医学界新聞

書評

2021.05.10 週刊医学界新聞(通常号):第3419号より

《評者》 畿央大教授・理学療法学

 情報入手から情報共有時代へ。これは科学のパラダイム転換でもある。それは情報を惜しげもなく公開し,多角的知識を総動員し,情報改訂することが人類の発展につながると判断したからである。しかし,それは共有する者同士の情報取捨選択能力とモラルに依存するため危険性と共存している。それらを持ち得ない場合,誤情報が共有され社会混乱を招いてしまう。

 情報入手能力と取捨選択能力は異なる。後者はクリティカルな視点が必要である。つまり研究能力そのものであり,発信内容に批判的吟味を加える認知能力が求められる。生命や健康に携わる職種においては,その能力は極めて重要である。PT/OT/ST(専門職)の養成課程においては,実践を中心にカリキュラム構成されている。上記視点の重要さを説く科目が欠落している学校も少なくない。情報氾濫社会において,医療教育の一丁目一番地は情報取捨選択能力の育成であると思う。

 本書は4章(第1章 エビデンス,第2章 患者の価値観,第3章 目標設定とコミュニケーション,第4章 ケース)で構成されている。第1,2章を冒頭に配置したところに意味がある。両者は一見矛盾するが,最適な医療実践には疫学によって得られた一般論(エビデンス),患者の価値観・希望,患者の個別性・多様性,環境を包含し,それらに個人の経験による技能・直感的判断力を合わせる過程が求められる。これがEBMであり,エビデンスのみから判断しない。多くの専門職は誤解し,誤解により結局は旧体系の個人の経験・技能による判断に退行している傾向がある。本書は読めばその誤解が解けるであろう。一方,百花繚乱のように介入法が開発され,その支持情報ばかりを集め,反証内容を無視するバイアス情報が講習会で提示されていることがある。3た論法(使った,治った,効いた)が医療においてつきまとい,(偽)相関であるにもかかわらず,ただちに因果とみなすミスリーディングが生まれる。中間・交絡・修飾因子の理解なくして手段を思慮深く決定できない。本書はその意味を理解させてくれる。

 本書はWeb情報の信憑を考える上でSEOまで踏み込み記述している。現代では,“ググる”という造語があるように検察エンジンで調べることが反射化されている。本書は専門書ではあるもののそのことに踏み込んだことは,平均年齢が低い専門職に対する警告ととらえることができる。さらに意思決定の合理性について記述しているところに意味がある。行動経済学では当たり前となった感情が意思決定に入り込むことを専門職に向けて平易に解説している点は価値がある。

 最終章はケース供覧となっており,どのような手続きによって意思決定するか身近にとらえることができる。この章については今後改訂されることで,それまでの総論との整合性を意識されたいと願っている。

 いずれにしても,Society5.0において,医療者はAIと共存し意思決定することが求められる。まずは本書を読み,すぐそこの未来に備えていただきたい。


《評者》 神奈川県立精神医療センター副院長/医療局長

 「トラウマ」という用語は,ある種のリトマス試験紙である。精神科や臨床心理に従事している者は,その用語に対する反応によって2種類に大別される。精神症状を遺伝負因や神経伝達物質の異常から説明することを好む臨床家は,トラウマと聞くと「あまり触ってはならないパンドラの箱」といった苦手意識を感じるか,あるいは「自己責任を取らずに何でも周囲の人や環境のせいにするための口実」,などといった嫌悪感を隠し切れないかもしれない。他方,精神分析や力動的精神医学の影響を受けた臨床家は「トラウマ」を幅広く解釈し,診断や治療上不可欠な要素,と主張するであろう。

 かくもトラウマという用語は,人間に対極的な反応を引き起こす。女性の性的トラウマから研究を始めたはずのFreud自身,やがてトラウマ体験は本人の空想,と解釈するに至った。第一次世界大戦中に戦争神経症を発症した兵士たちは臆病者とみなされ,イギリスの精神科医Lewis Yeallandは電気ショックで治療しようとした。トラウマ体験が心の病を引き起こすことを私たちが認めることが難しい理由の一つは,それを認めてしまうと,患者は「炭鉱のカナリア」に過ぎず,患者を取り巻く他者が,社会が,つまりはその社会に属する私たち一人ひとりが変わらなければならない,という現実と向き合うことになってしまうからではないだろうか。

 本書はトラウマに関する疾病教育的な解説から始まり,その後は多彩で豊富な症例が次々と提示されて,症状の背後に隠れたトラウマ体験への気付きを読者に促していく。私たちは気付かなければ,変わることができない。狭義のPTSDにとどまらず,知的障害から統合失調症,そして認知症に至るまで,トラウマ体験が精神障害全般に与える影響について,専門家でなくともわかりやすい言葉で解説されている。語り口は優しく謙虚で,病状の理解の仕方も極端に心因に寄り過ぎることなく,非常にバランスが取れている。さらに患者を取り巻く家族や援助者たちへの目配りも忘れず,豊富な経験に裏付けされた助言も随所にちりばめられている。トラウマという用語に苦手意識や懐疑心を抱えている一般の方々や第一線の臨床家に,特に本書をお薦めしたい。

 2012年にはハーバード大児童発達センターのShonkoffらがtoxic stressの概念を発表し,生育環境におけるトラウマが子どもの発達に与える影響について,一段と注目が集まっている。さらに近年エピジェネティクスの研究が進んで遺伝子の発現が環境因子によって変わり得ることも次々と明らかになり,もはやnatureとnurtureは対立用語ではなくなった。今後はトラウマが精神症状を生み出す神経生物学的機序も,より精緻に語られるようになっていくであろう。そのような時代の分水嶺に,トラウマという視点の大切さを教えてくれる本書が上梓されたことを素直に喜びたい。


《評者》 東京ベイ・浦安市川医療センター ハートセンター長

 心エコーには読影が必要だ。私は,この書籍がハートチームに必須の一冊になると確信している。超高齢社会の中で心疾患は増え続けており,特に心不全症例の増加は顕著である。そのような社会的背景の中で,心エコー図検査の需要は今後も増え続ける。それは心エコーの特性がベッドサイドでいつでもリアルタイムに心疾患や血行動態を評価することができるからである。在宅医療でもクリニック診療でも病院の救急室でも病棟でも,あらゆる医療の現場に心エコー図検査は拡散していくだろう。

 私が心エコーを学び始めた時,自分で創意工夫をして自由自在に画像を記録できることにワクワクした。妙な全能感があり,それはそれは楽しい時間だった。ところがある日,目の前の患者さんの心不全は3か月前に予測できたことに気付かされることになった。自分が記録した心エコー図はきちんと読影されておらず,心不全発症を防ぎきれなかったのである。まさかその現場に自分が立ち会うとは想定外だった。学会で聞いたこと,教科書で読んだことが,目の前で起こっていることにつなげられなかったのである。

 それはなぜか。自分のできの悪さを棚に上げると,「学び方」がなかった。いわゆる「教科書」があっても「ドリル」はなかったのである。私たちが勉強するとき,教科書と演習,すなわち「ドリル」はいつもセットだったはず。小学校からずーっとそうだった。なぜプロの現場にはそれがなかったのか,とても不思議である。

 そこに登場したのが,この『国循・天理よろづ印 心エコー読影ドリル【Web動画付】』である。こんな本は見たことがない。この本には泉知里先生とその仲間たちの経験が詰まっている。エビデンスに裏打ちされた知識はもちろん科学的思考の素材だが,臨床につなげるためには正しい経験が不可欠である。日本でも有数の施設から多くの若手医師と技師が参加した本書は,自宅で,あるいは職場で,かけがえのない心エコー図読影の経験を自分のペースで経験することができる貴重な書籍である。

 ここからは,皆さんの出番だ。ハートチームに参加して心エコー図に触れようとお考えであれば,ぜひ本書を活用すべきである。成功した先輩たちは,必ず良い経験をしている。今度はあなたが本書を通じて知識と経験を手に入れる番だ。ぜひ,自分に投資してはいかがだろう。


《評者》 福井大病院教授・総合診療部長

 Palliative emergency medicine(救急緩和)というのは,世界でも比較的新しいトピックで,北米の救急医学にはフェローシップコースもできている。救命・集中治療と緩和ケアなんて,スポコン漫画と恋愛小説くらいベクトルの違うもののように見えるが,どっちも必要なんだ。生きとし生けるものは全てに始まりと終わりがあり,人間の死亡率はなんと100%! 一世を風靡ふうびした『鬼滅の刃』の炎柱えんばしら,煉獄杏寿郎も「老いることも死ぬことも人間というはかない生き物の美しさだ」と言っているではないか。患者さんの人生において,その人自身の価値観を尊重し,その人らしい人生を送る「生き方(死に方ではないよ)」をお手伝いすることもわれわれ医療者の大事な仕事であり,救急・集中治療も緩和ケアも目の前の患者さんにとっては非常に重要だ。患者さんの意思に反した延命処置がいかに医学的に無駄であり,患者さんの自尊心を傷つけているかということは,世間でもたびたび議論の的になっている。その意味では,本書は手探り状態の日本の「救急・集中治療の緩和ケア」において“一寸先は”をまさしく照らしてくれる。

 医学生や研修医も含め,多くの医師はこんなの習ったことがない。目の前の困難事例を各自の臨床能力と経験だけで乗り切ってつらい思いをしていることだろう。でも本書を読めば大丈夫。本書はその歴史的成り立ちから,考え方,さらには具体的な対処法まで,熱く深く記載されている渾身こんしんの一冊となっている。決してHow toだけでは語れないんだ。

 緩和ケアを取り入れるからといって,治療を決して諦めたわけではない。驚くなかれ,救急・集中治療に緩和ケアを導入することは,生存期間が短くなることはなく,むしろQOLが向上し,より人間的,より患者さんの希望に沿った医療が提供できるということ。よりつらくないようにし,かつ寄り添うこともできるのだ。医療者としてひと皮むけるために,知っておいて損はない内容になっている。

 治療の差し控えは,法的意義も十分考慮し,あくまでも十分な話し合いの上で患者さん自身の価値観を確認しないといけない。話し合いも伝わらなければ意味がない。一方的に伝えるのでは話し合いとは言えない。夫婦間ですら「言った」「言わない」でトラブルになる(うちだけか?)こともあるのだから,慎重に手順を踏まないといけない。病を診るのではなく,人を診る「愛」がそこには必要なのだ。

 急性期におけるACP(Advance Care Planning)とコミュニケーション術,迅速緩和ケア評価ABCD,スクリーニングプログラム「PASSION」,意思決定の5つのStep,SPIKESプロトコル,GRIEV_ING,医療倫理の4原則,Jonsenの臨床倫理4分割法,家族ケア……などなど押さえておきたいポイントがわかりやすく解説してある……ほらほら,だんだん知りたくなってきたでしょ? 知っているか知らないかで大きく差が出るのが,この新しい分野,救急緩和なんだ。人生に寄り添える医療者への成長の礎にこの一冊があるように思う。ベテランの医師も研修医もナースも皆が知っておくと,患者さんのいざというときに役立つ医療者になれるよ。


《評者》 NTT東日本関東病院消化器内科

 内視鏡診断が一人前にできるというのは並大抵のことではない。自分も中堅の域に差し掛かってきたが,今でもわからないことだらけで,先人たちが築いてきた診断学の奥深さには何度も打ちのめされてきた。

 一方で,今は何でもインターネットで調べられる時代となった。わからないことがあれば,スマートフォン片手に簡単にググって(検索して),情報を得ることができる。確かに便利極まりないが,情報が溢れかえっており,何が正しくて何が重要なのかの取捨選択が難しい。こうして手に入る情報は,まったくと言ってよいほど自分の頭に残っていない。そう,これでは頭の中が整理できないのである。

 そんな中,多くの内視鏡診断の達人である諸先輩が執筆され,恩師の長浜隆司先生と,何度も講演を拝聴し勉強させていただいた竹内学先生がご編集された『上部消化管内視鏡診断アトラス』が刊行された。アトラス集というと,大きくて重い本で医局の本棚の片隅にたたずむ,持っているけどなかなか手に取らない写真付きの辞書といったイメージであったが(僕以外の先生方はそんなことありませんのでご容赦ください),この本はなんと手に取れるコンパクトサイズではないか(iPadより小さい)。にもかかわらず,実に多岐にわたる疾患が網羅されている。まあさすがに疾患くらいは私も全部知っているであろうと高をくくっていたら,実は知らなかった疾患もあった(恥ずかしいのであえてここで明かすまい)。さらにさらに,まさに知りたい情報が,疾患ごとに“コツ”として凝縮されてまとめられている。

 これは半端ない。自分もこれまで執筆の機会をいただいたことがあるが,書き始めるとどうしてもボリュームが増えてしまう。しかしこの本は多くの疾患を網羅しながらも,あえてコンパクトにボリュームもなるべく少なくされている。つまりは,諸先輩方が本当はまだまだ伝えたいことを泣く泣く我慢してそぎ落とし,これだけは本当に伝えたいということを練りに練った至高の内容を書いているのである。となると,そう,インターネットで必要とされる情報の取捨選択がこの本では不要なのである。

 であれば内視鏡検査をしている現場で困ったときにまず何をすればよいか,答えは見えてくる。そう,ググる前にまずはこの本を手に取ればよいのである。さらには選りすぐった内容だけが書かれているので,アトラス集でありながら教科書としても最初から最後まであっという間に読めてしまうのである。ははーん,これは諸先輩方からインターネット世代の若者への考え抜かれた現代版のギフト(アトラス本)なのか。これは買うしかない。え,しかも安い(笑)。

 よし,そっちがその気なら,この本を手垢が付くまで隅から隅まで読んで,わからないことあればこの本でこそっと調べて,どんどん脳内に叩き込んでやろう。そうしたら,ググる必要もない,この本を開く必要もない。すっきり頭の中が整理されたらもう捨ててもよいかもしれない(極論)。そうなったら執筆陣の先輩方もにんまりしてくれるであろうし,ようやく足元くらいには追いつけるかな。善は急げ! ポチッとな。

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