観を理解していた主治医の割合などは対照群との差がなかった2)。一方,豪で行われたRCTでは,看護師・医師により急性期病棟で入院時にACPが行われると,意思決定の困難さが改善され,死亡前にICU治療が行われる割合は減少した3)。Systematic reviewによれば,ACPの効果があるというエビエンスと効果がないというエビデンスが混在している4)。研究によってアウトカムが異なるため一概には言えないが,ACPが無益になり得ることを示唆する。

 ACPはあくまで,「ある時点での患者の気持ち」を聴くプロセスである。重大な意思決定の局面になると,過去のACPをもとにその時点での価値観を確認し,医学情報を伝え意思決定を支援する必要がある。そのスキルがなければ当然,無益なものになる。前述の研究でACPが無益であった理由として,看護師がACPを実践し主治医に伝えても,主治医がそれを覚えていなかった可能性,覚えていたが終末期の協働意思決定に活用するスキルがなかった可能性を私は考える。

 重篤な状態や終末期になった際,何らかの負担のかかる治療をする/しないといった決断を迫られる。治療をすると決めて後悔することも,しないと決めて後悔することもある。本人・家族等に「これでよかった」と思ってもらえる意思決定支援が重要であり,ACPを実践してこそ効果が発揮される。どれだけ過去にACPが実践されたしても,最後に診る主治医が「大切な情報」と認識し意思決定支援に利用しなければ全く役に立たない。ACPを実践するスキル,過去のACPをもとに改めて現在の患者の価値観を聴くコミュニケーションスキル,医学情報を的確に伝えるスキル,これらをもとに協働意思決定を行うコミュニケーションスキルを,多くの重大な意思決定に携わる急性期医師こそ持つ必要がある。

 重篤な状態での意思決定には家族の役割も大きくなる。ACPを家族と共有し心づもりをしてもらうことも不可欠である。またケアする場所が変わった時も,ACPのバトンを他施設につながなければならない。ACPを将来に生かすには,こうしたピットフォールを考慮に入れた対策を講じることが必要だ。「これでよかった」と思ってもらえる意思決定のために,急性期病院医師がすべきことはたくさんある。


1)JAMA. 2021[PMID:34623373]
2)JAMA. 1995[PMID:7474243]
3)BMJ. 2010[PMID:20332506]
4)J Am Geriatr Soc. 2021[PMID:32894787]

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