医学界新聞

連載

2008.11.17

研究以前モンダイ

〔 その(20) 〕
建設的評価のための原理

西條剛央 (日本学術振興会研究員)

本連載をまとめ,大幅に追加編集を加えた書籍『研究以前のモンダイ 看護研究で迷わないための超入門講座』が,2009年10月,弊社より刊行されています。ぜひご覧ください。


前回よりつづく

評価のモンダイ

 皆さんは,自分の研究が理解してもらえず残念な思いをしたことはありませんか?

 技術的な問題であれば,今後改善していけばよいのですから,建設的な指摘と受け取ることが可能です。しかし,論文の「問題」部分で行う価値のある研究であることを論証し,意味ある結果を提示しているにもかかわらず,「そんな研究は研究ではない」といった形で全否定するたぐいのものは,批判というより非難に近く,見ていても気持ちのよいものではありませんよね。

 研究に限らず,相手の営みの意味を理解せずに行う批判は,関係を悪化させることはあっても,わかり合い,磨き合い,コラボレートするといった建設的な展開を生み出すことにはつながりません。例えば「事例研究のような主観的なものには意味がない」と言われれば,「数量的研究こそ個々の人間の顔がみえない冷たい研究だ」と言い返したくなるかもしれませんし,逆もまたしかりでしょう。

信念対立が起きやすい構造

 物理学のような単一的な規範(ルール)に基づく学問領域では,こうしたすれ違いはあまり起こりません。それは100メートル走のようなもので,単一のルール下で競えば基本的に問題はないためです。

 しかし,看護学や人間科学といった「学問のるつぼ」的性質を有する総合領域においては,さまざまな関心,認識論(世界観),科学観,方法論などが混在しているため,「評価を行うこと」それ自体が研究以前の根本的なモンダイとなってくるのです。

 そうした場合,特定の学範に基づく個別の評価基準,例えば「有意な結果」や「厚い記述」といったものはその内部で役立つことがあっても,汎用性のある評価軸にはなり得ません。そのため的外れな批判を繰り返し,お互いの営みそのものを否定する非建設的なやりとりになってしまうのです。こうして「質的研究vs量的研究」「理論vs実践」といったさまざまな信念対立が生じるわけです。

 さて,こうした個別の評価基準に基づいた批判が,例えば学会誌の査読といった閉鎖的な権威的場で猛威を振るったらどうなるでしょうか? 

 答えは簡単,新しいタイプの研究であればあるほど,その芽は摘まれていくことになるでしょう。その結果,斬新な視点を持つ研究者は学会から遠ざかり,その学会と学会誌の発展性も閉ざされることになります。これでは結局のところ誰も幸せになりません。

原理的な評価方法の欠如

 「つらい体験をした人なら,的外れな批判をして他人をむやみに傷つけることはないはずだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。もちろんそうした苦い経験をよい方向に活かせる人もいるでしょう。しかしながらその一方で,自分が的外れな批判をされてつらい思いをしてきたにもかかわらず,立場を異にする人に対してまったく同型の批判をしている人も後を絶たないのが現状でもあります。

 

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