医学界新聞

看護師のギモンに応える!エビデンスの使い方・広め方

連載 友滝 愛

2022.02.28 週刊医学界新聞(看護号):第3459号より

 臨床疫学を基盤とするEvidence-based practice(EBP)では, その名称から“Evidence”に意識が向きがちですが,EBPの定義に立ち戻ると,「利用可能な最良のエビデンス・医療者の経験・患者の価値観を統合し,最善の医療を行うこと」とされます1)。実際に,臨床において量的なエビデンスのみで意思決定することはありません(連載第3~8回参照)。

 また,EBPは人を対象とした臨床研究(量的研究)の結果をエビデンスとして実践に統合する方法論として始まりました。そのため,質的分析から得られる研究成果(註1)をEBPに統合する方法論はまだ発展途上にありますが,最善の医療を行うというEBPの目的において活用できると筆者は考えます。

 そこで本稿では,EBPのプロセスで,看護師が質的分析による知見をエビデンスとして活用する視点について考えたいと思います(事例は,筆者の経験に基づく架空の例です)。

 看護師Aさんは,主治医から患者Bさんへの診断結果と治療方針の説明の場に同席している。Bさんは当初,治療の成功率について詳しく尋ねていたが,その後,治療を受ける場合の身体的・心理的な負担,仕事や生活への影響に関する質問が増えてきた。

 Bさんは,知りたい内容を整理して質問をしているように思えるが,どれだけ情報を得ても,治療を受けるか決めかねている様子。Aさんは,「どうすれば,治療の選択に悩んでいる患者さんの助けになれるだろうか」と考えるようになった。

 患者さんが治療の成功率を知りたい場合,医療者は治療の効果に関するPICOを立て,調べた情報を患者さんに提供することができます。医療者にとっては「治療を行う・行わない」という選択の根拠となり,その選択による医療的な経過についても見立てることができます。

 しかし,これはEBPのゴールではありません。ここで,①「患者さんに情報は提供した。あとは患者さんの決断を待とう」と考えるか,②「治療の選択に悩んでいる患者さんの助けになれるか」と考えるかで,患者―医療者間の関係性やコミュニケーションの在り方が変わってくるのではないでしょうか。

 この過程をEBPの一場面として,Step 4の「適用」の観点から考えてみましょう。すると,EBPは単に「エビデンスを患者に当てはめる作業」としてではなく,「医療者と患者(家族)が協働して,エビデンス情報を利用しつつ,臨床決断を共同構成する作業(Shared decision making)」2)を行っていくことが重要になるでしょう。

 別の日,看護師Aさんは,患者Bさんから思いを打ち明けられました。

「しんどい治療を頑張っても,成功率は高くない……。残りの人生を考えると,治療を受けない選択肢もあるのかな。でも,治療を受けない選択をした自分をこの先受け入れられるか自信がない。後悔したくないから,結果がどうであれ治療を受けたい気持ちと,このことをずっと考えるつらさから解放されたい気持ちで,決められないんだ」

 患者さんが必要とする情報は,治療の成功率の数字だけではありません。なぜならば,患者さんにとっては,その数字がどのような意味を持つのか,医療の側面からとらえた情報だけではわかりにくいからです。

 治療方針の選択によって,自分の療養や生活,心理面にどのように影響してくるのか,他の患者さんはどう向き合っているのか? といった数字のみでは表されない,患者さんの体験の世界や,治療が患者さんにとって持つ意味も大切です。治療方針の決断に至るまでの気持ちの整理に伴走してくれる誰かが必要なこともあるでしょう。

 このとき医療者は,患者さんが置かれている状況や,病いの体験にどのような意味を見いだしていて,その意味が患者さんの生活にどのように影響するのかを理解したい――といった,患者さんにとっての「体験・意味」に焦点を当てた問いが生まれます。この問いに対する答えはPICOで答えることができませんが,臨床での重要な問いです1)註2)。

 このように患者さんが迷っているとき,医療者はどう接すれば良いのでしょうか。前述の,患者にとっての「体験・意味」を理解するための問いには,質的分析から得られる知見が役立つ可能性があります。例えば,「同じような状況にある他の患者は,どのような体験をしているのか」「治療を受ける/受けないという選択の過程やその後に,どのような心理的プロセスをたどるのか」などの知見です(註3)。

 医療者は,同じ治療を受ける患者さんを多く見ていても,医療者がとらえる患者像と,患者自身が抱いている思いは,しばしば異なります3)。患者さんが抱える葛藤や不安について,インタビュー等を通して得た患者さんの言葉を分析して得られる知見は,医療者の思い込みを取り払う上でも重要です。

 また,患者さんは医療者にいつでも気持ちを話せるとは限りませんし,言葉にしたくないときもあります。さらに,患者さんの悩みや答えは一つではなく,経過とともに変わりゆくものです。質的分析による知見が,患者さんを理解する手立てとなります。

 EBPにおける量的分析と質的分析の知見について,エビデンスの位置付けを考えてみましょう。筆者自身は,臨床試験・疫学研究など実証主義に基づく研究にかかわってきました。それに対し,質的分析が用いられる研究は構成主義や解釈主義など異なる考え方に基づきます。そのため,EBPにおける質的分析によるエビデンスの活用は,相容れないものとする議論もあります。

 しかし,EBPとはエビデンスそのものを指すのではなく,エビデンスを統合して実践することを意味します。EBPは,臨床の疑問の明確化から始まるとされていますが(連載第2回参照),その疑問の一つが患者さんにとっての「体験・意味」であることが,EBMの成書でも述べられています1)。エビデンスと実践の統合という過程を患者の意思決定の観点からとらえると,隣接する概念にNarrative Medicine/Narrative-based Medicine2)や,Evidence Narrative-based Medicine4)があり,今後の議論に注目したいと思います。

 また,「効果があるとされるエビデンスのある治療やケアを行う(あるいは効果がない治療やケアをやめる)」という,エビデンスに基づく介入(Evidence-based intervention)の取り組みについて,量的分析と質的分析の両方で評価する知見も蓄積されています。

 本稿では,質的分析による知見をエビデンスとしてEBPで統合する際の視点について紹介しました。EBPでは質的分析によるエビデンスが軽視されているようにとらえられることもありますが,これは誤解です。臨床で焦点を当てる疑問に対して,その答えが量的分析と質的分析のどちらの知見により得られるか? という違いがあるにすぎません(註4)。最善の医療を目的としたより良い実践のよりどころとなるエビデンスの統合が望まれます。

 さて,本連載は次回が最終回です。エビデンスと実践の関係をあらためて概観するとともに,エビデンスのその先について考えたいと思います。


謝辞:本稿の編集協力で,津田泰伸様(聖マリアンナ医科大学病院),深堀浩樹先生(慶應義塾大学)に感謝の意を表します。


註1:質的分析から得られる知見はさまざまなものがあるが,本稿では,患者,家族へのインタビューや,参与観察などを通して得られたデータ等を質的に分析した研究結果の総称として「質的分析のエビデンス」を用いる。なお本稿の主題は「質的分析のエビデンスを臨床へ活用すること」であり,「質的研究による個々の研究結果を統合すること」や「EBPにおける患者や家族の語りを分析すること」とは異なる。
註2:臨床で生じる疑問の例には,「臨床の所見」「リスク因子や原因の特定」「疾患の頻度や兆候」「診断」「検査」「予後」「治療」「予防」「意味・経験」「質改善活動」などの種類があると言われている2)
註3:「質的分析によって得られた知見を,目の前の患者さんに同様に当てはめて考えられるのか」といった吟味については,本稿では議論しない。
註3:EBMに関する誤解と,臨床研究等のエビデンスを患者のナラティブとどのように統合すればよいかの考え方については,文献2文献4を参考にされたい。

1)Straus SE, et al. Evidence-based Medicine:How to practice and teach EBM. 5th ed. Elsevier;2018.
2)斎藤清二.医療におけるナラティブとエビデンス 改訂版――対立から調和へ.遠見書房;2016.
3)Circ Rep. 2020. [PMID:33693202]
4)James PM,他(著).岩田健太郎(訳).ナラティブとエビデンスの間――括弧付きの,立ち現れる,条件次第の,文脈依存的な医療.メディカルサイエンスインターナショナル;2013.

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