医学界新聞

連載

2012.08.20

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第228回

オバマケア合憲判決の「想定外」(1)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2988号よりつづく

 オバマ政権が,国民の6人に1人が無保険という「無保険社会」解消をめざして医療保険制度改革法(通称「オバマケア」)を成立させたのは2010年3月のことだった。しかし,同法で国民すべてに医療保険加入義務を課した,いわゆる「インディビデュアル・マンデート」が定められたことに対し,フロリダ等26の州が原告となって「国民に民間商品の購入を義務付けるのは憲法違反」とする訴訟が起こされた後,連邦地裁・控訴裁レベルにおいて「合憲」「違憲」の判決がほぼ拮抗してきたことは以前にも述べた通りである(第295129532976号)。6月28日,米最高裁は「(大筋において)合憲」とする「想定外」の判決を下したのであるが,今回の判決がなぜ「想定外」であったのかをご理解いただくために,まず,これまでの経過を簡単に振り返ろう。

オバマの妥協案と保守派の猛反対

 オバマケアでインディビデュアル・マンデートが定められた理由は「逆選択(reverse selection)」を防止することにあった。同法では,保険会社に対し「既存症の存在を理由に保険加入を拒否してはならない」と定めていたが,もしインディビデュアル・マンデートを課していなかった場合,「病気になってから医療保険に加入する」行為が蔓延する危険があったのである。

 オバマにとって,公的保険を新設したり,既存の公的保険を拡大したりすることで無保険者を救済する方法も理論的には可能であった。しかし,民間保険業界が公的保険の新設・拡大に猛反対したこともあり,「民」を主体とした医療保険制度を維持しつつ同時に無保険社会を解消するための現実的方法としては,インディビデュアル・マンデートを採用する以外になかったのである()。

 しかも,インディビデュアル・マンデートを最初に提唱したのは保守派のシンクタンク,ヘリテージ・ファウンデーションだった。「病気になったときに備えて医療保険に加入する『自己責任』を強調し,公的制度による救済に頼る『ただ乗り』を防ぐ」ことを眼目とする,「本籍保守派」の政策であっただけに,オバマは「共和党・保守派の支持も得やすい」と期待したのである。

 しかし,オバマの期待とは裏腹に,共和党・保守派は「オバマケアは政府による医療乗っ取り」とするキャンペーンを猛展開した。90年代にクリントン政権が医療保険制度改革を試みたときもそうだったが,米国では,皆保険制実現が試みられるたびに,既に医療保険を有する国民の間に「これまで保険を持つことができなかった人々に医療保険を提供するからには,自分たちの負担が増えたり,今受けているサービスが減らされたりするのではないか?」とする不安が増大することが習わしとなっている。

 皆保険制実現を試みた政党・政治家にとっては支持率が下がる宿命が待つ一方で,反対政党・政治家にとっては医療保険制度改革に反対すればするほど選挙に勝つ確率が増大するのである。オバマケアの政策の根幹が「本籍保守」であったにもかかわらず,そして,無保険社会を解消するための有効な対案を持たなかったにもかかわらず,共和党・保守派は猛烈な反オバマケアキャンペーンを繰り広げることで,2010年11月の中間選挙に圧勝したのだった。

テレビ局の違憲判決速報

 さらに,共和党・保守派は,オバマケアを葬り去るための「法廷闘争」も展開した。共和党が知事の座を押さえるフロリダ等26の州が原告となって,「インディビデュアル・マンデートは憲法違反」とする訴訟を起こしたのである。「いかに健康によいからといって,政府は国民にブロッコリーを買えと強制することはできないし,同じ理屈で,医療保険購入を強制することもできない」とする論を展開,「インディビデュアル・マンデートは憲法が認める連邦政府の権限を逸脱している」と主張したのである。

 これに対して,ホワイトハウスは,「連邦政府には,複数の州にまたがって行われる経済活動を規制する権限が憲法の『通商条項』で認められている。医療保険というビジネスを規制するに当たって,インディビデュアル・マンデートを課すことは『通商条項』で認められた権限の範囲内」と反論した。連邦地裁・控訴裁レベルでの判断は合憲と違憲がほぼ拮抗,論争決着の場は最高裁に持ち越されることとなったのだった。

 6月28日の判決日,オバマは,ホワイトハウス内で,スタッフとともに,判決を伝えるニュース番組に見入った。最高裁内で判決文の朗読が始まってから数分後,CNNとFOX Newsの2局が「インディビデュアル・マンデートは違憲」とする速報を報じた。違憲判決が出た場合の声明文をあらかじめ用意するなど,敗訴となる可能性は覚悟していたとはいえ,この瞬間にオバマが受けたショックの大きさは想像に難くない。

 しかし,数分後,両テレビ局の「違憲判決速報」は誤報であることが判明した。「合憲」の判決を「違憲」と伝える大間違いが起こった事実に今回の合憲判決がいかに「想定外」であったかが象徴されているのだが,いったい,両テレビ局はなぜ,こんな大間違いをしでかすことになったのだろうか?

この項つづく

:民間保険業界にとって公的保険の新設・拡大が「マーケットの縮小」を意味したのとは反対に,インディビデュアル・マンデートは「マーケットの拡大」につながり,受け容れやすかった。

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