医学界新聞

連載

2015.11.23


看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第131回〉
人が患者になるとき,患者が人になるとき

井部俊子
聖路加国際大学学長


前回よりつづく

 今回は急性心筋梗塞を発症した吉山さん(60歳代男性,仮名)の物語(ナラティブ)を書こうと思います(情報提供者は彼の妻です。妻はナースです)。

〈入院当日〉
 吉山さんは9月29日昼過ぎ,テニス中に胸が苦しくなりました。いつもなら少し休むと治まるのにだんだんひどくなってきたので,「具合が悪い人がいると仲間がしらけちゃう」と思い,「お先に失礼します」と言って帰りました。家に帰る途中に消防署がありました。そこまで来るともう胸が痛くて苦しくて動けなくなったので,助けを求めました。

 15時半頃,医師から吉山さんの妻に電話がありました。救急車で救急外来に運ばれた夫の様子を聞かされました。痛みが増強しているので緊急に心臓血管の検査が必要であり,その際に処置も必要であるが承諾してもらえるか,という内容でした。妻は承諾しましたが,内心,本人の承諾だけでは駄目なのかと冷静でした。電話に出た夫は,興奮して叫ぶように「今まで……ありがとう。……さようなら」と言いました。これで妻は,ナースから家族に引き戻されたのです。

 17時近くに妻は病院に到着しました。処置が済みICUに入室していた吉山さんは,意識は清明で興奮気味でした。酸素吸入をしており左上肢には動脈ラインが入り,右上肢では酸素飽和度をモニターされていました。喉が渇いたので水を飲んでもよいかと看護師に尋ねると,「医師に確認しなければ許可できません」と言われ一時間も待ちました。再度,看護師に尋ねると,「口を湿らしましょう」ということになりました。マウスケアセットを持参した看護師は,吉山さんが自分でやろうとするのを制止しました。排尿のときもそうでした。吉山さんは結局,「されるがまま」状態に置かれたのです。吉山さんは「やってもらっていると,だんだん受け身になっていく」と妻に漏らしました。

 医師からの病状の説明があったのですが,妻と息子だけ呼ばれました。吉山さんに説明されたのはそれからしばらく後の一般病棟に移ってからでした。

 入院当日にはもうひとつエピソードがあります。看護師が用紙を持ってきて妻にサインを求めました。それは「身体拘束」を承知してほしいというものでした。妻はサインを拒んだのですが,息子は事を荒立てまいとしてサインをしました。

〈入院3日目〉
 ICUのスタッフから妻に電話があり,一般病棟に移るが個室しかないのでそれでよいかというものでした。本人が承諾しているならいいじゃないか,と妻は思いました。

〈入院4日目〉
 吉山さんは自分の病状がどうなのかを看護師に尋ねました。男性看護師が,「少し心筋梗塞を起こしていました」と答えました。他の看護師にも尋ねましたが,看護師たちは一様に体温と脈と血圧を測り,尿量と排便の有無,痛みの程度を聞いてベッドサイドを離れようとします。吉山さんは「看護師のからだの向きが出口に向いている」と妻に語りました。彼女たちの回答も漠然としていてわかりません。

入院5日目〉
 吉山さんは右足の痛みで深夜2時に目が覚めました。痛みで朝まで眠れなかったのですが,痛み止めをもらえたのが9時でした。吉山さんは,痛みを我慢することの無意味さを妻に諭されました。妻は畳み掛けるように,「鎮痛剤の効果が持続する時間を自分で測って,その効果が減じる前に内服したいと看護師に伝えること。自分のことは自分で管理して,必要なモノは必要と言わないと駄目。やってもらえると思っていても駄目よ」と言いました。

 この日,吉山さんは妻から『ハーバード大学テキスト――心臓病の病態生理 第3版』(MEDSi)など4冊を渡されました。

〈入院7日目〉
 吉山さんは渡された本を読破しました。そしてこんな感想を妻に話しています。「ハーバードの本は本当にいい本だ。難しいけどよくわかる。俺は仕組みがわからないと納得しないから」「本を開いていたら,看護師も医師も驚いていたよ」「粥状病変と血栓の関係がわからなかったんだ。先生に聞いたら驚いていたけど,丁寧に教えてくれた。血管の壁の変化なんだね。ほかの血管にも起こってるんだ……」「薬剤師に薬のことを尋ねた。βブロッカーを飲んでいるのかと思ったら,俺はそうじゃなかったんだ。丁寧に説明してくれた。驚いていたよ」「回診のとき,“吉山さんは本当に勉強しているんですよ”と2回も言ってくれた」「自分のことは自分でわかって管理しなくちゃ駄目なんだって,母ちゃんに言われたからと話したら,目を丸くしていたよ」。

〈入院8日目〉
 吉山さんは大部屋に移り,医師や看護師が患者に接する様子を見て“怒りモード”になりました。「今日,入院計画書を持ってきた。バーバーバーと読み上げてサインをくださいと言う。俺はハーバードの本を読んでいたから,一つひとつ確認して質問したけど」「同室の斉藤さん(仮名,80歳代)は明日ペースメーカーの埋め込みらしい。看護師が“何かわからないことはありますか”と聞いた。“わからないから,聞くことがわかんねえよ。前もお任せだったからよ,アハハ。不安でしょうがねえよ”と答えていた。不安でしょうがないと言ったのに,看護師はそのままにしていった」。吉山さんはそう妻に報告しました。

〈入院9日目〉
 吉山さんは医師から説明をしてもらい,「自分のどこが悪いのかがわかって楽になった」ようでした。斉藤さんの手術日でした。「あなたのからだのことだから,と呼ばれた斉藤さんはうれしそうだった」と妻に報告しました。

 吉山さんは入院中に多くのことを学習し,15日目に退院しました。日常人が自己コントロールや意思決定能力を剝奪されて「患者」となり,再び知識と承認を得て自律していく2週間でした。看護師はもう少し人間のセルフケア能力を信じてもよいのではないかと私は思いました。

つづく

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook