医学界新聞

誰も教えてくれなかったオーサーシップ

連載 前田樹海

2021.12.13 週刊医学界新聞(看護号):第3449号より

 その研究は学部生の何気ないアイデアから生まれた。私は指導教員として学生のアイデアを形にすべく,さまざまな助言を提供した。データ収集とスクリーニングはもっぱら学生が行い,分析とデータの解釈は学生と十分にディスカッションしながら進めた。論文のドラフトは学生が執筆し,私はそのドラフトを推敲した。投稿先は研究テーマに適したX看護学会誌に決め,執筆要領に沿って原稿が作成された。学生からは,その学会の会員になるための承諾も得ていた。しかし,学生が申請手続きをしたところ,「会則により,学部学生は本学会の会員になれない」との返答を得た。そこでやむなく自分が著者として投稿し,学生の名前は謝辞の中で述べることにした。この判断は適切だろうか?

 連載第1回(3430号)では,論文投稿に際して「不適切なオーサーシップ」というものが存在することを紹介しました。では,具体的にどのような例が「不適切」と評価されるのでしょうか? 実例を基に考えます。

 文科省は,『研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン』(以下,ガイドライン)に基づき,科学研究費等で行われた研究活動に関して,研究機関から特定不正行為(捏造,改ざん,盗用)の報告を受けた時は,ウェブサイトで公表しています。本来,「不適切なオーサーシップ」は特定不正行為には分類されていないものの,研究機関から報告を受ければ公開するスタンスです。

 同サイトには2015年から本稿執筆時点までに64件の特定不正行為が挙げられており,うち「不適切なオーサーシップ」について言及された事案は10件ありました。その中から主なものを以下に抜粋します。

①論文作成に全くかかわっていない研究メンバーを著者に加えた
②研究に全く関与していない他者を著者に加えた
③研究を実質的に行い本来著者となるべき者が著者から外れていた

 オーサーシップの基準が,当該学問コミュニティや学会のポリシーに依存する点は第1回で述べた通りです。は,それらの基準に照らしてオーサーシップが認められないケースです。対しては研究に関与していない時点で,学問領域にかかわらず「アウト」と言えましょう。反対には,本来オーサーシップを有する者が著者として名を連ねていないケースで,これも不適切とされています。

 このように「不適切なオーサーシップ」は,オーサーシップを持たない者が著者になっている場合()と,オーサーシップを持つ者が著者になっていない場合()の2種類に大別されます。前者は「ギフト(ゲスト)オーサーシップ」,後者は「ゴーストオーサーシップ」と称されます。本事例の学生は後者に当たります。

 そもそも,どうして「不適切なオーサーシップ」はいけないのでしょう。ガイドラインには「科学コミュニティの正常な科学的コミュニケーションを妨げる」としかその理由が明記されていません。しかし不適切なオーサーシップが「正常な科学的コミュニケーションを妨げる」メカニズムについて,僕の頭ではうまく像を結ばないのです。そこで,この論理を著作物のアナロジーで考えてみます。

 文学作品には著者がいます。多くの作品は1人の作家によって執筆されているため,「誰がこの作品の著者か」と悩むことはほぼありません。一方で研究は共同制作をする場合が多く,論文の著者の線引きが難しい。そのための基準がオーサーシップとなります。もちろん,文学作品においても専門家や友人等からの聞き取りを基に作品を構築する作家はいますが,それらの情報提供者が共著者になることはありません。情報提供者の語り,すなわちデータではなく,データ(材料)を情報(作品)に変換する人物こそが著者として認められるのです。

 このように,文学作品も研究論文も属人的です。好きな文学作品に出合った読者が,今度は「同じ作者の他の作品を読んでみよう」と思うのと同様に,自分の知りたいことが追究されている論文に出合った研究者は「同じ著者の他の論文も読んでみよう」と考えます。その際に,当該研究ジャンルに全く学問的貢献をしていない著者が名前を連ねていた場合,研究の系譜を誤らせる懸念があるわけです。研究は過去から未来に連なる知識の積み上げなので系譜は非常に重要で,著者はその系譜をつなぐ有力な手掛かりの一つです。そのため前述のは,当該学問コミュニティにおいて著者の範囲を逸脱する者が著者となったことで研究の系譜が狂い,今後その論文を利用する研究者にとって不都合となることは必至で,についても然り。はそもそも他人の研究を自分が行ったようにしている点で盗作へのそしりは免れません。その辺が,「正常な科学的コミュニケーションを妨げる」とされるのでしょう。

 では,なぜ「不適切なオーサーシップ」は発生するのでしょうか。まずギフトオーサーシップが起こる理由について文献からいくつか拾ってみました。

④「学会発表や論文の共著者にグループのトップを入れることは慣例」1)
⑤「ボス名を著者として入れてきた。それは研究室の決まり」1)
⑥「互いの業績を増やすために論文に名前を入れ合うと約束を結んでいた」2)

 若手が研究室や講座に所属した際にがルールだと教えられ,その認識を変える機会に恵まれなければ,自分が指導的立場になってもオーサーシップの正しい知識が欠如したまま後進に引き継いでしまう可能性があります。しかし近年では,公的研究費の申請の条件に研究倫理に関するeラーニングの受講等が義務付けられているので,オーサーシップに関する認識が改められない状況は少なくなりました。

 ただし正しい知識が得られればギフトオーサーシップがなくなるかと言うと,そうとも言い切れません。なぜなら多くの大学において,教員の選考基準や昇任基準に論文の本数が採用されているからです。自分が著者となっている論文の本数は学問界における共通通貨のようなものなので,のように,できるだけそれを多くする方向に力が働きます。また,本数を稼ぐために「名のある研究者を著者に加えて論文採択の可能性を少しでも上げたい」という力も働きます。ギフトオーサーシップを根絶するためには研究者に対する倫理教育の徹底はもちろんのこと,論文の本数が評価基準の中心的価値になっている現状を変えるほかなさそうです。

 一方で,近年では著者に代わる新たな概念として,「貢献者(Contributor)」という考え方も普及しつつあります。例えばBMJ誌の投稿規定には「論文の冒頭に著者名のリストを,論文の末尾に貢献者(著者に含まれない人もいる)のリストを掲載し,研究の計画,実施,報告において誰が何をしたかの詳細を示す」と記載されています。この方法であれば,著者として名を連ねない「情報提供者」であっても,研究に貢献したとして論文に名前をクレジットできます。「貢献者」が広く定着すれば現状の論文の本数本位制による評価も多少は是正されるのではないかと期待します。

 次いでゴーストオーサーシップが起こる原因については,さまざまな場合が考えられます。例えば,登録できる著者数に制限がある場合や,論文執筆中にオーサーシップを持つ研究者が亡くなった場合などです。また,データを分析したり論文を書いたりしたのは製薬会社の社員であるが,利益相反の指摘を免れるためにわざと共著者や謝辞には載せないという戦略的かつ悪質なものもあります。

 冒頭に掲げたエピソードの学生は,「会員であること」というX学会誌の定めるオーサーシップを満たしていないがために共著者になれなかった事例ですが,そもそも「会員であること」がオーサーシップを構成する要素として適切か否かについては一考の余地がありそうです。X学会誌としては,「当該学生にはX学会誌の定めるオーサーシップは満たしていたが,投稿資格がなかった」と言いたいのかもしれません。しかし,著者として名前を連ねられない結果だけを見れば,オーサーシップに「X学会誌の会員」という基準を組み込んでいることと同義です。

 研究代表者の思惑や戦略で本来の著者を故意にゴースト化させるのは論外だとしても,学会の会員規定や著者死亡などにより本来の著者を共著者から泣く泣く外さなければならないかというと,そうではないと僕は思います。オーサーシップは(学術コミュニティの特性による違いはあるものの)著者としての貢献度によって決まるため,上位何人までとか,生存しているか否かとか,学生か否かということとは関係なく与えられるべきものなのです。したがって,大人数共著者の論文を人数制限のある学会誌へ投稿すべきではないし,学部学生を著者にできない学会誌に学部学生を著者に含む論文を投稿すべきではないでしょう。

 前述の通り,明らかに無関係な人が研究論文の著者になることはもはや盗作なので「一発アウト」です。一方で,各学問コミュニティがどのような意図でそれぞれオーサーシップの基準を設けているのか,その理由は突き詰めるとよくわかりませんでした。何か情報があればご教示ください。

 次回は,「オーサーシップ」に必ずついて回る“著者順”について取り上げます。


1) 山崎茂明.オーサーシップの考えを変える時だ.情報管理.2013;56(9):636-9.
2)日本麻酔科学会.藤井善隆氏論文に関する調査特別委員会報告書.2012.

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