医学界新聞

連載

2010.11.22

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第71回〉
「看護学雑誌」第1巻1号の意気込み

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 先日,本学4年生の「看護政策論」の講義で,看護系雑誌の変遷を説明した。

 日本看護歴史学会編集の『日本の看護120年』(日本看護協会出版会,2008年)によると,わが国の看護系雑誌の最初は,看護婦人矯風会から刊行された「看護婦人矯風会雑誌」(1899-1903年)であった。また,1931年には雑誌「看護婦」(1931-1943年)が発刊された。この雑誌は,日本が国際看護婦協会(ICN)に加盟するためのひとつの条件であった機関誌発行を満たすためのものであり,戦後の日本看護協会機関誌「看護」につながるものである。

写真 「看護学雑誌」第1巻1号(聖路加看護大学図書館所蔵)
 第二次世界大戦後に刊行された最初の全国誌は,1946年10月に,GHQ(連合軍総司令部)の指導により日本医学雑誌株式会社(現・医学書院)が創刊した「看護学雑誌」であった。同年には,保良せき編集の「保健婦事業」が日本看護協会の前身である日本助産婦看護婦保健婦協会の保健婦部会から発行された。この雑誌は,1949年7月発刊の雑誌「看護」に統合された。さらに,1951年には「保健婦雑誌」,1952年には「助産婦雑誌」が発刊された。その後,「看護技術」(1955年),「看護教育」(1960年),「看護研究」(1968年)が刊行され,現在まで継続している。

新時代に適応する職業人として,看護が再出発するために

 1946年10月に発刊された「看護学雑誌」第1巻1号を,聖路加看護大学図書館司書の松本直子さんは,まるで宝物を扱うように運んでくれた。変色した紙面が65年の歴史を物語っている。紙が貴重だった当時をうかがわせる薄手の表紙をそっとめくると,「目次」がある()。続いて「創刊のことば」とともに,4人の女性の肖像が掲げられている。フローレンス・ナイチンゲール,リンダ・リチャード,アンニイ・W・グッドリチ,アドレイド・ナッティング。GHQ看護課長であったオルト少佐が尊敬し,巻頭の寄稿文で取り上げた教育者たちであった。

 「看護学雑誌」第1巻1号目次

創刊のことば
口絵 
オルト少佐
ナイチンゲール・リチャード・グッドリチ・ナッティング
看護界の指導者……グレエイス・E・オルト少佐……1
アメリカのナーシング……マリー・T・コリンズ……8
看護保健指導助産に関する職業及びその教育の刷新……平井雅恵……11
看護教育学科新課程要目……連合軍総司令部審議会……15
看護婦保健婦及び産婆の学校制度並びに免許制度の改善……連合軍総司令部審議会……19
保健師(仮称)国家試験受験資格としての補習教育に関する事項……連合軍総司令部審議会……21
表紙の説明……20
オル......

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