医学界新聞

連載

2008.06.09



連載
臨床医学航海術

第29回

  医学生へのアドバイス(13)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 前回までに,文字や漢字の読み書き,単語の意味などについて述べた。今回は「記述力 書く」の続きで,慣用句やことわざを書くことについて考えてみたい。

人間としての基礎的技能
(1)読解力-読む
(2)記述力-書く
(3)聴覚理解力-聞く
(4)言語発表力-話す,プレゼンテーション力
(5)論理的思考能力-考える
(6)英語力
(7)体力
(8)芸術的感性-感じる
(9)コンピュータ力
(10)生活力
(11)心

記述力-書く(3)

慣用句
 慣用句の意味を正確に把握し使用するのは難しい。以下に示す慣用句をどれくらい正確に把握しているであろうか?

げきを飛ばす  (正) 自分の主張や考えを,広く人に知らせて同意を求めること。
(誤) 元気のない者に刺激を与えて活気づけること。
流れにさおさす (正) 傾向に乗って勢いを増す
(誤) 傾向に逆らう
気が置けない (正) 遠慮がいらない
(誤) 遠慮がいる
ぞっとしない (正) おもしろくない
(誤) 恐ろしくない

 「げきを飛ばす」「気が置けない」「ぞっとしない」は誤用のほうが正しいかのように聞こえる。

 「流れにさおさす」は,もともと川にさおをさして進む舟の様子から来ている言葉なのかもしれないが,この様子は川にさおさして進む舟に乗ったことがあるかそれを見たことがなければ想像しようがない。そして,こういう舟に乗ったことがなければ,流れにさおさして流れに逆らって舟は上流に進むことができないはずであるということは理解できないのかもしれない。実際に筆者もこういう流れにさおさして川くだりをしたことは,九州の柳川で2回だけしかない。ここで,この「流れにさおさす」という表現を聞いて思い出すのが,夏目漱石の『草枕』の有名な冒頭の文章である。

 

 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい」。

 

 この「情に棹させば流される」という表現は,舟で川に棹をさして進むのではなく単に川の流れに棹をさしてそれが流されるのをイメージしている表現だと考えられる。「流れにさおさす」という慣用句が誤用されるのは,この夏目漱石の『草枕』の文章が多分に影響しているように思える。

 次に,以下に示す慣用句をどれくらい正確に使用しているであろうか?

(正) 下への大騒上下への大騒ぎ (誤) 下への大騒ぎ:混乱している様子
(正) 熱にうかされる (誤) 熱にうなされる:夢中になる
(正) そうは問屋がさない (誤) そうは問屋がさない:ものごとが簡単にいかない様子

 「上下への大騒ぎ」というと,天地が逆さまになって大騒ぎしている感じがするが,「上下への大騒ぎ」というと,人が1階と2階を行ったりきたりして大騒ぎしている感じにも聞こえる。「熱にうかされて感染症の本を読んでいる」と聞けば,「そんなに感染症に熱中しているのか?」と思うが,「熱にうなされて感染症の本を読んでいる」と聞くと,さすがに「感染症」や「熱中症」などを疑って急いで病院に連れていかなければならないと感じる。誤用の「そうは問屋が許さない」でも十分意味は通じる。なぜならば,問屋が許さなければ問屋は卸すこともできないからである。最近の世論調査では,これらの慣用句は「そうは問屋が卸さない」以外はすべて誤用で使用している人が多いそうである。

ことわざ
 ことわざの意味もわかっているようでわかっていないことがある。

 論語の言葉の「過ぎたるは猶(ナオ)及ばざるが如し」の正しい意味は,「物事をやりすぎることはやり足りないことと同じようによくない」という意味である。これを「過ぎ去ってしまったことはどうしようもない」という意味で誤って使用しているのを見かけることがある。「情けは人のためならず」は,正しくは「人に親切にすれば,めぐりめぐって自分に返ってくる」という意味。「人に情けをかけて甘やかすのは,最終的にその人のためによくない」という意味ではない。言い換えると,「情けは人のためならず我のためなり」ということらしい。「馬子(マゴ)にも衣装」は,つまらないものでも衣装を着飾ると立派にみえるたとえ。「にも衣装」ではない! したがって,「マゴにも衣装」と言われて孫が衣装をもらったら,感謝するのではなく憤慨しなければならないことになる。

 これだけ,日本語は文字・単語・慣用句そしてことわざが難しい。それならばどうやって正確に日本語を使用できるようにすればよいのであろうか? 働きながら日本語の勉強などできないし,漢字検定など勉強して受験する時間などもっとない。

 そうだ! 間違いやすい用語や難しい表現を実際に使用すればいいのだ。ということは,この連載でも間違いやすい用語や難しい表現をもっと使用しよう! それもできるだけ今の若者(ワカモノ,バカモノではない)が知りもしないような表現で記述すればよいのだ! しめしめ,そうすれば若者に対して教養をひけらかすこともできる。一石二鳥(イッセキニチョウ)だ。そうするためには誰も知らない奇を衒った(キヲテラッタ:普通と違うことで人の注意を引こうとすること)表現を使うのがいちばんいい。

 若者の漢字や言葉の間違いもいちいちそのたびごとにチクチクと突っ込んで直してやるとしよう。研修医のプレゼンテーションでも語句の間違いがあればそのたびごとに注意し,カルテの誤字・脱字もすべてチェックするか……。

 ふっ,ふっ,ふっ……。

 そう考え出して一人でニヤニヤしだした自分は,ふと我に返って思った。

 「こうして陰険な老人はつくられていくものなのか……」と。

次回につづく

参考文献
1)西日本新聞「げきを飛ばす 姑息 ぶぜん 7割誤解-日本語世論調査」2004年7月30日
2)西日本新聞「慣用句 広まる誤用」2007年9月8日

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