医学界新聞

看護のアジェンダ

連載 井部 俊子

2020.09.28



看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第189回〉
Yの病気退治の旅

井部 俊子
長野保健医療大学教授
聖路加国際大学名誉教授


前回よりつづく

 コロナ禍で休止している研究会のメンバーであるY(51歳,女性)から,5月の終わりにメールが届いた。しばらくは研究会に参加することが難しいというのである。その理由をYは淡々と述べる。Yは「淡々と」書いているわけではないであろうが,メールの文字は感情のゆれを表すことができないので,ともかく私にはいつものYらしい近況報告にみえる。

「夫と同じ病気になりまして」

 ところがその近況報告の内容がただならぬことであった。「私事で恐縮ですが,夫と同じ病気になりまして」というのである。Yの夫は10年ほど前に膵臓がんで亡くなっている。元気だったころ,中秋の名月にお団子とすすきの束を2人で届けてくれたことがあり,私は「すすきの君」と名付けていた。今も,中秋の月をみると思い出す。その「夫と同じ病気」になったという文面を私もまた淡々と読んだ。

 メールには,「概要」の項が設けられていて,次のように記されている。

1.病名:膵体癌(周辺動脈・リンパ節浸潤あり)。遠隔転移なし。
2.ステージ:Ⅱ~Ⅲ
3.治療:6月5日(金)入院,6月8日(月)手術(膵体尾部切除,脾臓も含む)。左胃動脈再建術,約1か月入院。退院後,6か月抗がん剤(TS-1)内服。
4.予後:術後合併症,膵液漏があった場合,入院が長引く。手術後の経過次第。

 これから始まる症例カンファレンスの資料のようである。そして「病気退治の旅にしばし行ってまいりますので,何卒よろしくお願いいたします」と締めくくっている。

 Yは予定通り大手術を受けて術後9日で退院した。「傷口25 cm。今は傷の痛みより食事が大変。新生児になった気持ちで,1回にどれくらい飲めるのか探索中です」と記す。

 そして7月下旬,「昨日,病理診断結果が出て,良性腫瘍でした!(中略)今後は外来フォローアップを3か月おきに,2年間通うことでいいそうです」というメールが届き,私は小躍りして喜んだ。

 それから5日後,Yは病理診断結果が「良性」となったいきさつについて報告してくれた。それによると,腫瘍の発生場所が動脈と隣接していることから生検ができず,術前の組織診断では良性・悪性の判断が困難であったこと,肝胆膵外科・内科医師は9割方「悪性」と判断されていたことなどから,今回の手術は確定診断のための手術だったという。(肝胆膵は,膵肝胆に並び替えてほしいくらいだとYは言う。そうよね,保助看を看保助にするのと似ているわよね,と私が答える)。Yのように「悪性」が「良性」となるのは,200手術例のうち1~2例というレアケースであるそうだ。

 Yが次にとった行動は「カルテ開示」の手続きである。Yはこう述べる。「今後,自分自身が何らかの病気になった場合の対応や,切除した臓器等の影響から来る悪影響を最小限にするために,行われた治療内容を熟知した上で今後に生かしたい」と考えた上のことである。しかし,Yにはこのことでずっと気になっていることがあった。カルテ開示を請求することで,担当してもらった医療者との関係性が悪化するのではないかという懸念である。Yはこう付け加える。「今回のカルテ開示請求は決して訴訟などのためではなく,先生方に治療していただいた内容は十分に満足しておりますので,私の後学のためにも,関連する情報を得た上で的確に理解することを目的としています」。つまり,これから生きていく上で大切な情報を得るためであると繰り返す。カルテ開示請求にまつわる一般にネガティブな見方を払拭しようと,Yは躍起になっている。

「すすきの君」への伝言

 1か月後,Yが開示されたカルテを背負ってやって来た。ふだんのYと比べるとひと回り細くなっていた。5 kg痩せたというが,雄弁であった。

 Yのカルテ開示請求によって開示された資料は診療記録(カルテ)A4判で476頁あった。これにCD-ROM 2枚が加わる。カルテ開示料は合計1万3560円である。内訳は,電子カルテ印刷料が白黒で9260円(20円×463枚)とカラーで1300円(100円×13枚),そしてCD-ROMが3000円(1枚目が2000円,2枚目以降1000円)であった。紙カルテ印刷料は1枚50円とあるが,Yの開示では0円であった。こうしてYの「病気退治の旅」は476頁と2枚のCD-ROMのドキュメントになった。CD-ROMにはX線・CT・MRI・超音波画像,内視鏡画像が収載される。

 Yは「淡々と」と伝えてきたようにみえるメールの向こうで,「死に支度」をしたと語る。夫の墓参りをしたかったが,コロナで断念した。がん保険の手続きをした。自分は死ぬんだと自分に言い聞かせ,「食べたり飲んだりするのはこれが最後だ」と毎日思った。今まで感じなかった風を感じた。めそめそしていたYに,生前の夫が「俺はまだ生きているのに泣くな」と言ったことも思い出した。

 最期は九州の実家に帰ろうと決めた。実家の仏間を寝室にすると決め,ダスキンに掃除を頼んだ。壁を塗り替え,ついでに母親の部屋もきれいにしたと笑う。部屋の整理をしたら,小学6年生の卒業時にクラスメートが作ったタイムカプセルが出てきた。中には「小菊ばあちゃん」が書いてくれた手紙があった。「ばあちゃんより大きくなって,ハタチになったらどんなよい子になるか楽しみです」とあった。祖母に大切に育ててもらって,「今」生きていることを痛感したという。死に支度からひとまず解かれたYの悦びがにじみ出ていた。

 免疫力を高め体力を回復させるために,目下の“課題”は何をどのように“食べるか”ということであるとYは言う。今いちばんからだに合っている食品は,豆腐,ゆで卵,チーズ,さらに納豆,キムチ,芽かぶなどの発酵食品であるという。

 Yは入院中の看護についても薄目をあけてみていた。Yの観察報告をまとめるとこうである。

1)看護師たちは「医師のやること」にあまり関心がなさそうである。
2)看護師は看護のルーチンを実行し,記録に残すことに価値をおいているようにみえる。それらは質問の仕方に表れる。オープンな質問よりも,圧倒的にクローズな質問が多い。
3)Yの退院時の最大の心配事は「どうやったら家でひとりで暮らせるか」であったが,看護師はYの心配事にはあまりコミットしなかった。そしてYは,カルテ開示によって医療者との関係性に再び変化が生じないことを願った。

 私は先に旅立った「すすきの君」に,Yは試練を乗り越えて賢く生きていることを伝えたいと思った。

つづく

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