医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部 俊子

2020.12.14



看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第192回〉
聖路加の看護教育100周年

井部 俊子
長野保健医療大学教授
聖路加国際大学名誉教授


前回よりつづく

 『看護管理学習テキスト 第3版第3巻 人材管理論』(監修=井部俊子,日本看護協会出版会)の第3章に「看護管理の歴史」がある。故・高橋美智氏が渾身の力を込めて執筆された章である。

わが国の病院看護管理の範

 その「論点3:看病婦取締・看護婦長養成の始まり」では,「1896(明治29)年に初めて官立病院で各科の病室ごとに婦長を置く構想が見られ,看病婦長講習規則がつくられ,後に高等看病法講習規則と改正された」とある。続けて,「看護界における指導者を多く輩出した学校といえば,聖路加国際病院附属高等看護婦学校であり,第2次世界大戦終結時,唯一の文部省認可看護専門学校であった。聖路加国際病院が設立されたのは1902(明治35)年,学校が開学したのは1920(大正9)年のことである」。脚注にはこう記述される。「聖路加国際病院は,戦後真っ先に西洋式近代病院管理・看護管理の実践病院として脚光を浴びた。1902年の病院設立時には,1900年からアメリカに留学していた荒木イヨが帰国して初代の看護婦長となり,以来,西洋式近代看護管理が継承され,常にわが国の病院看護管理の範とされてきた」。

 1920年に開学した聖路加国際病院附属高等看護婦学校にルーツを持つ聖路加の看護教育は,2020年に100周年を迎えた。1953年に学校法人聖路加看護学園を設立し,翌年に戦後3番目の看護系短期大学の設立を経て,1964年に4年制私立大学としては日本初の看護系大学となる聖路加看護大学が発足した。

 1980年に大学院看護学研究科修士課程,1988年に博士課程を設置した。2014年に学校法人聖路加国際大学として聖路加国際病院と一体化する組織変革が行われた。2017年に大学院公衆衛生研究科を設置,学士編入制度(3年次)を開始するとともに,看護学研究科博士後期課程(看護学専攻)にDNP(Doctor of Nursing Practice)コースを開講した。

聖路加の歴史と伝統

 「看護教育100周年記念礼拝」は,新型コロナウイルス感染症の世界的拡大のなか,規模を縮小して2020年10月24日に行われた。堀内成子学長は,かみしめるように次のようなあいさつをした。

 「1920年秋,聖路加国際病院附属高等看護婦学校が開設されました。当時,すでに日本で看護教育は始まっていましたが,(病院の創立者である)ルドルフ・B・トイスラー博士は“医学の水準は十分でありながら,患者が回復できないのは看護が不十分だからである”と,新たな学校をつくりました。学生の要件として,それまでの高等小学校卒業で十分とされていた資格を,高等女学校としました。学校評議員の多くの有識者たちは,それは無理,失敗に終わるからと,その資格要件を下げるように進言しました。しかし,トイスラー博士は頑として主張を曲げませんでした。博士はミセス・アリス・C・セントジョン女史と共に,日本の看護婦の教養と社会的地位の向上を願い,理想実現のために小学校卒業資格だけでは不十分であると主張したのです。1920年10月に80人が応募し,25人の入学を許可しました。これは日本の看護教育史上,画期的な出来事であります。この挑戦は,その後の大学化,大学院教育の道へとつながっていきます」。

 続けて堀内学長は,入手した“セピア色の英文資料”をもとにトイスラー博士による新病院の設計図と,米国に住む人々に向けた日本再建基金の趣意書に言及した。次に,看護教育100周年記念事業として編纂された「聖路加の看護100のエピソード」を引用して,「聖路加の看護は,“いざというときに協力を惜しまず身を挺して働く,献身的に奉仕するチームであった事実”が記されていました」と語る。

 さらに,「未来の100年」に言及する。「(前略)私は,人工知能と共に生きる時間と,人工知能なしで離れて生きる時間とを,人間が意図的に使い分ける時代になると思います。その選択力が必要になってきます。(中略)どんなに人工知能が発達しても,技術を使うのは人間であり,ぬくもりのある人と人のつながりは決してなくならない,大切な時間です」と述べ,巨大IT企業の集まる米国シリコンバレーで実践されているマインドフルな時間を持つ活動に言及した。

 そして,オンライン開催されている国際ヘルスヒューマニティーズ学会の基調講演においてポール・クロフォード博士(英国ノッティンガム大学)が述べたMutual Recovery(相互回復)を引用した。専門家が病む人を回復に導くという一方向だけではなく,ケアを受ける者が医療者に与えるものがあり,共に回復していく,患者が看護師の人生を助けるという考えを紹介し,「相互回復という現象は,人工知能と人間の間には起こりにくい,まさに人と人との間で生じる予想外の創造的な行為」であるとした。

 最後に,礼拝で共に歌うことの価値と,卒業生が大好きな校歌の一節に触れてスピーチを終えた。「輝かし金の十字架みさとしは かしこにぞあり いざ友よ心みがかん 世の人に この身ささげて 美しく はげしく生きん」(キリストの教えは,ここにある。献身的に,美しく,品位を持って積極的に生きる)。

100年後の賜物

 聖路加看護教育100周年の具体的な成果を,糸魚川順理事長は冒頭のあいさつのなかで報告した。建学精神の実現のために限りない努力を注ぎ続けてきた先達の偉業をたたえたあと,「具体的に申せば,短大卒業生303人,4年生大学になり3677人,修士931人,博士195人,合わせて5958人を世に送り出して」いること,さらに,「現在,大学の学長,学部長,研究科長を務めている方が28人,教員が470人,また有名病院で看護部長等の要職を務めている方が多数活躍して」いること,「また,発展途上国の看護,母子衛生,健康の質的向上のため,教育研究,実践面に携わり大いなる貢献を行って」いること,そして,「100年の歴史は単に過去の記録ではなく,生まれた生命の成長の流れであり,歴史と伝統の上に日々新たなる歴史を刻み続ける努力が不可欠である」と述べた。

 まさに,「情熱を込めて撒かれた一粒の種が今日の姿に成長,神様からいただいた100年の賜物」にひれ伏す時であった。

(つづく)

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