医学界新聞

連載

2013.04.22

看護のアジェンダ
 看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第100回〉
行き過ぎた気遣い

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

「引き継げない」看護師

 今年は3月8日に大学院修了式と学部卒業式が終わり,学生たちは春休みに入った。教員も休んでいるのだろうと世間では思われているようだが,決してそんなことはない。教員たちが年度末に追われている仕事のひとつに,研究報告書の作成がある。

 私が研究代表者として取り組んだ研究テーマは,看護師の夜勤・交代制勤務の在り方であった。ドイツ,イギリス,フランスの病院視察に行った仲間とのディスカッションから得たことは,日本の看護師たちが「行き過ぎた気遣い」をしているのではないかということであった。

 彼女たちは自分の勤務時間内に終わらなかった仕事を,次の勤務帯の出勤者に引き継ぐことができない。この仕事を引き継いだら大変だろうと気遣って残業をする。同僚や上司も,「終わらなかった仕事」を片付けて帰るのは当然と考える。こうした「あうんの原則」は明文化されているわけではない。しかし,新人看護師は自分の受け持ち患者の「清拭」を勤務時間内に行うことができなかった場合,勤務時間が終わってからベッドサイドに立ち戻る。そうして就業時間を大幅に超えて帰宅する。勤務時間の終了間際に救急入院があると,それまでの勤務帯の勤務者が残って対応するのが「正しい」振る舞いとされる。

 われわれ研究班の結論は,日本の美徳である「気遣い」を残し,「行き過ぎた気遣い」を少なくする必要があるということであった。

「他己決定」の慣習

 私には気遣いをしたことでひどく怒られたというトラウマに近い経験がある。その昔,米国の病院で院内研修を見学していたときのことである。受講生と講師のために,私は教室の後方に準備されていたコーヒーポットから人数分のコーヒーをカップに注いで準備した。講義が終了したらすぐにコーヒーが飲めるように気遣ってのことである。すると,講師がやって来て,なぜこんなことをしたのかと私を叱責した。余計なことをするなというのである。私にとってこの経験は大きかった。以来,私は他人の飲み物を準備することをやめた。

 銭本隆行さんが私とそっくりの経験をしたことを書いている(『デンマーク流「幸せの国」のつくりかた』明石書店,2012年)。銭本さんは20年前にフランスで廃品回収のボランティアのサマーキャンプに参加し,若者たちと寝食を共にしていた。銭本さんは「いつも,水を全員のコップに注ぎ,取り皿を隣へ回したりするのを特に聞きもせずに自動的にやっていた」のである。「すると,それをみたエストニア人の19歳の少年がExcellent Serviceと皮肉っぽく笑った」。銭本さんは「日本人の美徳をすべて否定された気分になった。なんでそういわれたのかわからなかった。だが,後々よく考えてみれば,本人の意思も確認することなく,水を注いだり,取り皿を回したりした行為は明らかにヨーロッパでは行きすぎだった」(下線は筆者)と分析している。そして,「自分でほしいものは自分で意思表示して手に入れる。これこそが国際標準なのだ」と結論付けている。つまり,日本人が気を遣い過ぎるのは「相手はなにも言っていないけれど,いまこれを相手にしてあげておかなければ,あとで私の責任のように言われてしまう」からであると。

 日本の社会を不健全にしているのは,「相手を慮(おもんぱか)る」という大義名分を掲げた「他己決定」の慣習である。「大人を対象とするべき大学も,いまの学生は幼いからと,高校並みの学則が存在し,手とり足とり就職支援。高齢者は世を渡ってきた"つわもの"であるにもかかわらず,施設に入れば,喫煙も飲酒も健康に悪いからと禁じられる」と批判している。銭本さんの処方せんはこうである。日本人はもっと「自己決定」すべきであり,自己決定に能動的となることである。自己決定の裏には常に自己責任が伴う。しかし結果はすべて自分のものであり,そうした結果を予測して受け止めることで,後ろ向きに踏みとどまるのではなく前へ進む力になるのだ,と指摘する。

 そういえば,地下鉄のホームでは,電車がやって来る,白線の内側を歩け,扉が開いたら降りる人が全員降りてから乗れ,空いている入口から早く入れ,乗ったら入口に立たずに中に行け,などと誠にうるさい。あのお節介放送は日本特有のものではないだろうか。

 「明日からは,他人をもっと放っておいてあげてみてはいかがか。相手のためにも,そして世の中のためにも」と,銭本さんは勧めている。夜勤・交代制勤務で疲弊している看護師の働き方にもひとつのヒントとなろう。

つづく

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