医学界新聞

連載

2008.07.07



連載
臨床医学航海術

第30回

  医学生へのアドバイス(14)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 前回までに文字・単語・慣用句そしてことわざを正確に理解して書くのは難しいことがわかった。それならば,文章を書くことはもっともっと難しいはずである。

人間としての基礎的技能
(1)読解力-読む
(2)記述力-書く
(3)聴覚理解力-聞く
(4)言語発表力-話す,プレゼンテーション力
(5)論理的思考能力-考える
(6)英語力
(7)体力
(8)芸術的感性-感じる
(9)コンピュータ力
(10)生活力
(11)心

記述力-書く(4)

作文
 小学校の頃「作文」の授業というものがあった。国語の授業の一つで,1時間に与えられたテーマか,あるいは,自分で選んだテーマについて,400字詰め原稿用紙2枚くらいの作文を書くというものである。

 「起承転結」などの作文の書き方は教えてもらっていたが,何をどう書いてよいのかわからなかった筆者は,作文の時間中ずーっとぼーっとしていた。そして,残り時間10分くらいになって,やっと適当に思いついたことを一気にその場しのぎで書いていたような記憶がある。

 しかし,クラスの中にはテーマを与えられたと同時にいきなり書き始める人もいた。

 「そんなにいきなり書くことがあるのだろうか……?」

 また,400字詰め原稿用紙2枚で足りない人は,原稿用紙を追加して書いてもよいことになっていた。すると,クラス・メートの中にはよほど書くことがあるのか原稿用紙を何枚も先生のところに取りにいく者もいた。

 作文の授業が大嫌いであった筆者は,あるときなぜ国語の授業の中に作文の授業がわざわざあるのか,そして,どうして自分は作文が苦手なのかを考えてみたことがあった。

 まず最初に「作文」の授業の目的はいったい何なのであろうか? 「国語」の授業はそのほとんどが「読む」ことの勉強である。「国語」は読むだけではなく,「書く」ものでもあるため,やはり「国語」の授業には「書く」ことすなわち「作文」が必要なはずである。それならば,「作文」すなわち「文章を書く」ことによって人は何を学ぶことができるのであろうか? これは,2つ目の疑問の自分はどうして「作文」が苦手なのであろうかという問いとも関係する。

 文章を書くためには「書くもの」がなければならない。すなわち,「書くもの」とは「自分の考え」である。ということは,文章を書くためには,まず最初に何かについて考えなければならないのである。筆者が「作文」が苦手であった第一の理由は,まず最初に与えられた課題について考えたこともないし,日ごろから何かについて考えているテーマもなかったからである。次に,何かについて考えていたりしてもそのままでは文章は書けない。文章を書く前に,考えを整理しなければならないのである。そして,最後に整理した自分の考えを文章に書くということになる。つまり,この一連の過程を他の言葉で言い換えると,「作文」の授業では「作文」という成果をつくるために,「問題提起・問題発見」→「原因分析」→「問題解決」→「思考過程の整理」→「文章化」という過程をたどらなければならないということである。こう考えてみて,「作文」では実際にあらかじめ整理されている考えを文章化するのでさえ困難であるのに,自分はそのもっともっと根本のところでつまずいていたことがわかったのである。

 つまり,「国語」で「作文」の授業を行う目的は,第一には思考を促すこと,第二には思考を整理することで,第三には自分の思考を文章という形態で表現することであると言える。しかし,これらの目的の第一と第二の思考を促すことと思考を整理することは,何も文章を書かなくても,自分で考えたり人と議論することによっても達成可能である。ということは,「作文」の授業でしか到達しえない目標というのは,やはり第三の自分の思考を文章という形態で表現することであるということに他ならない。したがって,小学校の「作文」の授業の主たる目的は,この第三の目的つまりは表現法なのであると考えられる。

 それでは,いったいよい作文とはどのようなものなのであろうか? 「作文」とは確かに表現物であるので,表現法が優れている作文であることが重要である。しかし,いくら表現法が優れていても伝えている内容の質が低いのでは仕方がない。つまり,表現法がいくら優れていても「内容がないよう」では困るのである。したがって,よい作文とは質の高い内容と優れた表現法の両方が兼ね備わっている文章であるということになる。

 そしてもう一つ文章化によって得られることは,「知識の固定」である。曲がりなりにも「作文」をしたということは,前述の「問題提起・問題発見」→「原因分析」→「問題解決」→「思考過程の整理」→「文章化」という過程をたどったということである。これだけの過程をたどって得た知識なのであるから,話し言葉よりもより強固に自分に知識が固定されるはずである。しかも,作文という成果は話し言葉と違って文書という形で保存できるものなので,忘れたらもう一度その文書を読めばその思考過程と知識がすぐに蘇るという利点もある。

 新医師臨床研修制度では,研修医は2年間の臨床研修の間にいくつかの決められた課題についてレポートを提出することが義務づけられている。この目的は,小学校の「作文」の授業の目的と同じように,与えられた課題に対して,思考し,思考内容を整理し,それを文章に表現して,記憶を固定することにあるのであろう。ところが,その崇高な意図を理解しているのかいないのか,研修医の「胸痛」のレポートの中には「胸痛の患者を診たら心筋梗塞を考えることが大切だ。」などと一文しか考察していないものがあるのは誠に残念だ……。

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