医学界新聞


医療者間の他者性を問い直す

対談・座談会

2008.02.25



【クロストーク】

医療者間の他者性を問い直す
看護師と医師のあいだで

山内 豊明氏(名古屋大学医学部教授・基礎看護学)
平林 大輔氏(東京北社会保険病院 初期研修医)

 月刊『看護管理』誌上で平林大輔氏による連載「医者ときどき看護師」がスタートした。初期研修医である平林氏は,看護師としての臨床経験を持つ。本紙では,同じくダブルライセンスを持つ山内豊明氏との対談を企画した。チーム医療がいわれて久しいが,看護と医学のあいだに二項対立的な意識は潜在していないだろうか。医療者がもっとわかり合うために教育や臨床の現場で求められる視点について,お二方にお話しいただいた。


山内 平林先生は看護の臨床を経て,志を新たに医学部を卒業され,現在は初期研修医になられています。この間のいきさつを教えていただけますか。

平林 大学へ進学するときには研究職をめざそうと思っていました。理学系の学部に入ってみると,研究はたしかに面白いのですが,もう少し人とかかわるような職業に就きたいと考えるようになりました。それで,大学に籍を置いたまま医学部の受験をしたのですが,うまくいかずに,改めて考えた結果,同じ領域である看護学科に進んで看護師をめざしました。臨床で看護業務に携わるなか,疾患について深く勉強したいという思いが強まり,ちょうど学士編入学の制度が始まったこともあって再度医学部をめざしました。

山内 人間は身体だけでもないし,心だけでもなく,さまざまなものが融合された存在ですが,その人を知るというベーシックな部分で,看護での学びに加えてもうひとつ,疾患からのアプローチという力強さがほしかったということでしょうか。

 看護を学んだあと,医学部での学びからどのようなことを感じましたか。

平林 看護の基礎教育では,療養上の世話や退院してからの生活などを教わり,患者さんを周りから包み込んでいくような温かさ,全人的なケアという視点が通奏低音として流れていました。

 しかし,病態生理や疾患構造の教育に関しては,ロジカルな部分が不足していたような気がします。たとえば「こういう状態のときには,このようなケアをすればいい」というように,起点と終点は教わるのですが,そのあいだのプロセスはあまり教わらなかったように思います。

 医療行為という一連の流れのなかで,ある時点に自分が提供した医療の意味,順序性がわからないことがストレスに感じられ,消化不良な感覚が自分のなかに積もっていったように思います。それを補完してくれたのが,医学部での教育でした。

看護を裏切る?

山内 自分がものを見る場所を複数もつことによって,もとの場所からは何も見えなかったのに,違う場所から見えてくることがありますね。平林先生は「あちらから見たら,違うものが見えそうだ」ということで医学部に再入学されたのだと思います。先生に見えてきたものを教えていただけることは,医療者がものの見方に厚みをもつことができるチャンスだと思います。

 その一方で先生が看護職を辞められたとき,「なぜ看護を裏切って,医者になるの?」といわれたそうですね。これは非常にショッキングな言葉です。「裏切る」という言葉は,決して上下関係を表しているのではないと思いますが,「自分の価値観を否定された」とか,対極する価値観があって「あなたは,どっちを選ぶの?」というニュアンスを感じてしまいます。

 私が医学生だったときには,「看護師と比べて」というコンテクストは聞かなかったように思いますが,米国で看護学生として学んでいたときも,臨床で看護を行っていたときも,「こちらの考え方」「むこうの考え方」というように看護には,どうしても医師の業務と比べながら教育していく部分があることを感じていました。

 それはやはり病院というシステム上,法律的に「医師の指示の下で」という文言が存在することで,監督する人・される人という,対峙するようなあるいは上下のような関係性が医療者のなかに刷り込まれてしまっているということなのでしょうか。

平林 医学と看護が対立するものという考えをもっている看護師もいて,そういう人にとっては,看護師が医師になることは,自分たちの側を裏切って相手の側に行ってしまうことになるのかもしれないと感じました。

山内 野球にたとえると,内野手がお互いの守備範囲に集中するために「ここで分けましょう」とぴったりと線引きをすると,ちょうどその境界線上にボールが来ると外野まで抜けていってしまうかもしれない。そうではなくて,両方が走ってきて,実際にはどちらかが球を取るのだけれども,実はもう1人横で構えている。

 お互いに境界領域をカバーしようという考えが共有されていて,内野がしっかりしていると,外野は内野ゴロが出たときに「どうしよう」とうろたえなくてもよいと思うのです。その共通理解がないと,医療現場はとてもあやうい状態になってしまいます。

平林 同じようなことを私はよくサッカーにたとえます。深いコミュニケーションをとって,相手がどういう人なのか,どういう能力をもっていて,どこまで信頼できるのかということを知っておくことは,非常に大切なことだと思います。詳しくは『看護管理』2月号を読んでください(笑)。

 それと,医師の側に立って感じたことですが,信頼して自分の患者さんを任せるには,やはり看護師にもたくさん勉強してほしいし,知識・技術を磨いてほしいと思うのです。勉強していない医師に患者さんのことを任せられないのと同じことだと思います。

 山内先生は看護師に向けて『フィジカルアセスメント ガイドブック』を書かれましたが,医師の立場からは,看護師にもフィジカルアセスメントの技能をしっかりと身につけていてほしいと思います。基礎教育では,技術や知識に関する突っ込んだ教育が不足していたように思います。でも臨床に出てからも学ぶことはできますから,「これは医師の仕事だから,看護師は知らなくてもいい」と思わずに勉強すれば,その場その場で患者さんに対して行っている治療の意味や理由がわかり,そのチームの水準は向上していくと思います。

山内 患者さんの状態が変化したとしても,知識としてもっていないことであれば,その変化に気づくことはできません。見ているうちにわかるのではなく,自分のなかにレファレンスとしての正しい知識がないとわからない。知らないことは気がつけないということですね。きちんとレファレンスを習得するという道は一度通らなければならないのです。数をこなすことで体得できることと,そうでないことがあるのですから。

平林 逆に医師も,自分は疾患とその治療法だけわかっていればいい,あとは指示を出せばよい,と考えるのではなくて,踏み込んで手伝ってみると,オーダーの出し方ひとつとってもそれまで気づかなかったことが見えてくると思います。実際に私も病棟に出て,そういうことを何度も経験しています。

山内 その瞬間のプライオリティを適切に判断するためには,行おうとしている医療行為が全体の流れのなかで何を意味しているかを知らないと,本当にプライオリティなのか,自分のえり好みなのか,自分の得意・不得意なのかがグレーになってしまう。判断の根拠が説明できて,状況を伝えられれば,相手も納得してくれると思うのですよね。

 ですから,きちんと説明すること,理解するために十分な知識をもつことはスタートラインですよね。また,平均値的な発想ではなく,患者さんのために医療はすべて一回性であるという立場で提供しなければなりません。一医療者にとっては100年に1回のミスだとしても,1000人の組織ならば1年に10回起こり得るということです。そのようなことは許されないはずで,命を守るためには最低ラインは何が何でも割らないという覚悟も必要ですね。

知らなければ,見えない

山内 コミュニケーションのなかから得られた臨床での学びを通じて,医療を育てる,という視点はとても大事だと思います。車の運転をどんなに教習所でやっても,一度,路上に出てみなければわからないことがあるように,現場に出ることで学べるものがあると思うのです。この点については,看護・医学の教育に携わる人の横の連携と,キャリアパスとしてどうヴァーティカルにつなげていくかという課題も残されています。

 平林先生は,研修医になられてから,他職種と一緒に研修をした経験はありますか。

平林 残念ながら,数えるほどです。看護体験として看護師について病棟を回ったり,救急体験として消防署で救急隊について回ったりということはしていますが,多職種チームとして研修することはあまりありませんでした。

山内 どうしても,それぞれの専門性ということが先に立ちますが,その前に,医療者としての普遍性があるように思います。それを育てずに,専門性の部分ばかりを教育しても,根っこがつながらない。たとえば入職時に,一緒に学ぶ機会はたくさんあるのではないでしょうか。そういうことを,お互いにもっと提案しあってもよいのですよね。

平林 そうですね。最良のトレーニングは相手のポジションを1回経験してみることだと思いますが,現実問題としてそれはむずかしいと思います。次善の策としては,一緒に研修を受ける,トレーニングを積むなど,共有する時間を増やして,相手が何を考えているかを知ることが重要だと思います。

 そうすれば,何をどう考えているのかとか,これから何がしたいのかということがわかってきて,相手のサポートも自然とできるようになると思います。オーダーを出すにしても「夕方のこの時間は,看護師は引き継ぎの時間だから困るだろう」と理解できれば,その時間には出さないと思うのです。

職種を超えた普遍性 医療者が,お互いを育て合う

山内 看護師,医師を育てるということではなくて,「その役割をもって医療をする人」を育てるという視点で考えたら,業務がオーバーラップする境界領域から逃げないで,一歩踏み込んでお互いが果たすべき役割について真剣に考えることも大切ですね。

 このとき,どこまで踏み込んでいくかは難しいところです。それぞれのプロフェッショナルが相手の専門領域について完全に学び合うことはできないわけですから,どこまで業務をオーバーラップさせるかということは,個人の技量やセンス,お互いのあうんの呼吸に負うところが大きいのかもしれません。そのずれが大きいと,チームとして片思い的になってしまう(笑)。また構成人数の多い集団は個々の技術にばらつきがあることも否めませんから,そういう意味でもむずかしいところです。

平林 もうひとつ,看護師の立場からは,解剖実習をやりたかったということがあります。医学部では自分の手を使ってご遺体の解剖をしますけれども,看護ではせいぜい見学です。

 解剖実習は,最近は2年次など早い時期に行う大学も多いので,そこに看護学生が参加できれば,将来役に立つ知識を手に入れることができ,連帯感も生まれてくると思います。お互いが何を考えて医学部に入ったのか,なぜ看護をめざそうとしたのかというところから話せると思うのです。

 いざ臨床現場での仕事が始まってしまうと,なかなか本来業務以外の時間を割くことが難しくなってきますから,比較的時間のある学生時代に一緒に学ぶ機会があるといいのかなと思います。

山内 ディスカッションして,どこかに収斂しなくても,「この人はこんなふうに考えているんだ」と,お互いにわかる。わかったうえで医療をどうよくしていきますかと考えていくのが次のステップです。論点は何かを明らかにするためにも,まずはお互いに知らないといけないと思いますよね。共通の目的は,私たちに依頼をしてくれている患者さんに対して,ベストを尽くしてお返しするということですし,そのベクトルの向きは,誰も違わないと思います。

平林 お互いがわかり合う努力をすることから,コミュニケーションの深度をもう一歩進めて,医療者同士がお互いに教え合うということも大事にしたいと思います。たとえば,ICUではレスピレータの操作方法など多くのことを看護師からも教わりました。

 逆に,看護師のころに医師に聞いてみたいと思っていた疾患や治療に関する疑問など,医師から看護師に教えられることもあると思います。そうすることで,患者さんを受け入れるための基盤がより強固なものになっていくと考えています。

山内 この人は自分の専門領域の業務に関して的確な説明ができるひと,という評価をもらうことも大事ですね。相手のものの見方がわかっているからこそ,「だから,あの人はこう見ている」と思いはかることができる――これが本日の対談の大きなテーマだったと思います。決して二項対立にする必要はないのですから。

 また,臨床に出てからの教育システムや互いに学び,教え合える組織のフィロソフィーをつくることは,トップマネジメントの役割です。管理者には,チームに必要なものを考えて,組み立てていくことが求められます。

 私も医師,看護師両方の視点から医療現場を見てきました。医療者として20年の経験を経たからいえることもありますが,医師,看護師の資格を得た当時に抱いていた新鮮な感覚や問題意識は,覚えているようで見えなくなってしまった部分もあると思います。

 『看護管理』の連載「医者ときどき看護師」で先生が発信される声に,読者からどのようなこだまが返ってくるのか,楽しみにしています。

(了)


山内豊明氏
1985年新潟大医学部医学科卒,91年同大学院博士課程修了。93-95年カリフォルニア大医学部神経科学部門勤務を経て,「暮らしている人をみる」看護の視点を学ぶべきとの思いから,ニューヨーク州ペース大看護学部へ(96年卒),97年同大学院修士課程修了。98年オハイオ州ケース・ウエスタン・リザーヴ大大学院博士課程修了,2002年より現職。『フィジカルアセスメントガイドブック-目と手と耳でここまでわかる』(医学書院)など著書多数。

平林大輔氏
2001年東大医学部健康科学・看護学科卒。看護師,保健師。卒後,市中病院で臨床を経験したのち,2002年群馬大医学部に学士編入学。在学中,看護と医学の教育の違いを肌で実感する。07年より現職。座右の銘は「学而不思則罔,思而不学則殆」。戒めの言葉は「知らなければ,見えない」。体力,記憶力の低下を痛感しつつも,日々奮闘中。『看護管理』誌(医学書院)で「医者ときどき看護師」の連載を開始(本年1月号より)。

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