医学界新聞

連載

2017.11.06



The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第54回(最終回)】
ジェネシャリの未来

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 長かった本連載も今回で最終回である。お付き合いいただいた読者の皆様に心から感謝申し上げます。


 連載の締めくくりとしてジェネシャリの未来を展望してみたい。

 ジェネシャリの未来を展望するとは,要するに医療の未来を展望することに他ならない。

 未来予測は難しい。しかし,一つだけほぼ確かなことがある。それは,医療の未来が今の医療と同じようなものにはならないだろうということである。それは歴史を振り返り,現在の医療が江戸時代までの医療や,昭和より前の医療,昭和時代の医療とはまるで違うものであることから,簡単に推察できることだ。

 ちょっと前までは,C型肝炎は手のつけられない疾患だと思っていた。治療薬は万能ではなく,効かないジェノタイプも多い。副作用も多い。効果的なワクチンが存在しない。まことに厄介な存在であり,臨床的にも公衆衛生的にもインパクトの大きな疾患であった。

 ところが,新しい抗ウイルス薬が雨後の筍のようにニョキニョキと開発され,臨床現場で活用されるようになり,C型肝炎治癒は現実のものとなった。多くの患者がC型肝炎ウイルスから完全に自由となり,疾患が消えてなくなっている。自然界のリアルなレザボアを欠くこの感染症は,場合によっては近い将来撲滅することだって可能かもしれない。

 同様に,B型肝炎も効果的な医療政策で激減させることが可能だろう。逆説的に肝臓を専門とする臓器専門医は(その見事なまでに素晴らしい成果によって)滅びゆく運命にあるかもしれない。滅ばないまでも,希少種になってしまう可能性は高いと思う。

 一般に「選択と集中」は下手(げしゅ)である。それはバクチであり,失敗した時のロスが大きすぎる。ある専門領域に特化しすぎたスペシャリストは,医療の進歩やセッティングの変化で容易に死に体となる。特殊ながんの執刀を専門にしていたある医師は,ひょんなことから地域医療の担い手となるよう求められて,現場で「できること」が皆無なことに呆然としていた。

 その地域もどんどん消失してゆく運命にある。地域での小児科医のニーズは減少し,その後高齢者までもが減少してゆく。現在のニーズを基盤に医療の姿を決めていくと,10年の後にはそのニーズそのものが消失する。よくある話だ。

 要するに,スペシャリストは,特に先鋭化したスペシャリストは将来の希望が保証されないのである。それは「選択と集中」というバクチだ。

 では,ジェネラリストであれば未来が保証...

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