名画で鍛える診療のエッセンス
[第11回] ネガティブ・ケイパビリティを身につける
連載 森永 康平
2021.08.09 週刊医学界新聞(レジデント号):第3432号より
今回はこちらの彫刻を見てみましょう。体のラインが柔らかな若い裸の女性がうつ伏せになっている姿が見事に表現されています。しかしその背中側からの美しさに見とれながら人物の腹側にぐるっと回ってみると,何とそこには男性器があるのです。
![3432_0401.jpg](https://www.igaku-shoin.co.jp/application/files/1716/2798/0625/3432_0401.jpg)
世の中には白黒をつけられない事柄が溢れている
「あなたの性(セクシュアリティ)はなんですか?」と問われたら,明確な答えが浮かぶでしょうか。性的マイノリティであるLGBTの話題はこれまで以上に頻繁に取り上げられており,最近ではアセクシュアル(他者に対して性的欲求や恋愛感情を抱かないセクシュアリティ)等を加えたLGBTQIAという考え方も生まれています。例えばアメリカ版Facebookでは,記入できる性別欄に50以上の選択肢があります。性の分類がいかに複雑で多様であり,「男性」「女性」といった大雑把なくくりで語り尽くすことが困難か,よくわかるでしょう。
人を見る際の解像度を上げれば上げるほど,性の問題に限らず人が持つ複雑な性質や,多くの要素が絡み合う社会的問題が浮き彫りになります。世の中には,このようにすぐに答えを出したり,はっきり白黒をつけられない事柄が溢れています。
「わからない」状態に耐えることで本質的な理解に近づく
一方で人の脳は,そのような不確実なものを考え続けることが苦手です。そのため,複雑な問題に対して単純なラベリングをしたり,フレームを当てはめたりしがちです。その結果得られた「答え」は一見わかりやすいかもしれませんが,本質的な部分が抜け落ちてしまっている可能性を常に孕んでいることに留意する必要があります。
では,簡単に答えを導くことができない問題に対して,私たちはどう臨むべきでしょうか? ここでは英国の詩人であるジョン・キーツが発見した「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念をご紹介します。精神科医であり小説家でもある帚木蓬生氏による『ネガティブ・ケイパビリティ―答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書)では,これは「負の能力,陰性能力,性急に証明や理由を求めずに,不確実さや不思議さ,懐疑の中にいることができる能力」であると説明されています。複雑な問いに対して早急に答えを出そうとするのではなく,この能力を身につけて宙吊りの「わからない」状態に耐える持続力を生み出すことこそ,物事の本質的な理解に近づく第一歩だと言えます。
時間をかけて難問に向き合い続け,患者への深い理解と洞察につなげる
私たち医療者が臨床現場で向き合うのは,生身の人間である患者さんです。それは先述の通り,さまざまな身体的・社会的要因が複雑に絡み合って作り上げられた結晶とも言え,さらに時間とともに変化します。あらゆる情報を見逃さないように目を光らせ,話に耳をそばだててもなお,患者さんのことを完全に理解することはできません。しかし,だからといって単純化して答えを求めようとするべきではないでしょう。難しく不確実な問題を受け入れること,答えが見つけられない場合は潔くその状態を受け入れて時間をかけて向き合い続けることが,患者さんに対する深い理解と洞察につながっていくのだと信じています。
*
この彫刻のモデルは「彼女」なのか「彼」なのか,それともどちらでもないのか。答えや本質をつかむことは決して容易ではないと私たちを戒めつつ,同時に視点や角度を変える大切さや,時間をかけて考え続けることでしか得られない価値を教えてくれます。
今回のアート:眠るヘルマフロディトス(作者不詳),パブリック・ドメイン
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