医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部 俊子

2020.11.23



看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第191回〉
バーチャル・ユーラシア紀行

井部 俊子
長野保健医療大学教授
聖路加国際大学名誉教授


前回よりつづく

 新幹線通勤で心待ちにしていることがある。それは車内誌「トランヴェール」の巻頭エッセイ「旅のつばくろ」に載る,沢木耕太郎の見開き2頁の文章である。毎回1枚の写真が添えられる。几帳面に,座席ポケットに入っているこの雑誌は毎月1日に入れ替わっている。どなたの担当なのであろうか。たまに,前月の最終日に真新しい翌月号が入っていると,得をした気分になる。

ミッドナイト・エクスプレス

 沢木耕太郎が新刊を出すという広告をみて,喜び勇んで書店に行ったのが2020年3月である。タイトルは『沢木耕太郎セッションズ――訊いて,聴く』(岩波書店)で,4巻で構成される。2巻までは出版されていたのだが,3巻と4巻は未刊でしばらく待たされたのを覚えている。待ち遠しかった。ジャズのジャム・セッションをイメージしているというセッションズの書き出しが気に入っている。「私の幼い頃の最も甘美な記憶のひとつに,日曜日の夕方,縁側で弱い西日を浴びながら父親の朗読する声を聞いているという情景がある。父親は,新聞に連載されていた子どものための冒険活劇の読み物を切り抜き,毎週日曜になるとそれらをまとめて読んで聞かせてくれていたのだ。私は耳を澄ますようにして聴きながら,次の展開を早く知りたくて,“それで,それで”と心のうちでつぶやいているような気がする」。この光景は,セッションズの次の刊行を待ちわびる読者と筆者の関係に似ている。

 セッションズIのテーマは「あう」であり「達人,かく語りき」として,多様な分野の先駆者10人が登場する。セッションズIIは「きく」であり,「青春の言葉たち」として,10人の青春の記憶と軌跡を語る。セッションズIIIは「みる」という「陶酔と覚醒」であり,旅と冒険とスポーツをたどる10人のセッションである。セッションズIVは「かく」であり,「星をつなぐために」としてフィクションとノンフィクションをめぐる緊張感のある10のセッションである。

 各巻に書き下ろしエッセイが収録されており,「あう」「きく」「みる」「かく」ということが論じられる。そのころ私は学生の「観察」実習を検討していた時期であり,『「みる」の対語は「する」であるような気がする。そして,その「みる」という動詞を人と結びつけるとするなら,「みる者」と「みられる者」ではなく,「みる者」と「する者」になるのではないかと思うのだ』(『セッションズIII』303頁)という文章に私の思考は立ち止まった。セッションズIII「海があって,人がいて」で白石康次郎が語る「多田雄幸という人」は,私の記憶にくさびを入れた。

 その後,私はセッションズに頻繁に登場する沢木耕太郎のノンフィクション『深夜特急』を読まねばなるまいという心境に達した(1986年から刊行が始まった『深夜特急』3部作は,1993年にJTB紀行文学賞を受賞した)。

 『深夜特急』にとりつかれた私が東京駅の書店で発見したのは,新潮文庫の新刊であった。しかも,文字拡大増補新版6巻として2020年7月1日に発行となっている。まるで私のために文庫本を刊行してくれたといっても過言ではない(?)。(私は,ナント,新刊発行2日前の2020年6月29日に購入しているのだ。)深夜特急,つまりミッドナイト・エクスプレスとは,「トルコの刑務所に入れられた外国人受刑者たちの間の隠語である。脱獄することを,ミッドナイト・エクスプレスに乗る,と言ったのだ」とある。『深夜特急』は脱獄を意図していることを,私はこの原稿を書いて知った。

「私」の旅に伴走する

 『深夜特急1』はこのように始まる。「ある朝,目を覚ました時,これはもうぐずぐずしてはいられない,と思ってしまったのだ。私はインドのデリーにいて,これから南下してゴアにいこうか,北上してカシミールに向かおうか迷っていた」。日本を出てから半年になろうとしていた「私」は,1500ドルのトラベラーズ・チェックと400ドルの現金を作り,仕事のすべてを投げ捨てて旅に出るのである。

 「私」の旅は,予定を立てず,移動は乗り合いバスを使い,安宿に泊まることをおきてにしていた。1年以上にわたるユーラシア放浪の旅であり,ゴールは2万キロ先のロンドンである。

 『深夜特急1』は香港・マカオ,『深夜特急2』はマレー半島・シンガポール,『深夜特急3』はインド・ネパール,『深夜特急4』はシルクロード。インドを抜け,いくつもの乾いた夜を越え,パキスタン,アフガニスタン,イランへ。『深夜特急5』はトルコ・ギリシャ・地中海。ここで「私」はこの旅をいつ,どのように終えればよいのかを考え始める。『深夜特急6』は南ヨーロッパ・ロンドン。イタリアからスペインへと回った「私」は,ポルトガルの果ての岬サグレスで,ようやく「旅の終わり」の潮時を迎える。パリで数週間を過ごしたあとロンドンに向かい,日本への電報を打ちに中央郵便局へと出掛ける。電報は電話から打てることに驚き,コインも入れずにダイアルを回した。〈9273-80824258-7308〉,それはWARE-TOUCHAKU-SEZU〈ワレ到着セズ〉であった。

 「私」ではなく,私が『深夜特急』をスタートしたのは2020年6月30日であった。香港の喧噪や香辛料のにおい,カジノでの酔狂,舗装のされていない路面から舞い上がる土ぼこり。まっすぐ差し込む朝日のとりこになった。私はとりつかれたように読んだ。6巻の読了は2020年8月31日夜9時10分であった。この2か月間,私は『深夜特急』の「私」と一緒に旅していた。

 イランで3番目に大きい都市メシェッドで,「私」はこんな経験をした。食堂で誰かから食べ残しを分けてもらっていた若者が,まとわりついてきた2人の男の子に何のためらいもなく自分の全財産を分け与える光景をみて,強い衝撃を受ける。「私」は物乞いのたった1人にすら金を恵んでやることがなかったし,恵むまいと心に決めていた。「ひとりの物乞いにわずかの小銭を与えたからといって,何になるだろう。(中略)その国の絶望的な状況が根本から変革されない限り,個々の悲惨さは解決不能なのだ。しかも,人間が人間に何かを恵むなどという傲慢な行為はとうてい許されるはずのないものだ」(『深夜特急4』118頁)と思っていた。しかし若者の行為を目の当たりにした後では,それは単に「あげない」ための理由付けにすぎず,自分が吝嗇(りんしょく)であることを認めたくないための屁理屈であり,ただのケチなのだという考えに及び,「私」は呪縛から解き放たれ一気に自由になるのである。

 コロナ時代の閉塞感のなかで「私」の旅との伴走は,私に“脱獄”という格別の時間をもたらした。

(つづく)

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