自身の行動経済学的特性を知る 大きな影響を与える3つのバイアス(平井啓)
連載
2018.05.28
行動経済学×医療
なぜ私たちの意思決定は不合理なのか?患者の意思決定や行動変容の支援に困難を感じる医療者は少なくない。
本連載では,問題解決のヒントとして,患者の思考の枠組みを行動経済学の視点から紹介する。
[第10回]自身の行動経済学的特性を知る 大きな影響を与える3つのバイアス
平井 啓(大阪大学大学院人間科学研究科准教授)
(前回よりつづく)
その判断に,バイアスの影響は……〈場面A〉
〈場面B〉
〈場面C〉
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このような3つの場面は,バイアスが意思決定や行動に影響を与えている3つの典型的な例です。医療者自身にバイアスがあると,患者の意思決定にも大きな影響を与えます(図)。今回は,これまでの連載で挙げてきた行動経済学の概念を復習しながら,各場面でどのようなバイアスが生じているか,また各バイアスがなぜ生じるのか整理してみます。
図 患者の意思決定に影響を与える医療者自身の行動経済学的特性 |
身近な情報は優先されやすい
多くの人は,意思決定において身近で目立つ情報を優先して用いてしまう傾向を持ちます。それにより生じるバイアスを利用可能性バイアスと呼びます1)。例えば,怪しげな健康食品でも,目を引く広告だったり何度も見掛けたりすると,つい利用してしまいます。
医療者のような専門家は客観的な情報に日頃から慣れ親しんでいるので,一般の人に比べると利用可能性バイアスは生じにくいといわれています2)。しかし医療者でも,治療法がうまくいかなかった事例をたまたま経験していると,それが最も望ましい方法でも目の前の患者さんへの適応をためらうことは十分にあり得ます。
医療におけるエビデンスは,利用可能性バイアスを補正するための一つの手段です。一方で,エビデンスのみでは判断しきれない個別事例の対応や,研究の進展によりエビデンスの更新があった際などには,かつて根拠としていたエビデンスが,利用可能性バイアスや後述する現状維持バイアスの形成につながることがあります。
現状は変えたくない
現状維持バイアスとは,現状を変更するほうがより望ましい場合でも,現状を変えようとしない性向のことです3)。第3回(第3245号)で説明したように,参照点(現状)からの変化を損失と感じるとき,損失回避のために現状維持バイアスが生じます。「続けてきたことを変えたくない」と思うのは自然なことですが,新しい治療法が開発されたときやこれまでの治療法に効果がないとわかったときは,方針を変えなければ患者さんに不利益を生じさせ続け,利益を奪うことになります。特に,自分が得意とする方法を変えることには大きな抵抗を感じがちです。そのような場合,現状から一旦距離を置き,中立的な態度で新しい情報を取り入れ吟味することや,他人の意見を聞くことが重要になります。
せっかく○○したんだから
普段からわれわれは「せっかく◯◯したんだから」という表現を使います。これはサンクコスト(埋没費用の)バイアスの現れと考えられます。サンクコストとはすでに払ってしまったコストのうち,将来に生み出される新たなコストに影響を与えないコストのことです3)。例えばギャンブルで,「今までに2万円つぎ込んできたから」と,さらに勝負に出ることがあります。しかし,次の賭けの勝敗に対して今までいくら使ったかは関係ありません。また,もし次の賭けに勝っても,すでに使った2万円は取り戻せるわけではありません。
医療の場合は,長期の治療の積み上げが予後に影響するものとそうでないものがあります。例えば,QOLの維持向上を目的とした治療に移ることが望ましいにもかかわらず,積極的な治療を継続してしまう場面では,このサンクコストバイアスに影響された意思決定が行われているように思います。サンクコストバイアスは患者・家族への影響がより強いですが,医療者も注意する必要があります。
自分自身のバイアスに気付く方法
前回(第3270号)の先延ばしの予防と同様に,自分が持つバイアスへの対策の基本は,当たり前ですが,自分自身の傾向を知ること,気付くことです。
心理学にセルフ・モニタリングという概念があります。セルフ・モニタリングとは自分の行動や,自分が他者に与えている印象を客観的に観察し,それを適切にコントロールしようとする技術で,認知行動療法において広く用いられています4)。通常は,まずモニタリングの対象となる思考や感情に気付き,次にそれを記録します。ぜひ,本稿で提示した3つのバイアスと先延ばしをターゲットとして,自分の日常生活を確認することから始めてみてください。ほぼ全ての人がこれら4つの行動経済学的特性の影響を受けています。それを前提に自らを振り返ると,気付きを得やすいと思います。自然と振り返りができるようになったり,自分自身のバイアスと徹底的に向き合いたいと思ったりした人は,日記などで記録することより,適切なコントロールが可能になるでしょう。そこまでやると日常が窮屈になるかもしれないので,「次の面談では利用可能性バイアスに注意しよう」と頭の中でつぶやけるようになることをゴールにするのでも十分です。
もう一つの対策は,前回の先延ばし予防でも示しましたが,自分の行動を取り巻く環境を構造化すること,特に外的なコミットメントを高めること5)です。つまり自分自身にバイアスが生じることをあらかじめ周囲の人に伝えておいて,フィードバックをもらうようにルール化しておくのです(ナッジの構築)。また,バイアスの影響を強く受けているように思われる同僚がいたら,本稿で書いた3つのバイアスを一般論として説明し,誰にでも生じるものであり,自分では気付きにくいので他人から指摘してもらうようにするといいことなどを伝えてみると,対策の第一歩となります。
医療コミュニケーションにおいて考えるべきは,患者やその家族の最終的な利益です。可能な限り利益を高め,損失を少なくするためには,医療者側のバイアスをコントロールすることが,最低限必要であると考えられます。近年盛んに行われている医療者を対象としたコミュニケーションスキル・トレーニングなどのプログラムも,自分自身のバイアスをコントロールするための機会として活用できます。
今回のポイント●医療者は,意思決定に自身のバイアスが影響することを認識する必要がある。
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(つづく)
参考文献
1)ダニエル・カーネマン著.村井章子訳.ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?(上).早川書房;2012.
2)EM Caruso. Use of experienced retrieval ease in self and social judgements. J Exp Soc Pshycol. 2008;44(1):148-55.
3)ダニエル・カーネマン著.村井章子訳.ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?(下).早川書房;2012.
4)下山晴彦編.認知行動療法――理論から実践的活用まで.金剛出版;2007.
5)池田新介.自滅する選択――先延ばしで後悔しないための新しい経済学.東洋経済新報社;2012.
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