医学界新聞


科学性の条件とは何か?

連載

2007.10.22

 

研究以前モンダイ

〔その(7)〕
科学とは何か? 科学性の条件とは何か?

西條剛央(日本学術振興会研究員)

本連載をまとめ,大幅に追加編集を加えた書籍『研究以前のモンダイ 看護研究で迷わないための超入門講座』が,2009年10月,弊社より刊行されています。ぜひご覧ください。


前回よりつづく

科学とは何か?

 前回,科学観を支える科学論にも反証主義,帰納主義といった異なる立場のものがあるという話をしました。また,科学観を支える根底(科学論)から異なるために,それを契機に信念対立が起こることも珍しくないと述べました。そこで今回は帰納主義,反証主義といった立場を超えて,それらに通底する「科学の定義」について考えていきたいと思います。

 科学とは何か? 池田清彦氏が体系化した「構造主義科学論」によれば,科学とは現象をうまく説明,理解し,予測,制御につながるような構造を追求していく営みといえます(註1)。池田氏の説明にならい,水を構造化した例をもとに考えてみましょう。

 おなじみの[H2O=2H2+O2]という水の関係式。ここに登場する「H」や「O」という記号は「水」と同じく「コトバ」です。ですから,この式は「水」というコトバを「他のコトバとコトバの関係形式」に置き換えているということができます。コトバは,一回起性の事象のみをコードするのではなく,複数の事象をコードします。「水」というコトバが,目の前にある水も,昨日見た水も,明日見るであろう水もコードしているのと同じように,「コトバとコトバの関係形式」である「構造」も,複数の事象をコードしうることになります。原理的にはこうしたコトバ(構造)の性質が,(実際にそうなるかはともかくとして),科学が持つ未来の現象に対する予測可能性を担保しているといえます。

 さて,ここで「H」とか「O」といったコトバ(同一性)は,外部世界に実在するモノとして捉えてはならないということに注意してください。というのもモノとして捉えてしまうと,個々人にとっての意味や価値といった心的事象を扱えなくなってしまうためです。ですから,さしあたってそうしたコトバからなる構造を仮定することで,現象をうまく説明,理解できて役に立つのなら,それでいいと考えるのがポイントになります。

 このように考えることによって,「水」の場合のように物質を対象とする厳密科学でも,看護学のように人間を対象とした非厳密科学でも同じ科学の営みとして捉える(基礎づける)ことが可能になります。現象を上手く説明できる構造を構成していく営みこそが科学である,という意味では,厳密科学/非厳密科学には本質的な違いはないのです。

科学という営為の多様性

 もちろん,現象をうまく構造化するための方法はさまざまです。現場に入って観察することもあれば,質問紙調査を行うこともある。事例を積み重ねて仮説を生成することもあれば,実験によって仮説を検証することもあります。そうしたさまざまな手法により,現象をより上手に説明できる構造を探求していく営みが「科学」なのです。それらの研究手法のいずれが正しいかは,研究目的によって異なるといったことは以前もお話しした通りです(第2-3回参照)。

 さらに突き詰めていえば,看護師は(というより誰もが)研究という形をとらずとも,日々の臨床実践のなかで適宜仮説(構造)を生みだし,検証し,修正しながら実践を行っているということもできるのです。

 優秀な看護師であれば,このようにすると注射がしやすい,患者を支えやすいなどといった独自のコツ(構造)をたくさんもっていることでしょう。自覚の有無にかかわらず,そうしたコツも,仮説の生成,修正,検証といったプロセスを通じて獲得しているといえます。

「科学的」とはどういうこと?

 ここまで述べてきた議論に違和感を覚える人は多いでしょう。「それでは,個々の看護師の実践も大規模臨床研究も同じということになってしまうじゃないか」と。確かに,構造主義科学論によれば,構造(仮説・コツ)を追求するという点でそれらは同じです。しかし,だからといってそれらの営みすべてが「科学的」であることを担保できるわけではありません。

 ここで科学的かどうかを分けるのは「その差し出し方」の違いにあります。

 個人的な「構造」は,いわば暗黙知の次元にあり,そのままでは公共性のある知見として了解されにくいのです。人間である以上,トンチンカンな仮説を立てている可能性も常に残りますから,仮説の妥当性,有効性や限界,射程といったことを含めて他者が批判的に吟味できるような“提示の仕方”が求められるのです。

 したがって,自分が見出した知見を公共性のある「臨床の知」として他の人にも使ってもらいたいときや,個人的な思い込みではないことを実証したいときに,「科学的」であることを他者に示す必要が出てきます。それに成功すれば個人的なものに過ぎなかった構造が「科学的な成果」として受け取ってもらえることになります。

科学性の条件とは何か?

 では,科学的であるための「科学性の条件」とは何でしょうか?

 第一に,現象をうまく説明する構造を提起する,ということです。これは構造探求の営みに通底する定義なので当然前提とされることになります。研究として学術的意義をもつためには,既存の構造(知見)よりも現象をうまく説明できるものであったり,新たな現象理解につながるものであることが求められます。

 続いて第二の条件。これは,大きく2つに分類できますが,まず押さえておきたいのは,科学性の条件としては,「条件統制」ではなく「条件開示」を基準にする必要があるということです(図)。

 どのような関心のもとで,どういった事象を対象として,どういった視点から,どのような研究手法によってアプローチした結果,どのような構造が構成されたか(=どのような知見が得られたか)といった「構造化に至るまでの諸条件」を開示する。それによって,その構造(仮説,モデル)がどのような加工条件を経て得られたのかを明らかにできますから,広い意味での反証可能性も担保できますし,そうした条件を踏まえて,他の研究者や臨床実践者がその構造(仮説)の有効性や限界を判断できるようになるのです(註2)。

 たとえば,ターミナルケアの臨床場面において,死を目の前にしたまだ幼年の患者がどのような心理的プロセスを経ていくのかを調べたいときには,この構造化に至る諸条件を開示していく形で研究を提示すれば,科学性を担保できたことになります。

狭義の科学性=特殊な科学性

 広義の科学性の中には,従来の自然科学のように条件統制することで,再現性を確保するという考え方が含まれます。これを「狭義の科学性」と呼びます。つまり条件統制は「このように条件を統制した」という条件開示の一種に位置づけられることになるのです(図)。

 したがって,研究目的によっては狭義の科学性が求められることはありえます。たとえば,「褥瘡を予防するためには,何時間おきに体位変換することが最適か」といった研究関心であれば,対象が身体的,物理的事象ですから,条件統制・検証といった手続きを重視して,麻痺の程度や体重等の条件を独立変数として検討することで再現性の高い知見が得られる可能性もあるでしょう。

 このように,どこまでの科学性を確保すべきかは,対象となる事象の性質と,研究目的によって変わってくるということになります。これは,「科学性の関心相関的選択」といえるでしょう。

 ただし,この「狭義の科学性」を満たすものしか科学的ではないとしてしまうと,条件統制が難しい,あるいは不可能な一回起性の臨床事例研究における科学性を担保できなくなってしまうため注意が必要です。狭義の科学性に固執し,重要な知見が公共化される機会が失われてしまうのは本末転倒でしかありません。現場を中心とする看護学においては,「狭義の科学性」が求められる研究はむしろ例外と考えるべきでしょう。

 繰り返し述べてきたように,条件開示により「広義の科学性」を満たすようにデザイン・提示された研究であれば,十分科学的な研究といえるのです。

 さて今回は,科学とは何か? 科学的とはどういうことか? どういう時に科学的であることが求められるのか?科学的であるための条件とは何か? といったモンダイについて考えました。

 こうした科学をめぐるモンダイを再考することによって,無用な信念対立に陥ったり,枝葉末節な言説に惑わされることなく,研究を進めることができるかと思います。

 次回は,今回の応用として新たな実践法と科学性の関係について考えていきたいと思います。

この項つづく

註1:科学とは何かについて,原理的にわかりやすく論じてある著書として,池田清彦著『構造主義科学論の冒険』(講談社,1998)をお勧めします。
註2:少数事例に基づく質的研究でも科学性を担保することは可能です。関心のある方は,具体的研究を通して,着想から論文化に至る全プロセスをライブ講義形式で解説していく拙著『ライブ講義・質的研究とは何か』(新曜社)をご一読いただければと思います。

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