医学界新聞

連載

2016.06.27


看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第138回〉
実践のプラットフォーム

井部俊子
聖路加国際大学特任教授


前回よりつづく

状況の穴

 助産師・辰野さんは,父親の介護をきっかけに看護学校に入学したのちに,看護大学に編入して助産師になり数年の臨床経験を持つ。辰野さんは子育てを経験したあとに看護と助産を学び,もともと臨床家になろうと思ったわけではないのに,状況に従うまま助産師という実践家になった。

 辰野さんは,父親の介護で医療に対する不満を持ったことで看護学校に入った。「家族と語りたくないのか,あんまり話してくれることもなかった」という医師や看護師に対する不信感が,看護師になるつもりはないのに看護学校に入学して勉強しようという大きな決意のもとになっている。つまり辰野さんは,患者である父と,家族である辰野さんを中心にしたケアが行われていないと感じたのである。そして知識がまったくないと感じた辰野さんは,思考可能性の可能性を超えてしまい,状況に穴が開いてしまう。辰野さんは植物状態に陥った父親の状況に対して知識を持ち,対処となる行為が組み立てられるようになることを願って看護学校に入学する。

 辰野さんは看護学校での助産教育でも違和感を持つ。自分が経験したお産と比べて,看護学校の先生の指導が「なんかすごいずれている気が」した。違和感を持った辰野さんは行為を可能にする知を手に入れようとして,助産を学ぶために看護大学に編入する。そしてまたしてもそのつもりはなかったのに,違和感を持った分野の「知」を手に入れ,その分野で「活動」することになる。こうして辰野さんは当事者の主体化を助ける人として,状況への介入に成功しているのである。

 辰野さんは,医療規範のなかで活動しながらも規範を批判し,それに対抗する形で形成される「ローカルでオルタナティブな行為のプラットフォーム」の上にある。

 以上は,村上靖彦著『仙人と妄想デートする――看護の現象学と自由の哲学』(人文書院)で記述された看護師の語りである。実は,私は以前にも,本連載(第3048号「看護と哲学のコラボ」)で村上氏の著書『摘便とお花見』(医学書院)を取り上げており,再び彼の著書に魅せられたことになる。

 今回は,『仙人と妄想デートする』において現象学的な手法を用いて提示された「実践のプラットフォーム」を取り上げたい。この概念を知ることで,パートナーシップ・ナーシング・システム(以下,PNS)論で抱いていた違和感がどこにあったのかを考えることができたように思うからである()。

規範のなかで自由と享楽をうみだす看護の力

 私は,看護実践は制度やルール,マニュアルなどで拘束され不自由だと思っていたが,村上さんは冒頭から「看護師は自由をつくる」という。つまり「医療の世界には,技術的,法的,倫理的といったさまざまな仕方で外から課せられる規範がある。しかし外からの規範とは別に,看護師たちは自らの行為がそれに則っているプラットフォームを自主的に創りだす」として,メルロ=ポンティの「制度化/創設」概念を引用して説明する。そして「それゆえにこそ看護実践は厳しい規範に従いつつも自由を獲得する」という。しかし,この実践のプラットフォームは,まったく意識されていないこともあり,意識されていたとしても明文化されることはない暗黙のものであり,「状況に応じてフレキシブルに変化する,ゆるやかな実践のロジック」である。このような土台を「プラットフォーム」という。看護師やあらゆる実践者は,自らの行為のルールを自発的に作る。しかし外的規範が無視されることはなく,「規範とは別のルール」であり,「オルタナティブなルール」である。看護師の実践は,切迫した状況の中で行われるがゆえに「不可避的に創造的である」。しかも「この実践の枠となるプラットフォームを形成できないと,新たな困難には対応できない」という。したがってこのプラットフォームは流動的な構造を持ち,それぞれの現場固有のローカル性を持つ。

 さらに,プラットフォームは「どのように患者から触発され,患者に対して構えを取るのか」といった対人関係の構造の根本が問われる。しかも,この実践のプラットフォームは,医療者がチームで動いているがゆえに,看護師だけの行為ではなく,患者の行為と家族関係を切り離すことはできない。

 実践のプラットフォームは,人間が人間らしさを保つための不可欠の契機であり,これは,自由,創造性,主体,楽しむことといったものを実現するための仕組みだという。行為は状況に応じて新たに創造的に作られ,制限に対する隙間を作る。この点で自由なのだという。プラットフォームは,自由,創造性,楽しむことを価値として肯定する。村上さんは,「看護とは<制度の中で自由を作り出す試み>とも定義できる」と宣言した上で,「私たちの社会が規範的な制度でがんじがらめになっている以上,規範のなかで自由を,享楽をうみだす看護の力」を認め,「生の一つの指針となりうるであろう」と結んでいる。

 昨今,PNSを導入したがうまく機能していないという報告が聞かれる。PNSを実践のプラットフォームと考えると,その自由性,可変性,創造性,そして主体性といった特徴を備えていなければならない。決してPNSが固定化された不自由なプラットフォームであってはならないのである。

つづく

註:パートナーシップ・ナーシング・システム(Partnership Nursing System)とは,看護師二人一組で複数の患者を受け持つという看護提供方式。福井大病院で開発され,全国に普及している。

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