『今日の治療指針』と日本の医療(多賀須幸男,尾形悦郎,山口徹,北原光夫,福井次矢)
歴代総編集者が語る Medical Milestones
対談・座談会
2008.01.07
【新春座談会】歴代総編集者が語る Medical Milestones『今日の治療指針』と日本の医療 | |
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山口 1959年に,石山俊次先生,日野原重明先生,渡辺良孝先生の総編集で出版が開始された『今日の治療指針』(以下,『治療指針』)は今年,第50巻が発行され,記念すべき節目を迎えました。『治療指針』は医学書院の代表的な刊行物であり,多くの先生方に編集や執筆にご協力いただいて,今日を迎えたものと思います。偶然ですが,私が勤務する虎の門病院も今年,創立50周年を迎えまして,ご縁があると感じています。
本日は,現在までの総編集の先生方にお集まりいただき,編集でご苦労された点やエピソード,また,今後に向けて新しい『治療指針』のあり方などについてお伺いしてまいります。
創刊時の3名の総編集者(歴代の総編集者はこちらに掲載)のうち,日野原先生は30年近く携わられましたが,多賀須先生は,その時期に編集に迎えられたのですね。
多賀須 私は消化器部門の編集に次いで,1989年版から2001年版までの13年間,総編集を担当しました。医学書院の消化器領域の書籍編集をしておりまして,やりませんかと声をかけられたのがきっかけですが,こんなに長く携わるとは思いませんでした。日野原先生とは直接お話しする機会は,あまりございませんでしたが,陰で見ていらっしゃると思うと,ちょっと緊張しましたね(笑)。
山口 尾形先生も,89年版から総編集者にご就任されました。
尾形 私が就任したというよりも,頼まれて入った,でしょう? 頼まれたというよりも,命令されて(笑)。
山口 日野原先生たちから,ということでしょうか。
尾形 その黒幕はどなたか存じませんが,とにかくお声がけいただき,多賀須先生と亡くなられた稲垣義明先生と総編集者に加わりました。
山口 私は尾形先生からバトンを引き継ぎまして,北原先生とご一緒に2001年版から総編集に参加させていただいています。その前に北原先生と内科総合誌『medicina』の編集を担当しておりました関係で,尾形先生から「来い!」と言われまして,総編集者になったような感じです(笑)。
福井 私は項目の執筆を何度か担当させていただいた後,付録の「診療ガイドライン」に編集者として関わり,06年版から総編集に加わらせていただきました。研修医時代から臨床医として駆け出しの頃にかけて,日野原先生が編集されていることもあり,特別な思いをもって読ませていただきました。診療科をローテーションするときなど,使いやすい本だと感じていました。
北原 米国では『治療指針』発刊のちょうど10年前,1949年に“Current Therapy”の初版が発行されています。日野原先生はご留学中に“Current Therapy”をご覧になり,この日本版といえる書籍の発行を医学書院にご提案されたのが,『治療指針』発刊のきっかけだそうですね。私も米国におりました当時,“Current Therapy”を見ていました。『治療指針』とは少しスタイルが違いますが,どちらも毎年アップデートされ,長い歴史があります。
日野原先生の先見の明であり,また,そのエッセンスを活かしながら日本の医療現場の実情を考慮して『治療指針』を創刊されたことが,50年もの長きにわたる発行に結びついた理由ではないかと思います。
この50年のメディカル・マイルストーンズ
山口 去年,日本循環器学会は70周年を迎えました。日野原先生は過去1回を除き,毎回ご出席されているということでした。また『治療指針』初版の循環器の章を読んでみたところ,日野原先生が,うっ血性心不全についてお書きになっており,感動しました。ご専門が循環器ということは存じ上げていましたが,日本の医学の進歩や多くの先達が歩んできた道程を感じた瞬間でした。
ではこの50年で日本の内科診療はどのように進歩したのでしょうか。先生方それぞれのご専門領域におけるエポックメーキングであった治療法などについてお伺いし,来歴を振り返ってまいりましょう。まず,多賀須先生,消化器領域では,どのようなものがございますか。
◆消化器領域のマイルストーン
多賀須 B型肝炎,C型肝炎のウイルス発見,そしてヘリコバクターピロリの除去で胃潰瘍が完治するようになったことが,非常に大きなトピックスですね。様変わりしてしまいましたから。また,この領域では診断機器の進歩に伴い,治療方法が大きく変遷したということが挙げられます。内視鏡の進歩により,開腹手術が必要だった胆石や消化管癌などが,開腹せずに治療が可能となりました。
山口 内視鏡は,私が研修医の頃はまだブラインドで,「直達鏡」と呼ばれていました。お腹のライトの光り具合で,うまく撮れた,撮れなかったと,言っていたように記憶しています(笑)。
北原 おまけに,すごく太かったでしょう。
多賀須 当時,内視鏡は“のぞき屋”と言われて,あまり学問的と言われなかった(笑)。
◆循環器領域のマイルストーン
山口 循環器領域で内視鏡と並ぶ進歩としては,カテーテル検査が大きかったと思っています。内視鏡も,カテーテルも,ひと昔前はあくまでも検査法に過ぎず,その結果を踏まえて外科にお願いしていました。それがいつの間にか,診断機器から治療機器になりました。
そういった意味では,内視鏡とカテーテルが内科領域のエポックメーキングの双璧ではないでしょうか。長年,診断技術として培ってきたものが,いま,治療の手段として花開いている。内視鏡とカテーテルは,同じような歩みをしてきたのかなと思います。
循環器でもうひとつ,画像診断を中心に大きな変革がありました。私が卒業した頃は,レントゲンと聴診器と心電図くらいしかありませんでした。カテーテルもありましたが,研究的な意味で圧を測定する程度でした。
ですから卒後すぐの研究は,皆が心電図に集中していて,心電図の大家イコール循環器の大家とされ,「心電図1枚ですべてがわかる」という話が……(笑)。こんないんちきな話はないと感じ,「循環器だけはやるまい」と思っていましたが,最終的に循環器をやることになってしまいました(笑)。
そして超音波画像が現れたときには「初めて心臓の中が見えた! 中で動いているのが見えた!」という画期的な驚きがありました。その後,現在のCT,MRIから血管造影に至るまで,画像診断の進歩が循環器の病態理解につながり,そしてカテーテルのようにそれが治療にも結びついてきたことを振り返りますと,めまぐるしい変革の時代に自分はいたのだなと感じますね。
では,尾形先生,内分泌・代謝領域ではいかがでしょうか。
◆内分泌・代謝領域のマイルストーン
尾形 私が医者になった当時は,ちょうどホルモンが測定できるようになった時期でした。まだ検査会社などなかったから,皆,自分で測定したわけですよ。その後,1977年にヤーロウがノーベル賞を取ったラジオイムノアッセイという方法が普及し,ホルモンが正確に測定できるようになって,その他の技術も進みました。
日本のサイエンスの勝利だと思いますが,心臓ホルモンやBNP(Brain Natriuretic Peptide;脳性ナトリウム利尿ペプチド)などが続々と発見されました。宮崎医大の先生方が,さまざまな新しいペプタイドホルモンを発見し,最近では寒川賢治先生が成長ホルモン分泌促進ペプチドのグレリンを見つけている。心臓ホルモンは,薬にもなり,診断薬にもなり,臨床の現場にどんどん入ってきました。
代謝では,昔は疾患として捉えていなかった病態を,現在は疾患として捉えられるようになっています。骨粗鬆症は,かつては「年を取れば,皆,腰は曲がるものだ」と思われていたのが,生活レベルの向上に伴い,病気ではないかと考えられるようになり,病態を研究し,治療方法の検討がなされた。そして,たちまちよい治療法ができました。そういう意味で,骨粗鬆症は,公衆衛生学的な面から診断,病態研究,治療法まで,すべて一括して進歩した疾患だと思います。その流れにうまく乗って,骨代謝の研究全体が大きく前進しました。
一方,メタボリックシンドローム。これは,近頃やかましいわりには,「だから何だ」というのが出ていないような気がします。石を投げればメタボリックシンドロームだよね,いまは(笑)。
山口 北原先生,感染症ではいかがでしょうか。
◆感染症領域のマイルストーン
北原 多賀須先生が,肝炎とピロリ菌のことをおっしゃいましたが,感染症が人間社会にとって大きな問題であることは,現在も変わりはありません。『治療指針』が創刊された頃には,ちょうどテトラサイクリンとペニシリンが使われていました。
それから抗菌薬が進歩・普及し,市中感染は比較的うまくコントロールされるようになりましたが,今度は院内感染,耐性菌の問題が出てきました。1800年代半ばにゼンメルワイスが,産褥熱と院内感染の因果関係について発表しましたが,その論文は当時,危険視こそされ,まったく顧みられることはありませんでした。1950年代になってようやく,院内感染は重大な問題であることが見直されて,今日に至っています。
もうひとつの大きなトピックスとしては,HIV感染症に代表される新興感染症が発見されたことです。また,交通手段の発達に伴い,さまざまな地域から病気が持ち込まれるようにもなりました。最近ですと,ニューヨークで流行した西ナイル熱がありますが,このあたりは非常に意味深いところです。
そして免疫機能を低下させる薬剤が作られ,医療の発達により臓器移植が可能となり,その結果としての日和見感染の増加も大きな変化だと思います。
またわが国においては,感染症対策のワクチンプログラムにおける行政対応の立ち遅れという大きな課題があります。例えばインフルエンザ菌感染による細菌性髄膜炎を予防するためのHibワクチンは,1998年のWHOの推奨から9年後の昨年1月,ようやく承認されました。この間に多くの乳幼児が命を落としました。非常に残念なことであり,感染症の予防対策は今後も,しっかりと推進していく必要があります。
山口 抗菌薬が進歩しましたが,人類は感染症に勝利してきたのでしょうか。
北原 現在でもいろいろな感染症に遭遇しますが,感染症による死亡者数は,たしかに減少しています。治療が抗菌薬により進歩していることの表われだと思います。
BMJ(British Medical Journal)の読者投票では,「人間社会に最も貢献した医療の進歩は何か」との問いに対し,sanitation,衛生(状態の改善)が第1位となったそうです。まさに感染症が減少したのは,生活環境が改善されたことによる部分も大きいのですよね。
多賀須 『治療指針』に,北原先生が抗菌薬の部分の執筆を担当された際,「この抗菌薬はいらない」という,率直な意見が書いてありまして,編集者は,喝采をしました。抗菌薬の選択は,国ごとにすごく違います。これもおかしな話ですね。
北原 現在は『内科医の薬100』(医学書院刊)という書籍で,ミニマム・リクワイアメントを示しています。日常的には,これで十分ではないかと思いますね。
山口 福井先生のご専門領域の50年,ということではいかがでしょう。
◆総合診療領域のマイルストーン
福井 一般内科・総合診療の立場からお話しさせていただきますと,1986年に国立大では初めて,佐賀医大(現・佐賀大)に総合診療部が開設され,プライマリ・ケアに関心をもつ医師を育成する試みが始まりました。以来,現在では多くの大学に総合診療部ができています。しかし,日本ではかつて「家庭医」構想はありましたが,プライマリ・ケア専門医の体制をどうしてもつくることができなかった。
総合診療やプライマリ・ケアと,EBMは,深く関わっています。幅広い領域を診る医師は,それぞれの分野の専門医と同じ経験はできないわけです。患者数も限られていますし,経験という面では表層的になってしまいます。しかし,そこに論文発表されている質の高い研究成果をきっちり取り込み,臨床医療の質を高めていきましょう,という考え方に拠って立ったときに,EBMはプライマリ分野の医師にとって重要なコンセプトであり,手順となるのです。
BMJ創刊からの約150年間における医療史のなかで,エポックメーキングであった15題,という特集で,先ほど北原先生がおっしゃった衛生やDNA,ワクチンなどとともにEBMが取り上げられていました。これは,私にとっては,大変嬉しいことでした。
山口 EBMも領域によってずいぶん差がありますよね。
福井 材料になるエビデンスが多く存在する循環器のような領域と,そもそも患者数が少なく,統計学的に処理できないような疾患では,土台がまったく違います。
ただ,EBMはRCT(randomized controlled trial:ランダム化比較試験)でなければいけないということではないのです。エビデンスが量的に少ないものについては,エキスパート・オピニオンを活用しましょうと提唱しているのですが,そこがなかなかうまく伝わりません。
尾形 EBMは大切な考え方だと思っています。新しい医療を行うときには,エビデンスをつくることが,癌領域でも非常に重要視されます。新しい治療法が適切かどうかを決めるためには,その治療がエビデンスに則っている治療なのかどうかを峻別して治療にかかる。えらい先生が何かを言うと,それで決まってしまった昔とは大きく変わりました。
しかし,そのエビデンスの取られ方に経済原則が入ってくることがある,という視点も併せ持つ必要があります。
現在,最もエビデンスが存在しているのは,血圧の薬,高脂血症の薬。バックに大きな製薬企業がついていると,レベルAのエビデンスをつくれます。一方,儲からないものだと一切薬屋さんはやらない。厚労省も手を出さない。そうすると,エビデンスがつくれないですよ,日本では。レベルAのエビデンスは非常に大事ですけれども,それがないからといって,その医療が間違っているとは言えない。逆は必ずしも真ではないので,その折り合いをどうつけていくか。
福井 日本では臨床研究そのものがあまり高く評価されてきませんでした。そのため,疫学や統計学を臨床医があまり勉強してこなかった。したがって,質の高い臨床研究ができない,という悪循環に陥っていたように思います...
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