医学界新聞

連載

2008.12.01

名郷直樹の研修センター長日記

59R

死ぬことはよいことである

名郷直樹  地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院 臨床研修センター長


前回2804号

○月□×日

 人は死ぬ。当然のこと,わかりきったことではあるが,それでもなお,不思議なことだ。自分自身も必ず死ぬのである。それはひょっとしたら,1時間後かもしれないし,1日後かもしれない。あるいは10年後かもしれない。いつ死んだところで,何の不思議もないはずだ。しかし,そんなことをわざわざ考えなければ,明日もあさっても,とにかく生きているという前提で,今も生きている。不思議なことである。

 

 自分自身,へき地の診療所で,毎年何十人という人の死に接してきた。死に接するという言い方が適切かどうかわからない。看取る,という言い方ができるかもしれない。しかし,その多くの死は,看取るという積極的なかかわりがあったわけではない。看取ったのは家族である。妻に看取られながら,夫に看取られながら,息子に看取られながら,亡くなったのである。私はその場に居合わせただけ,そういう気がする。

 そこでの死は,日々の日常としてあり,別に不思議なものではない。もちろん病院での死しか経験せずに,卒後3年目で診療所に赴任した私にとって,その日常性こそが不思議であったわけだが,そうした不思議さはいつしか薄れ,そこでの私の仕事は,死亡確認をし,死亡診断書を書く,という医師としての日常業務のひとつに過ぎなくなった。

 しかし,死に対して今感じている不思議さは,そうした過去の死の経験とはまったく違うところにあるような気がする。自分自身が死ぬことについての不思議さである。あるいは,自分自身が死なないことの不思議さ,といったほうが正確かもしれない。さらには,自分が生きていることの不思議さ,ということかもしれない。生きていることが不思議,死ぬのは普通。生きているざま,その生きざまなんてのは,不思議というより,むしろひどいもんだ。生きざまの「ざま」は,「ざまーみろ」の「ざま」である。それからすれば,死ぬというのは,なかなかのことではないか。

 

 「死ぬことはよいことである」,無茶を承知でそう言ってみる。そうすると,なんだかそんな気がしてくる不思議さ。そう書いてみて,最近テレビで見た話を思い出す。

 

 ある小学校の授業で,かつて豚を育て,食べる,という授業が行わ

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