しんちゃんの生涯(井部俊子)
連載
2014.09.22
看護のアジェンダ | |
看護・医療界の"いま"を見つめ直し,読み解き, 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。 | |
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井部俊子 聖路加国際大学学長 |
(前回よりつづく)
「本の虫」の居場所
しんちゃんは山本信昌という名前でした。信昌の信の文字から家族は「しんちゃん」と呼んでいました。しんちゃんは男2人女3人の5人兄弟の末っ子でした。小さいころから泥んこ遊びなど見向きもせず,いつも部屋の中で本を読んでいるという子でした。将来は大学で文学を学んで文学者になりたいと言っていました。父親は昔気質のいわゆる頑固おやじで,こんなしんちゃんを白い目で見ていました。
しんちゃんは20歳近くなってようやくある工場で働き口を見つけ,実家を出て結婚し借家での暮らしが始まりました。勤め先の工場が近いので,しんちゃんはお昼休みには自宅に戻り,食後はいつも読書をしていました。
ある日,しんちゃんはこたつの火を消し忘れて職場に戻り,火事を出し,新婚家庭を焼失してしまいました。新妻はしんちゃんのもとを逃げ出し,しんちゃんは実家に戻ることになりました。しんちゃんは,相変わらず本にかじりついていて文学を学びたいという思いが募っていくばかりでした。ついに父親と大げんかとなり勘当されました。こうしてしんちゃんは家を出ていきました。
しんちゃんはその後,簡易宿泊所に寝泊まりしながら日雇い生活をしていたらしく,フーテンの寅さんのようだったということです。
しんちゃんは52歳で亡くなりました。千葉県西部の街にある図書館の入り口で倒れていたのです。いくつかの病院を転々と回され,最終的に東京都墨田区の病院に搬送されました。身元不明だった人物に積極的治療が施されることもあまりなく,点滴と尿道カテーテルが入れられていました。
お骨になったしんちゃんは実家のお墓に入ることになり,身内の数人だけが集まりました。「若くして定職を捨て放浪生活に入り……」「明日の当てもない日雇い暮らしで……」「家族も持たず,ずっとひとりきりで暮らし……」「たったひとりで寂しく死んでいって……」などと,しんちゃんを哀れみました。
納骨が終わって,兄弟たちはしんちゃんがお世話になった図書館にお礼に出掛けました。ところがそこでしんちゃんのまったく知らなかった一面を知らされたのです。「あの方はよく覚えていますよ,ほとんど毎日見えていましたから」「ここで本を読んで借りて帰られることもあったのですが,延滞することもなくきちんと返しておられました。古典の原文などを読んでおられましたよ」「来館のときと帰るときは必ず私どもにあいさつをされていました」「毎日自分の好きな本を,ここで倒れる数時間前まで読まれていたんですからね。しかも最後は大好きな本が集まった図書館の前で倒れられたわけです。好きなことだけに熱中できたわけですから,うらやましい気さえしますよ」。そのとき初めて,兄弟たちの中でしんちゃんの「哀れな死」「惨めな死」のイメージが「幸福な生涯」に変わる大転換が起こったのです。
しんちゃんのストーリーは,奥野滋子著『ひとりで死ぬのだって大丈夫』(朝日新聞出版,2014年)の第1章で語られる。しんちゃんは著者の叔父である。
ゆるやかで人間らしい看護外来
慢性疾患看護専門看護師の米田昭子さん(山梨県立大)が主導する看護外来も,“フーテンの寅さん”のような人生観を持つ梨本さん(72歳,男性)が「ふらっと」やって来る(「看護管理」誌23巻11号954-9頁)。
梨本さんは,A病院の呼吸器内科と循環器内科に10年来通院して2人の主治医がいる。梨本さんは「指示通り」に内服したり,予約日に来院したり,体調を報告したりすることは苦手である。しかし,薬がなくなったときや便秘でつらいとき,眠れないとき,息切れがするときなどに「ふらっと」米田さんの外来を訪れる。米田さんは,その「ふらっと」にもパターンがあることを見抜いている。天気のよい日で,主治医のどちらかが外来診察の日である。
米田さんは,彼のとらえどころのない「語り」(「訴え」ではない)に耳を傾け,彼の生活のなかで可能な,問題解決のためのアドバイスを行う。まるで梨本さんの人生の伴走者のように。梨本さんの価値観や生活様式をいくつかの手掛かりをもとにイメージする。そこには広い人間理解と寛容,優れた傾聴スキルがある。
*
ゆるやかで人間らしい看護外来は,梨本さんのような自由人にとって福音である。しんちゃんの人生にも似合う外来であったと思う。地域包括ケアシステムの要素に,公共図書館とフーテン外来を加えることにしたい。
(つづく)
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