医学界新聞

連載

2008.11.03

名郷直樹の研修センター長日記

58R

患者の絶望を叶える2

名郷直樹  地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院 臨床研修センター長


前回2800号

▲月×○日

 今日も外来だった。相変わらず患者の希望ならぬ,絶望を叶えながら,検査の結果,何も異常はありませんでした,なんて説明を繰り返している。研修医のプレゼンも相変わらずだ。

 

「なんともないと思うのですが,患者の希望もあり,検査オーダーすることにしましたが,よろしいでしょうか」

 

「患者の希望と言うな! 絶望と言え!」

 

もうギャグにもならないやり取りである。

 実際に検査をしても,だいたいは何もない。まさにこれは医者が無能であることの証明だ。病歴と診察で十分な診断がつかず,除外もできず,無駄な検査をやってしまったわけだから。しかし,医者のほうもすっかりプライドをなくして,自分の病歴や診察こそ無駄と思うようになり,無駄な検査のほうが無駄でなくなって,自分の病歴と診察ではなんとも言えないから検査しましょう,そういうことになる。ということはどういうことか。検査だけでいいのである。検査だけで決着がつくのなら,別に医者なんか要らないということである。

 医師不足なんて言うけれど,不足していると思っているのは案外医者だけで,患者さんのほうは,医者自身ほど不足しているなんて思っていないかもしれない。患者にとって不足しているのは,医者ではなく,検査や薬だったりする。何てことだ。

 しかし,なんでもないはずの検査で,何かあったりすることもある。無症候性脳梗塞,変形脊椎症,高コレステロール血症,耐糖能障害,肝血管腫,胆嚢ポリープ,腎のう胞,胃ポリープ,脂肪肝,上室性期外収縮,究極はメタボリックシンドローム。こんなのは,全部なんともありませんでした,そう説明したい。実際,何もないと説明したりすることもある。だって,実際見たところ患者さんはなんともないんだから。といっても,なんともないというのは私から見てということであって,患者さん自身は心配がとまらなかったりする。そんなとき,「なんともありません」という患者さんにとってうれしいはずの説明をしても,そんなはずはない,という反論にあったりする。要するに全然信頼されていないのだ。

 そうなるくらいなら,無症候性脳梗塞があります,そう言ったほうがかえってうまくいく。ひどいもんだ。予防のためのアスピリンでも出しておきましょう。患者もありがとうございますと感謝してくれる。さらにうまくいく。アスピリンを飲んでいる場合は年に1回の内視鏡検査をやりましょう。そうすると今度は胃潰瘍の痕がありますから,ピロリ菌も調べて,陽性なら除菌して,また感謝される。胃潰瘍がありますから,アスピリンは止めて,少し高いですが,抗血小板薬に変更しておきましょう。それでまたまた感謝される。あるいは胃の検査をしていても,アスピリンによる胃潰瘍からの出血で入院,ということになることもあり,今度は瀕死のところを助けていただき,またまたありがとうございますと感謝されたりする。いい商売である。こういうのをマッチポンプというのだろう。自分で火をつけて,自分で消して,まさにその通り。さらにすごいのは,被害者も加害者も,両方が合意を得た上での共犯だということだ。

 いったい誰のための医療か。医者のためでもなければ,患者のためでもない。これは誰かが裏で手を引いて,利益を独り占めにしているに違いない。そう勘ぐりたくなる。病院経営か,製薬メーカーか,医療機器屋か,それとも健診業者か。しかし,それもまたマッチポンプの当事者であって,陰で糸を引くものではない。

 裏には,多分誰もいないのだ。もしいるとすれば,神の見えざる手か。ちょっと話が飛びすぎかもしれない。でもかまわずこのまま考えを進めてみる。社会の利益より,個人の利益を優先して行動することが,世の中をよくする。見えざる手はそのように世の中をよくする。これが社会的客観主義を作り上げる。アダムスミスの思想とはそういうものらしい。そうだとすれば,患者個人個人が,また医者自身が,さらにはメーカーが,それぞれの利益を追求していけば,世の中はよくなるはずだ。またアダムスミスはこうも言っているらしい。

 

「社会のためにやるのだと称して商売をしている連中が,社会の福祉を真に増進したというような話は,いまだかつて聞いたことがない」

 

 社会のためにやるなんてのは,それこそうそだ。むしろそれぞれが勝手にやることで,背後に大きな客観が立ち上がる。確かにそういう気もする。そうだとすれば,好きなように検査をやって,好きなように薬を飲めば,そこに社会的客観主義が立ち上がる。しかし,そこで立ち上げなければならないのは,客観ではなく,よりよい主観に他ならないのではないか,と一応は反論してみるものの,実際の社会では,すでに客観的によいものとして,検査,薬が,医療機関を通じて,山のように売られているのである。そこでは個人が見捨てられ,社会がどんどん発展していく。

 やはりアダムスミスは正しい。しかし,本当はこう言わなければならないのだ。

 

「個人のためにやるのだと称して物を買った連中が,個人の生活を真に増進したという話は,いまだかつて聞いたことがない」

次回につづく


本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。

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