大人のトラウマを診るということ
こころの病の背景にある傷みに気づく
こころの傷に“気づく”ことで精神科臨床は変わる
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幼少期の虐待やいじめの経験など、精神科患者はトラウマを抱えているケースが多い。本書はそんなトラウマへの気づき方や対応のコツなどを解説する一冊。精神科医が日常の外来で遭遇するような症例を取り上げながら、明日の臨床から参考にできるコツを披露する。発達障害とトラウマの関係についても詳述しており、まさに今日の精神科臨床で必要とされる知識が盛り込まれた内容となっている。
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序文
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まえがき
精神科臨床においてトラウマは決して新しい話題ではない.わが国の臨床家が,改めてトラウマに注目するようになったのは,1980年の「精神障害の診断と統計マニュアル 第III版(DSM‒III)」で「心的外傷後ストレス障害」が取り上げられたことや,1995年の阪神・淡路大震災の被災された方々への支援などからである.トラウマは,震災から性暴力,やがて虐待へとその対象を広げ,多くの(広い意味での)トラウマ関連症状があることを臨床家が認識するようになっている.
ただ,臨床家にとってトラウマは意識の辺縁にあることが多い.2000年代,トラウマと解離症状に一時期過剰なほどに注目が集まったが,多重人格や自傷・自己破壊行動などを呈するトラウマの治療は難しいと感じられ,少し距離がおかれたように思う.自分でPTSDと診断した例が補償問題などでこじれ,司法や保険会社から厳しく問われたというような経験も,距離をおかせる一因となったかもしれない.筆者も司法や保険会社とのやり取りなどの痛い経験を思い出す.その結果,トラウマは専門家にまかせようという雰囲気が生まれ,トラウマは日常診療の辺縁におかれるようになったように思う.
しかし,成人の臨床現場では,発達障害やトラウマあるいはその両者を基盤に抱える患者が増えているというのが印象としてあり,精神疾患の長期化,慢性化,難治化の一因は,基盤にある発達障害やトラウマの認識の乏しさにあるのではないか,日々の臨床は,発達障害やトラウマを考えずには行えないのではないかというのが実感である.これは筆者の自戒でもある.発達障害についてはその経験を『大人の発達障害を診るということ』(2015)として,筆者らはまとめた.本書は,もう一つの課題,トラウマを日常臨床のなかで考えてみようとしたものである.「トラウマに気づくことで何が変わるのか」「ふつうの臨床家に何かできることがあるのか」と思われるかもしれないが,筆者らは臨床が異なってくると考える.トラウマの痛み苦しみは,一人で抱え込むことにより,その人を長く苦しめるものとなる.話題にするかどうかは別にして,トラウマに気づくことで,その人の苦しみの一部を共有することができる.トラウマに配慮しながら,その人の人間関係や生活状況が少しでも安定し質がよいものとなるという,基本的な方向性が見えてくる.言葉で言うのは簡単だが,これが実際にはなかなか難しい.そのあたりを,読者の皆様と一緒に考えていきたいと思う.本書が読者の皆様の日々の臨床に少しでもお役に立てば,幸甚である.
植物は成長の途上に雨風に打たれ傷んだりしながらも,やがて実りのときを迎える.そのとき,実の傷はなかなかに味わい深い.心の傷もやがてその人の豊かな心の色あいや内なる強さにならないか,なってほしい,そんな願いを託して,糟谷一穂さんに装丁のデザインをしていただいた.また,医学書院編集部の松本哲さんには,筆者らの原稿をお読みいただき粘り強く的確なご助言をいただいた.改めて御礼申し上げる.
本書は多くの患者さんとの出会いの中で生まれた.筆者らの治療や支援がどれほどの役に立ったか心もとないが,多くのことを学ばせていただいた.心より感謝申し上げる.本書が読者の皆様の日々の臨床に少しでもお役に立てば,望外の喜びである.
なお,本書における症例記載は,匿名性を確保し個人情報を保護するために,大幅に改変している.
2021年1月
青木省三
目次
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第1章 大人の精神科臨床におけるトラウマの診かた・考えかた
トラウマがあるのではないかと常に心がける
日常臨床においてトラウマに気づく
1)不眠症
2)不安症
3)気分障害
4)統合失調症
5)行動変化
6)マイルドな解離
7)敏感さの精度
8)記憶の精度
9)社会の変化がトラウマを活性化させる――時には,社会や時代への警鐘となる
10)どんなときにトラウマを疑うか
トラウマ反応とは
1)トラウマとなる出来事とは
2)トラウマ反応を起こしやすくする要素
3)PTSDと複雑性PTSD
4)発症にいたる経過
トラウマをどのように診るか
1)従来の精神症状の背景にトラウマ関連症状が潜んでいないか
2)反応性の状態ではないか――何か恐いことがあったのではないかと考えてみる
3)発達障害の特性は認められないか
治療と支援をどのように考えるか
1)治療や支援によるトラウマをできる限り作らない
2)「保存的」「支持的」アプローチを基本とする
3)まず求められていること
4)トラウマを話すかどうか
5)安全で安心な関係・環境を提供する――穏やかな,平和な雰囲気が大切となる
6)生活を支援する
トラウマ反応の経過・予後
1)治療や支援に対する反応
2)トラウマ反応は環境の影響を受けて変化する
3)トラウマの治癒とは
おわりに――治療者・治療スタッフのトラウマ
第2章 症例集
1 非定型うつ病として復職デイケアに紹介された30代男性 非定型うつ病? 未熟パーソナリティ?
2 何事も自分を苦しめるほうに進んでしまう20代女性 苦しいのは当たり前
3 飲酒がやめられない50代男性 男としてのプライド
4 作業所に行けなくなった30代女性 相談するのは怖い
5 兄の暴力がフラッシュバックしていた30代男性 仕事を休む理由
6 夫の浮気を知ってしまった30代女性 止まったままの時間
7 長年不眠に悩まされている60代男性 眠れない,起きられない
8 育児への不安を訴える30代後半の女性 産後のうつ病?
9 アルツハイマー型認知症と診断された80代女性 認知症と虐待
10 入院を拒否し治療中断となった40代女性 パーソナリティ障害とトラウマ
11 退院すると過食・嘔吐になる30代女性 非定型な摂食障害
12 10か所以上の病院から処方を受けていた40代女性 処方薬使用障害とトラウマ
13 非現実的な体験を訴える30代男性 虐待か妄想か
14 生きている価値がないと思い込んでいた50代女性 「醜い」と言ってくるお稲荷様
15 長引く抑うつ症状に苦しんでいた30代女性 10年後の告白
16 自責の念に苦しむ40代男性 妻の死
17 離人症状・解離症状のある20代女性 なんで涙が止まらないんだろう
18 昔遭遇した口論が忘れられない30代女性 一難去って……
19 過食・嘔吐を繰り返していた20代女性 思春期の記憶はない
20 子どもの自死の後に精神症状が出現した70代女性 孤立の背後にトラウマあり
21 恐怖心と愛着のジレンマに葛藤する50代女性 息子の暴力
22 家庭内での暴力を繰り返していた自閉スペクトラム症の30代女性 粘ることが大事
23 入退院を繰り返す「治療抵抗性統合失調症」の20代女性 回転ドア現象
24 「近所の人たちが怖い」と語る50代女性 一緒に歩む支援
25 対人緊張・対人不安の強い20代男性 引きこもりとトラウマ
26 避難所・仮設住宅での生活を余儀なくされた50代女性 被災体験
27 ギャンブルで浪費してしまう20代男性 叱られては離職
28 閉鎖病棟への入院を希望した30代女性 この子は私の妹
29 小学生の頃から希死念慮のある40代女性 安楽死はできますか?
30 離婚後もDVの恐怖に苛まれる30代女性 前夫からの荷物
第3章 精神科日常診療におけるトラウマへの精神療法
広い意味でのトラウマ
ふとした症状
まずは心理教育
トラウマの延焼を防ぐ
意味付けの修正
純粋な自閉スペクトラム症
ASDのない場合も同じ
おわりに
第4章 トラウマを抱える人たちへの生活支援
これからの生活支援に求められるもの
トラウマを抱える人たちへの生活支援の難しさ
公的支援を受け入れるということ
相談するということや,支援を受け入れるということが難しい
訪問がトラウマを理解するヒントを与えてくれることがある
就労支援,そして働くということ
トラウマを話すこと,聞くことの副作用について考える
作業療法が安心と安全を再び体験するきっかけになることがある
支援者や治療者の支援を考える
生活を支援する
あとがき
索引
書評
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トラウマ臨床の具体的な工夫が豊富に盛り込まれた一冊
書評者:福田 正人(群馬大大学院教授・神経精神医学)
「『200ページ以上の症例集部分は退屈するのでは』,そうした予想はすぐに裏切られた。『あぁ,やはりこう考えていいんだ』,読みながら繰り返しそう思い,『どのくらいの精神科医が同じように考えるだろうか』,読み終えた今そう考えている」。
こう書いたのは,6年前の『大人の発達障害を診るということ』(医学書院,2015)の書評であった。今,同じことを,トラウマについて感じている。「トラウマをそこまで拾い上げて診るのだ」と感じた箇所がいくつもあった。それは,「日々の臨床は,発達障害やトラウマを考えずには行えないのではないかというのが実感である」という,編者らの思いに基づいている。
異色なのは,挙げられている症例である。症例集の30例と,編者3人の解説で紹介された23例には,トラウマの実在がはっきりしない症例がある。トラウマの詳細が明確でなかったり,ささやかなトラウマだったりすることがある。治療がうまくいかなかった場合や,すぐに中断となってしまった経過がある。症例集として思い浮かべる,典型例の成功体験とは程遠い。しかしそれこそが,トラウマの臨床の大切な部分である。その具体的な支援や語り口からは,執筆者16名それぞれの経験や人柄がうかがわれる。
編者の姿勢は,はっきりしている。「多くの精神疾患の背景に,トラウマの要素が隠れており,それに気づかないと治療に難渋しやすく,それに気づくと,治療や支援が見えてくる」「患者の生活や人生に目を向けて話を聞く中で,それに気づき,苦労をねぎらい,適切な説明を行いつつ,時間をかけて回復を支援する治療が求められている」「この基本を専用技法よりも重視した本はまだ見たことがない」,そうした本を編もうとする試みの成果が本書である。
支援の経験から汲み上げられた具体的な工夫が,編者の解説の小見出しとして挙げられている。トラウマへの気付きについては,「何か恐いことがあったのではないかと考えてみる」「トラウマの形について尋ねる」「トラウマ体験を話すか話さないかは患者の決めることである」。支援の基本については,「『保存的』『支持的』アプローチを基本とする」「穏やかな,平和な雰囲気が大切となる」「治療や支援によるトラウマをできる限り作らない」。患者の振る舞いについては,「相談するということや,支援を受け入れるということが難しい」「診察医・医療機関を繰り返し変更することがある」。支援の視点については,「トラウマの延焼を防ぐ」「意味付けの修正」「生活を支援する」「作業療法が安心と安全を再び体験するきっかけになることがある」。
素朴な筆触の野菜の実が,表紙に描かれている。「植物は成長の途上に風雨に打たれ傷んだりしながらも,やがて実りのときを迎える。そのとき,実の傷はなかなかに味わい深い」,そういうトラウマについての思いを表しているという。
ひとつだけ残念なのは,一般向けの書籍『ぼくらの中の「トラウマ」』(ちくまプリマー新書,2020)が遠慮がちにしか紹介されていないことである。受診にまでには至らないトラウマについて書かれたこの新書は,本症例集の考え方の基本を丁寧に述べたものである。タイトルの「ぼくらの」という言葉には,トラウマが多くの人に認められるという意味とともに,過酷な体験の社会における共有という意味が込められている。
どんな分野でも,本当に大切なことは,基本や常識や「当たり前」に忠実なことである。それがトラウマについても変わりないことを,思い出させてくれる本である。
症状の背景に隠れたトラウマへの気付きを促す一冊
書評者:小林 桜児(神奈川県立精神医療センター副院長/医療局長)
「トラウマ」という用語は,ある種のリトマス試験紙である。精神科や臨床心理に従事している者は,その用語に対する反応によって2種類に大別される。精神症状を遺伝負因や神経伝達物質の異常から説明することを好む臨床家は,トラウマと聞くと「あまり触ってはならないパンドラの箱」といった苦手意識を感じるか,あるいは「自己責任を取らずに何でも周囲の人や環境のせいにするための口実」,などといった嫌悪感を隠し切れないかもしれない。他方,精神分析や力動的精神医学の影響を受けた臨床家は「トラウマ」を幅広く解釈し,診断や治療上不可欠な要素,と主張するであろう。
かくもトラウマという用語は,人間に対極的な反応を引き起こす。女性の性的トラウマから研究を始めたはずのFreud自身,やがてトラウマ体験は本人の空想,と解釈するに至った。第一次世界大戦中に戦争神経症を発症した兵士たちは臆病者とみなされ,イギリスの精神科医Lewis Yeallandは電気ショックで治療しようとした。トラウマ体験が心の病を引き起こすことを私たちが認めることが難しい理由の一つは,それを認めてしまうと,患者は「炭鉱のカナリア」に過ぎず,患者を取り巻く他者が,社会が,つまりはその社会に属する私たち一人ひとりが変わらなければならない,という現実と向き合うことになってしまうからではないだろうか。
本書はトラウマに関する疾病教育的な解説から始まり,その後は多彩で豊富な症例が次々と提示されて,症状の背後に隠れたトラウマ体験への気付きを読者に促していく。私たちは気付かなければ,変わることができない。狭義のPTSDにとどまらず,知的障害から統合失調症,そして認知症に至るまで,トラウマ体験が精神障害全般に与える影響について,専門家でなくともわかりやすい言葉で解説されている。語り口は優しく謙虚で,病状の理解の仕方も極端に心因に寄り過ぎることなく,非常にバランスが取れている。さらに患者を取り巻く家族や援助者たちへの目配りも忘れず,豊富な経験に裏付けされた助言も随所にちりばめられている。トラウマという用語に苦手意識や懐疑心を抱えている一般の方々や第一線の臨床家に,特に本書をお薦めしたい。
2012年にはハーバード大児童発達センターのShonkoffらがtoxic stressの概念を発表し,生育環境におけるトラウマが子どもの発達に与える影響について,一段と注目が集まっている。さらに近年エピジェネティクスの研究が進んで遺伝子の発現が環境因子によって変わり得ることも次々と明らかになり,もはやnatureとnurtureは対立用語ではなくなった。今後はトラウマが精神症状を生み出す神経生物学的機序も,より精緻に語られるようになっていくであろう。そのような時代の分水嶺に,トラウマという視点の大切さを教えてくれる本書が上梓されたことを素直に喜びたい。
医療現場でトラウマをどう扱うかをまとめた稀有な本
書評者:伊藤 絵美(洗足ストレスコーピング・サポートオフィス所長)
ICD-11が改訂され,「複雑性PTSD」という診断が新たに加わったことにより,トラウマやPTSDに関する議論が活発化している。評者は認知行動療法とスキーマ療法を専門とする心理職だが,この数年,学会やシンポジウムで「複雑性PTSDに対するスキーマ療法」についての発表を依頼されることが激増している。とはいえ,スキーマ療法はトラウマ処理を目的とするのではなく,安定した治療関係を少しずつ形成したり,成育歴をゆっくりと振り返ったりする中で,自らのスキーマやそれに伴う感情に気付きを向け,その結果として他者と安全につながったり,セルフケアが上手にできるようになったりするという,非常に地味で地道なセラピーである。
ところでそのような複雑性PTSDのシンポジウムでは,スキーマ療法以外は,トラウマ処理を目的とするさまざまな技法が紹介されることがほとんどである。それは例えば,EMDR,PE,STAIR/NST,CPT,ホログラフィトーク,USPT,BSP,BCTといったものである(ググってください!)。同じ壇上でプレゼンしながら,これらの技法に筆者は圧倒されてしまう。なぜなら技法の内容も紹介される事例も実に華々しいからである。評者が提示するスキーマ療法の事例はだいたい年単位(3年や5年は当たり前)であるのに比べ,他の華々しい技法はわずか数セッションでトラウマ処理がなされ,クライアントが回復する。スキーマ療法だけ地味で地道で時間がかかり,なんだか評者は自分が詐欺師であるように感じてしまうのだ。とはいえ一方で,どう振り返っても,トラウマを持つ人とのセラピーは,どうしたって時間がかかるし(そもそもトラウマを扱えるようになるまでに時間がかかる),安心安全なかかわりや場の中で薄皮を一枚ずつ