医学界新聞

連載

2008.09.08

連載
臨床医学航海術

第32回

  医学生へのアドバイス(16)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 前回,文章には科学的文章と文学的文章の2種類があり,医療者はまず最初に科学的文章が書けなければならないこと,そして,その科学的文章を書く大前提として,話し言葉ではなく書き言葉および一般用語ではなく専門用語で記載することを述べた。今回は引き続き科学的文章の書き方を考える。

人間としての基礎的技能
(1)読解力-読む
(2)記述力-書く
(3)聴覚理解力-聞く
(4)言語発表力-話す,プレゼンテーション力
(5)論理的思考能力-考える
(6)英語力
(7)体力
(8)芸術的感性-感じる
(9)コンピュータ力
(10)生活力
(11)心

記述力-書く(6)

事実と意見
 科学的文章の書き方を考える前に,科学的文章の目的とはまず最初に「客観的事実」を伝達することであるということを再認識する必要がある。当たり前のことに聞こえるかもしれないが,これが非常に難しい。

 われわれは普通に事実を伝えていると思っていても,実はそこに感情なり意図が混じっていることが多々ある。

 「先生について,悪く言っている人がいましたよ……」
 「そうですか? 誰がどんなこと言っていたのですか?」
 「いやっ,忘れましたけど,誰かが何か悪いことを言っていた覚えがあります……」
 「誰がどんなことを言っているのかわからなければ,どうしようもないじゃないですか?」
 「そうかもしれませんが,先生に対して悪いうわさがあるようなので,お伝えしようと思っただけです……」

というようなことを筆者は言われたことがあった。この言説の意味はいったい何なのであろうか?

 この方は「誰かが何か悪いことを言っていた」という事実を善意で伝達しようと思ったのかもしれない。しかし,その事実は仮に事実であったとしても「誰かが何か悪いことを言っていた」というあいまいな事実である。そういうあいまいな事実をわざわざ伝達しにきたことになる。その目的はいったい何なのか? もちろんこの方は悪いうわさがあるから気をつけなさいという忠告を親切にしにきたとも考えられる。しかし,その一方「事実」を伝達すると見せかけて「感情」を伝達しにきたとも捉えられる。「私はおまえが嫌いだ。そして,そう思っているのは私一人だけではなく,この病院の大部分の人がそう思っているのだ!」という「感情」を読みとることもできる。

 確かに病院の大勢の人が私を嫌っていることは事実かもしれない。しかし,その事実を伝達しようと思ったら,それは「誰かが何か悪いことを言っていた」というあいまいな事実として伝達するのではなく,実際のアンケートなどの統計データという「事実」として提示すべきである。そして,そのアンケートは第三者によって行われた客観的な統計である必要がある。その統計の数字を見て初めて「事実」を納得することができる。そうしなければ「事実」と「中傷」を区別できないからである。

 注意しなければならないのは,「事実」を伝達するかのようにみせかけて「感情」を伝達する人がいることである。それを意識的に悪意で行っている人もいれば,無意識に行っている人もいる。もしも意図的に行っているとしたら,それはかなり巧妙な手法である。なぜならば,この方法では言葉自体からでは「中傷」しているのか「事実」を伝達しているのか判断できないからである。もしも「中傷している」と反論されれば,「単に事実を伝えただけです」と逃げることができるのである。この「事実」を伝達するかのようにみせかけて「感情」を伝達する巧妙な手法を用いれば,自分は相手から反撃されずに自分の感情を露呈するという欲望を安全に満足させることができるのである。

作文技術
 こういう巧妙な中傷方法は別として,筆者が「事実」と「意見」を峻別して文章を記載しなければならないことを知ったのは,古い本だが木下是雄著『理科系の作文技術』を読んだ大学1年生のときである。この本を読んで以来筆者は文章を書くときにはできるだけこの本に従って文章を記載するようにしている。『理科系の作文技術』というタイトルになっているが,その作文技術は単に理科系のみならず文科系にも有益な本である。この本を読まないでレポートや論文を書いている人はまずいないと思う。もしもそんな人が本当に存在したらモグリと言われても過言ではないかもしれない。この本の著者は物理学者であるので,理工系の学生にしか知られていないのかもしれないが,その内容の重要性から専門にかかわらずに大学1年生までに必読の書籍であると言える。ところが,研修医に聞くとこの本のタイトルさえも知らないと言うのである!またしても,「大学教育はいったいどうなっているんだー?」,「大学で何やってきたんだー!」と叫びたくなる。

 この『理科系の作文技術』によると,文章はできるだけ短く明快・簡潔に記載すべきであるという。また,解釈が読み手によって異なることがないように一意的解釈しかできない文章を書くように心掛けよということである。そして,明言を避けたがらずにできるだけはっきり言い切れと書いてある。つまり,この本で述べられている作文技術は,絵画に例えて言い換えると写真のように写実的な絵を描けということである。

 ここで,写真のような絵を描くならばわざわざ絵を描く必要などないではないか?,絵を描くのは写真と違う絵を描きたいからであるはずであると反論されるかもしれない。Renoir(ルノワール)の曖昧模糊とした絵やGeorges Seurat(ジョルジュ・スーラ)の時間が永久に静止したかのような静謐な印象を与える点描法の絵は,写真ではないから魅力があるのである。まったくその通りである。

 しかしここで,少しでも写真のようでない絵を描くというのは,もうその段階で文学的表現をすることにほかならないはずである。そう考えると,科学的文章を書くとは写真のように観察者として事実を文章に客観的に記録することであると言える。実際に科学的文章を書く技術の詳細は,いまだに読んでいない人はぜひ『理科系の作文技術』を読んで学んでほしい。作文技術など現場ではいちいち確認していられない。本音では,「こんな本も読んでないやつは帰れ!」と言いたいところだ。しかし,そんなこと言ったら研修医は全員蜘蛛の子を散らしたようにいなくなってしまう……。

次回につづく

参考文献
木下是雄著:理科系の作文技術(中公新書,1981)