医学界新聞

連載

2013.11.25

The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第5回】
なぜ,二元論が問題なのか――その3 大学病院と市中病院

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 毎年,初期研修医のマッチングのたびに厚労省がデータを発表するのだが,「大学病院 vs. 臨床研修病院(いわゆる市中病院)」という構図でデータを流している。例えば,2013年度の発表は参考URLのような感じ1)。ミスリーディングだし,意味が大きいとは思わないので,そろそろ廃止してほしい。

 だいたい,大学病院と市中病院では病院数が全然違う。その両者のどちらが多かったかを比較することに何の意味があるのだろう。例えば,神戸大学病院の2014年度の募集研修医数は74人である2)。同規模の亀田総合病院の募集人数が毎年10-12人である3)。厚労省のデータを見ると,「最近は大学病院に行く研修医が減っているから,大学病院ももっとがんばってたくさん研修医を雇うべきだ」なんて錯覚を抱きかねない。指導医のキャパや研修内容の質の向上を考えると,むしろもっとダウンサイズしたほうがよいのでは,という意見だってあるべきなのだが,平坦な「A vs. B」という構図では,このような発想は湧きにくい。「初期研修は研修医の研修のために存在するのであって,青田買い,囲い込みのツールではない」という単純な事実すら,そこには見いだせなくなってしまう。

 大学病院と市中病院にはいろいろな違いがある。それぞれに与えられた役割分担というものがある。しかしこれはあくまでも相対的なもので,絶対的な違いとは言いがたい。特に,地方の大学病院は市中病院としての役割を担っている部分もあり,その区別はよりぼんやりとしてくる。

 もちろん,大学病院と市中病院が異なる「べき」であるところも,多々ある。ぼくの親戚は風邪をひくと必ずK大学病院を受診していた。「やっぱり病気は大学病院でなければ」と思っている人は多い。しかし,風邪(とその周辺)であれば,近所の開業医に診てもらったほうが待ち時間は短いだろうし,マネジメントもより適切な可能性が高い。

 ただし,この話には先がある。

 大学病院の外来に風邪の患者が常態的にやってくるのは,医療資源の有効活用という観点からは問題である。しかし,それは大学病院の医師が「風邪を診ることができなくたってかまわない」という意味ではない。自分たちの診療科でフォローしている患者だって風邪もひけば,腹痛も頭痛も起きるのである。そのたびに「そういうのは大学病院では診ないので,近くの開業医さんに行ってください」とか,「うちは血液内科だから腹痛は消化器内科,頭痛は神経内科を紹介しますね」と言うのでは,やっぱり医療資源の有効活用という観点から問題ではないか。

 「呼吸苦」を訴えて呼吸器内科専門外来にやってきた患者を,「うちの科の病気ではない」と追い返すのは,2.5流の呼吸器内科医である。ぼくはそう思う。心不全だって,貧血だって,パニック発作だって,「呼吸器疾患の周辺概念」として診断,そして基本的な治療ができるべきだ。呼吸器疾患と呼吸器疾患ミミックの線引きができる。それが優れた呼吸器内科医というものであろう。簡単な鉄欠乏性貧血くらいなら治療できる。なぜ鉄欠乏性貧血が起きているのか,悪性疾患の精査をする。そのくらいまでは,「内科医」だったらできるべきだと,僕は思う。同様に,「熱」に対して「これは感染症じゃない」と追い返すのは,2.5流の感染症内科医である。

 大学病院の専門外来だと,すでに診断がついている患者ばかりで,診断能力なんて要らないんじゃないの? と思われる方もいるかもしれない。実は僕もそう思っていた。でも,そんなことはない。患者が感染症と確信していても,紹介医が感染症と思っていても,実際にはそうでないことはしばしばである。「感染症ミミック」を診断,(ある程度)治療できる能力は大学病院では必須である。それができなくて,あちこちの医療機関を転々とする,一種の医療難民をよく目にする。

 オシム・ジャパンのころ,サッカー業界では「ポリバレント」という言葉がはやった。この場合,ポジションに関係なく,いろいろなことができる選手が現代サッカーでは重要だ,という意味だ。医療の世界でも,その専門領域に関係なく,その周辺領域もカバーする「のりしろ」,ポリバレントな能力が求められている,と僕は思う。それに,「あなたはうちの科の患者じゃありません」というアンウェルカムな言葉よりも,「あ,それは感染症じゃないけどなんとか病ですね。こうやって治療しましょう」と選択肢を提示できたほうが,外来は絶対に,楽しい。

 「大学病院だから」は,しばしば「できない言い訳」の枕詞となる。ここは大学病院だから,無理です,できません,やりません。こんな言葉を何回,何十回,何百回耳にしたことだろう(以上はフィクションであり,実在する大学病院とは何の関係もありません)。確かに,大学病院ならではの制約は,存在する。でも,多くの場合,「大学病院であること」とは何の関係もないことまで,「大学病院だから」で片付けられていることも多い(フィクションです)。挨拶ができない,電話の応対が不親切,たらい回し……こういう問題は大学病院かそうでないか,という問題とは何の関係もなく,きちんと改善が可能なはずである。病院が医療機関としてまっとうであるために,絶対不可能な障壁など,ほとんど存在しない(フィクションでーす)。

 現在では,市中病院でも専門性の高い高度医療を提供するところは増えている。特に,手術や手技といった技術系の領域では,「この病院」「あの先生」でないとだめ,ということも少なくない。

 大学病院はもっともっと横幅,のりしろを大きくし,ポリバレントな能力を発揮すべきである。「風邪ばかり診るのが大学病院ではない」と「風邪を診る能力がない」を同義ととらえない,複雑さと成熟を兼ねそろえた存在であるべきである。そして,専門性を高めてきている市中病院との関係は,分断される二元論のそれではなく,よりシームレスな「程度問題」に転換されるはずだ。

 「あいつとこいつは違う」と言ってしまえば,彼の存在から学ぶことはゼロになる。「あいつはおれの延長線上」と思えば,大学病院にとって市中病院は学びの対象となり,改善の道しるべとなる。もちろん,願わくば,その逆の現象も起きてほしい。大学病院が臨床病院として模範的なフラッグシップとなり,「あの病院のようになりたい」と市中病院たちが考えてくれる日が,待ち遠しい。

つづく

参考URL
1)厚労省.平成25年度医師臨床研修マッチング結果
2)神戸大学医学部附属病院総合臨床教育センターHP.募集要項
3)亀田メディカルセンターHP.診療部門のご紹介

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